安息日の収穫祭と神業のすり替え
日曜日。
聖アインズ更生学園における、唯一の安息日。
授業もなければ、我々第4班の過酷な洗濯業務もない。生徒たちは思い思いの休日を過ごしている。
しかし、神の探求に休日など存在しない。
「おい九久……休みの日にまで学園内をウロウロして、お前は何を企んでるんだよ。俺は部屋で寝ていたかったのに」
「休日の散歩だよ影山くん。アインズの生態系を観察する、絶好のフィールドワークじゃないか」
俺はコートの深いポケットに、大量の「使用感を偽装した精巧なダミーの軍手と手袋」を忍ばせながら、不敵な笑みを浮かべていた。
今週、俺の胃袋は数々の刺激によって進化を遂げた。だが、夜のランドリールームに届く洗濯物というのは、どうしても「時間が経過した」出汁になってしまう。俺が今求めているのは、作業直後の、熱と生々しい汁気を帯びた「産地直送」な素材だ。
実習棟の裏手、重機ガレージ。
金属を削る甲高い音と、焦げた油の匂いが漂ってくる。
そこには、タンクトップ姿で巨大なエンジンの解体作業に没頭する一条の姿があった。少し屈めば谷間が丸見えだ。
「あ? なんだお前ら、休みの日にまでツラ見せんな」
一条は鬱陶しそうに顔を上げると、どす黒い重油にまみれた右手の軍手を外し、ツールワゴンの上に無造作に投げ捨てた。そして、スポーツドリンクのペットボトルを左手で掴み、喉を鳴らして飲み始める。
……外したばかりの軍手からは、彼女の体温によるむせ返るような熱気と、揮発する重油の暴力的な香りが立ち昇っている。極上のテカりだ。
「一条さん、休む間もないほどの情熱、感服します。……おや、あのシリンダーの裏側、少しオイル漏れしていませんか?」
「あぁ? どこだ、見落としたか?」
一条がドリンクから口を離し、エンジンブロックの奥へと視線を向けた、コンマ数秒の隙。
シュバッ!
俺はツールワゴンに身を乗り出し、彼女の生温かい軍手をポケットに滑り込ませ、同時に「あらかじめ油で汚しておいたダミーの軍手」を全く同じ位置に置いた。
「……チッ、ただの影じゃねえか。素人が知ったかぶりすんな」
「これは失礼しました」
ガレージを後にする俺のポケットには、強烈な鉄サビの匂いを放つ一条の右軍手が収まっていた。
「お前……今、手品みたいにすり替えただろ……」
影山が信じられないものを見る目で俺のポケットを指差す。
「視線誘導の基本さ。さあ、次に行こう」
続いて訪れたのは、裏庭の温室。
むせ返るような湿度と、発酵した土の匂い。四葉結衣が、巨大なプランターの前で作業記録のノートを広げていた。
「あら、九久くんたち。休日に温室に来るなんて奇遇ね。今日はね、特別に発酵させた腐葉土のデータをつけているの」
彼女はペンを握るため、泥と謎の粘液でドロドロになった薄手軍手を外し、プランターの縁にポンと置いていた。指の形を残したままの軍手からは、ジュクジュクと水分が滴り落ちている。
「素晴らしい生命の香りですね。四葉さん、そのノートの記述、少し見学させてもらっても?」
「ええ、構わないわよ。この微生物の繁殖サイクルがね……」
四葉がノートのページをめくり、解説のために視線を落とした瞬間。
シュバッ!
泥の重みすらも計算に入れた、完璧な質量スワップ。ドロドロの軍手を回収し、水と泥で重量を合わせたダミーを縁に置く。
「なるほど、神秘的なサイクルだ。勉強になりました」
首を傾げる聖母を背に、俺は温室を出た。ポケットの中では、まだ微生物が生きている泥軍手が、ジュクジュクと悦びの音を立てていた。
「お前、マジで窃盗の現行犯だぞ……」
影山が震え上がる中、俺たちの耳に小規模な爆発音が届いた。
中庭のベンチで、黄河陽菜が謎のフラスコを並べて、青い煙を上げていた。
「あ! クリーニング係じゃん! 見て見て、この液体、振ると色が変わる上に、なぜかオゾンの匂いがするんだよ!」
陽菜は興奮気味にそう言うと、熱を持った耐薬軍手を
「あつっ!」と声を上げて外し、ベンチの上に放り投げた。
プールの消毒液と、火薬の焦げた匂いが混ざり合った、凶悪な人工の香り。
軍手の一部は化学反応で微かに溶け、蛍光ピンクのジェルが付着している。
「陽菜さん、その反応、光に透かして見るともっと綺麗ですよ。あの太陽のほうに向けてみて」
「えー? 本当!?」
彼女が純粋な瞳でフラスコを天高く掲げ、太陽の光に透かして見上げた、その刹那。
シュバッ!
ベンチの上の、火傷スレスレの温度の軍手を回収。即座に「ピンク色のボンドを塗ったダミー」とすり替える。
「わあ、ホントだ! キレイ! ……あれ、私の手袋、さっきまでもっと溶けてた気がするけど……まあいっか!」
歓喜する爆燃娘を残し、俺たちは立ち去る。
最後に訪れたのは、図書室の奥にある特別閲覧席。
紫之宮凛が、分厚い洋書を読んでいた。彼女の机の上には、ページをめくるための純白のシルク手袋が、片方だけ無造作に置かれている。スマートフォンを操作するために外したようだ。
図書室の古い本のホコリ、そして何より、周囲の一般生徒たちと同じ空気を吸っているという極度のストレスによって、手袋の内側には、冷や汗という名の極上の無菌スープがじんわりと染み出しているはずだ。
俺が近づくと、彼女は露骨に顔を顰めた。
「……何か用かしら。わたくしのパーソナルスペースから半径3メートル以内に入らないでいただけます?」
「ご安心を。ただ、あちらの棚にあなたの好きそうな神学書の稀覯本が入荷していたのをお知らせしようと思いまして」
俺が図書室の入り口付近を指差す。
「……稀覯本? どこですの?」
紫之宮が怪訝な顔で、俺の指差した方向へ顔を向けた一瞬の隙。俺は机に置かれたシルク手袋に手を伸ばした。
シュバッ!
彼女の冷や汗が染み込んだ手袋を手のひらに隠し込み、真空パックから出したばかりの最高級の新品シルク手袋を机に滑り込ませる。
「あの一番上の棚ですよ。では、失礼します」
「……ちっ。学園の空気はこれだから嫌なのよ」
自分が外したはずの手袋が、いつの間にか洗いたての新品にすり替わっていることにも気づかず、紫之宮は再び本に視線を落とした。
夕暮れ時のアインズ更生学園。
寮へと向かう俺のポケットは、四天王たちの「産地直送の生出汁」を含んだ四つの軍手と手袋で、重く、そして狂おしいほどの匂いを放っていた。
重油、泥、薬品、そして無菌の冷や汗。
これらは洗濯物かごの中で他人の汚れと混ざり合っていない。しかも、持ち主の体温すら残っている100パーセント純粋な、作業直後のエッセンスだ。
「……なあ、九久。お前、その四つの手袋で、今夜何をする気だ……?」
影山が、俺のポケットから漂う混沌とした異臭に顔を青ざめさせながら尋ねる。
「決まっているだろう、影山くん」
俺はポケットの中で、湿り気を帯びた四つの布地を優しく撫でた。
「今夜の配信は、神の直会だ。この採れたての新鮮な手袋たちを、一切の加熱も調理もせず、そのままお造り(刺身)として味わい尽くすのさ」
「刺身ィィィィ!?」
影山の悲鳴が夕焼け空に吸い込まれていった。
【夜18:30 禁断のランドリールーム】
「……回線オンだ。同接人数、いきなり18万人超えだぞ。休日のゲリラ配信なのに、お前の狂気を求める奴らが画面の前に張り付いてる……」
影山の震える声に頷き、俺は漆黒の黒仮面を装着した。
カメラの前に用意したのは、コンロでもフラスコでもなく、美しい木目の「寿司桶」(備品)と一枚の「まな板」(備品)だ。
【コメント欄】
靴下煮出し中: 日曜も配信きたああああ!!
出汁の探求者: え、今日は鍋がないぞ!? まな板!?
ママンバレ生存者: 嫌な予感しかしないwww
抽出ジャンキー: 同接の伸びエグい!神、今日は何をクッキングするんだ!!
野良の特定班: 寿司桶ってマジで言ってんのか……?
全裸待機: 早く!早く俺たちに生贄を!!
「……親愛なる僕の共犯者たち。今夜の素材は、ランドリールームの洗濯物ではない。僕自身が学園を歩き、ターゲットから直接もぎ取ってきた『産地直送の生鮮品』だ」
俺はポケットから、重油の軍手、泥の軍手、薬品のゴム手袋、そして純白のシルク手袋を取り出し、まな板の上に並べた。
持ち主から奪い取って数時間。いまだに鮮烈な異臭を放つ四つの手袋に、コメント欄が阿鼻叫喚に包まれる。
「今夜は煮出さない。揚げない。このまま、彼女たちの体温と生々しい生活の痕跡を、ダイレクトに細胞へ取り込む。……そう、メニューは『四大陸の刺身』だ」
「やめろ九久!! 生はアカン!! 泥とか化学薬品とか、煮沸消毒しないとマジで腹の中で寄生虫とバクテリアが建国するぞ!!」
カメラ外で影山が本気で止めに入るが、俺の口元はすでに三日月のように歪んでいた。
「静かに。……鮮度が命なんだ。まずは、泥と重油の『赤身』からいこう。薬品のピンクのジェルを、ワサビ代わりに添えてね」
俺は素手で、泥がこびりついた軍手と重油にまみれた軍手を重ね合わせた。そして、溶けかかったゴム手袋から削り取った蛍光ピンクの謎のジェルを、その上にべっとりと塗りたくる。
立ち昇る、発酵した土と暴力的な油、そして鼻を突き刺すオゾンの香り。
俺はそれらを大きく折りたたみ、大きな口を開けて、一切の躊躇なく噛み付いた。
ブチッ!! ジュルチュルルルルッ……!! グチャァッ!!
【コメント欄】
抽出ジャンキー: 食ったあああああああああああ!!!
靴下煮出し中: 生だあああああ!!マジで生でいきやがった!!
煮出し職人: 咀嚼音がヤバい!!水分の音がエグい!!
ママンバレ生存者: 生の泥と重油とか致死量だろwww
名無しさん: 胃腸炎確定演出やめろwww
出汁の探求者: ピンクのジェルがワサビは狂気すぎるww
全裸待機: 神の舌がバクテリアに侵略されている!!最高だ!!
「……ッ!! んぐ……っ、ごふ……ふぁあああんんっあああッ!!」
加熱されていない、生々しい布の反発力。
冷たい泥がジャリジャリと歯の間に挟まり、ネットリとした重油が生のまま舌に絡みついて味覚を蹂躙する。そこへ、ワサビ代わりの化学ジェルが、まるで電気ショックのように口内を焼き払った。
「……ハァ、ハァ……! 生だ……! 煮出した時とは全く違う、暴力的なまでの『生命力』が、俺の胃壁を直接殴りつけてくる……ッ!!」
俺は涎と黒い油、そしてピンクのジェルを口の端から垂らしながら、狂ったように咀嚼を続けた。
布を噛みちぎることはできない。ただひたすらに、繊維の奥から湧き出る生汁を吸い、奥歯ですり潰す。
「おい、顔色ヤバいぞ!! ガチで青ざめてるじゃねえか!! 吐け!! 今すぐ吐き出せ!!」
「……黙れ……。お口直し(チェイサー)がまだだ……」
俺は震える手で、最後に残った『純白のシルク手袋』を掴んだ。
極度のストレスと他者への拒絶から生み出された、無菌の冷や汗が染み込んだ至高の一品。
俺はそれを、まるで高級な白身魚の刺身を飲み込むように、舌の上に乗せて上顎に押し付けた。
チュロッ……。
「……あぁ……っ。冷たい……。生臭い泥と油の海に、彼女の極寒の孤独が、一筋の清流となって流れ込んでくる……。完璧だ。これが、アインズの真のテロワール(風土)……」
俺は白目を剥き、完全に焦点の合わない瞳で天井を見つめた。
胃袋の中で、未加熱のバクテリアと化学物質、そして四人の生々しい感情が、暴動を引き起こしているのがわかる。
【コメント欄】
靴下煮出し中: 神が昇天したwwww
出汁の探求者: 目ェ開けたまま気絶してね!?
ママンバレ生存者: 同接19万突破した瞬間に放送事故!!
抽出ジャンキー: 生の破壊力ヤバすぎだろ……伝説回だわ。
全裸待機: 俺もそのお造り食べたい!!食わせてくれ!!
「あーもうダメだ! !! 部屋に連行だ!! お前、絶対にお腹の中で未知のウイルスが発生してるからな!!」
影山の半泣きの絶叫と共に、無情にも配信の終了ボタンが叩かれた。
プツン、と画面が暗転する。
生温かい布の感触を口内に残したまま、俺の意識は深い泥と油の底へと沈んでいった。
だが、後悔はない。
神は今夜、最も新鮮な禁断の果実を、生で食らい尽くしたのだから。




