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世界に色が戻る。
「どう、なったの?」
本当に過去に戻れたのだろうか?
とてもじゃないけど、そんな気がしない。
トンネルの先から、人が歩いて来るのが見える。
振り返ると、ジャージ姿のお爺さんが歩いていた。
「スマホが無くなってる」
サーッと血の気が引くのを感じる。
それは、過去に戻れたとかではなく、単にスマホが手元に無くて不安に感じているからだ。
まさか、私自身こんなにスマホに依存しているとは思わなかった。
「待って、そうじゃない。そうじゃない……どうなったの?」
あの青白い世界は、明らかに異常だった。
もしかしたら、本当に成功したのかもしれない。
確かめたいけど、スマホを失った私にその手段は無い。
人に尋ねようにも、不審者と思われるのが怖くて聞けない。
「外に、外に出よう」
家に帰れば分かるはずだ。
来た道を引き返して、地上に出る。
そこで大きな異変があった。
「明るい?」
外には青空が広がっていて、昼間のように明るかった。
事務所に飾ってある時計を見ると、十三時十分を指していた。
「本当に、過去に戻れた?」
喉が渇く。
望んでいたはずなのに、急に怖くなってしまう。
本当に? 本当に過去に来た?
呼吸が荒くなる。緊張と恐怖から、綺麗な景色が滲んで見える。
立ち眩みがして、立っていられずにしゃがんでしまう。
まだ戻れたと決まったわけでもないのに、私はこの世界に恐怖している。
「どうかしたの?」
そんな私に誰かが声を掛けてくれる。
その声音がどこか懐かしくて、安心出来る物だった。
誰だろうと見上げて、思わず息を呑んだ。
「あっ……」
「もしかして貧血? 立てる? ベンチあるから、そこまで動ける?」
私は反応出来ずに、女性の顔を見入ってしまう。
これまで何度も写真で見て来た顔。
思い出の中にある、優しく笑う顔。
どれだけ望んでも、二度と見れないと思っていた人がそこにいた。
「……お母さん?」
「え?」
お母さんは、背後を見て誰もいないのを確認して、再び私を見る。そして、自分自身を指して、「私?」と尋ねて来る。
思わず頷くと、お母さんはおかしそうに笑い出した。
「あははっ! まさか母親に間違われるなんて思わなかった。でもごめんね、私もお母さんだけど、あなたの母親じゃないのよ」
笑っているお母さんは私を立たせると、ベンチに誘導する。
そこに座らせると、自販機で水を買ってくれた。
「症状は治ってるね、顔色も回復してる。もう少し良くなるまで一緒にいてあげたいけど、娘を迎えに行かないといけないのよ。体調が優れないようだったら、我慢せず病院に行きなさい」
それだけ告げると、じゃあねと手を振って去って行った。
私は、離れて行くお母さんの後ろ姿を見ていることしか出来なかった。
「……お母さんだった。あの人、お母さんだった、よね?」
鞄から写真を取り出して、もう一度顔を確認する。
見間違えるはずが無かった。
何度も何度も見て来て、熱望していた人なんだ。
「うっ……ひっく……本当に、お母さんだった……」
涙が落ちて、写真を濡らす。
我慢したくても、次から次に落ちて行く。
あの時は雨が降って助かったけれど、今日は期待出来そうもない。
でも、今はそれが嬉しかった。
◯
気持ちが落ち着くと、私はお母さんの後を追う。
とはいっても、それなりの時間が過ぎていてまず追い付けない。
「もう、マンションに帰っているかな? ……あれ、マンションは?」
家に帰っているかもしれないと向かうのだけれど、そこにマンションは無かった。
代わりに。建設中の看板と完成予想図のマンションの絵柄が掲げられていた。
これはどういうことだと考えて、遥か昔の記憶を呼び起こす。
「そうだ、あの時はまだ門司に住んでたんだった」
門司港に引っ越したのは、お母さんが事故で亡くなってからで、それまでは門司に住んでいた。
門司は、門司港から二駅離れた所にあって、かなり整備された地域だ。
門司港駅に向かう為に門司港レトロの中を通って行くのだけれど、そこで現在に無い物を発見してしまった。
「なにあの船?」
門司港レトロの内海に、木製の船が浮かんでいた。
幟には焼きカレーの文字と、スキンヘッドの男性の顔が描かれている。
クルーズ船があるのは知っているけれど、こんな船は見たことが無い。
そう思ったのだけれど、船に掲げられた店名を見て理解した。
「あのお店って、船でやってたんだ」
それは、ある芸人の父親が経営する焼きカレーのお店の名前。
お店の扉付近に、芸人の等身大パネルが置いてあり、経営方針は今も昔も変わらないのだと教えてくれる。
立ち止まったついでに、一度昔の門司港レトロ内を見回してみる。
見た景色は、それほど今と変わっていない。
でも、それが心地良くて、なんだか安心してしまった。
駅に到着すると、いつも通り改札を抜けようとして、スマホが無いのを思い出す。
切符を購入したいのだけど、券売機を久しぶりに使うので、どれを購入していいのか分からず迷ってしまった。
何とか見付けると、お父さんから貰った五千円札を使い購入する。
危なかった。もしも五千円を貰っていなかったら、徒歩で向かわないといけなくなる所だった。
「お父さんありがとう」
まさか、あの時使わなかった五千円が、こんな所で役に立つとは思わなかった。
電車の時刻表を見るに、お母さんが乗ったのは前に出発した電車だろう。
次の電車が来るまで、ベンチに座って待つ。
何だか落ち着かなくて、周囲を見渡してしまう。
スマホが無いというだけで、ここまで手持ち無沙汰になるとは思わなかった。
駅のホームには何人かいて、半数がスマホを持ち、もう半数は今では絶滅危惧種となったガラケーを使っている。
柱には金曜日と日付が記されていて、写真を撮った日と同じだった。
心を落ち着けるように深呼吸をする。
息を吐き出すと、これからどうするべきなのかを改めて考える。
ただ、お母さんに会いたい一心で来てしまったけれど、具体的にどうするのかなんて考えていなかった。
そもそも、成功するなんて微塵も思っていなかった。
真正面から言っても、タイムスリップして来たなんて言っても誰も信じないだろう。警察を呼ばれて、異常者として捕まってしまう。
事故から守ろうにも、大型ダンプからどうやって逃げたらいいのか分からない。可能なのは、その道を行かせないことだけれど、信じてもらえるとは到底思えなかった。
いろいろと考えていると、電車がやって来る。
門司までは、十分も掛からない距離。
結局何も思い浮かばずに、目的地に到着してしまった。
とりあえず、当時住んでいた家に行こう。
駅を出ると、門司港や小倉とは違った光景が広がる。
大きなマンションが並び、住宅地も綺麗に整備されている。
ここのどこかに、私が当時住んでいた家があるはず。
「……待って、私覚えてない」
住んでいたのは、確かマンションだった。
内装は覚えているのだけれど、外観や何階に住んでいたのかまるで思い出せない。
唯一覚えているのは、幼稚園の場所だけ。
考える必要は無かった。目的地を変えて、幼稚園に向かう。
時間も時間なので、もう居ないかもしれないけれど、諦めるわけにはいかなかった。
幼稚園が近くなると、子供達の声が微かに聞こえて来る。
この道を通ると、どうしてか懐かしくなる。
子供達が統一された制服を着て、お迎えが来るのを待っていた。
「あれって、私だよね?」
その中に、幼い私がいるのを発見する。
自分で言うのも何だけど、とても可愛いらしい。
鞄に付いた小さなぬいぐるみが気になるのか、しきりに触っており、手を離しては周りをキョロキョロと見回している。
「そういえば、よくやったっけ」
私は不安になると、人形に触れて気持ちを落ち着かせていた。
今は、お母さんが迎えに来てくれるのか分からなくて、不安になっているんだろう。
「香織ちゃん、お母さん来たよー」
幼稚園の先生が、幼い私に呼び掛ける。
すると、パァーッと笑顔を浮かべて門に走って行く。
「おかあさん!」
「香織、楽しかった?」
「うん! あのね、きょうね、絵をかいたの!」
幼い私は、絵を広げてお母さんに見せる。
「わあ、上手に描けたね! こっちがお父さんで、こっちがお母さん? それと、真ん中は香織だね」
「みんなでブランコにのってるところ!」
「おお! 本当だ。じゃあ、上手く描けた記念に写真撮っておこうか」
お母さんはスマホを取り出して、楽しそうに写真を撮る。
すると先生が声を掛けて、「写真撮りましょうか?」と気を利かせていた。
「あっ、この場面……」
持っている写真と見比べる。
目の前では、写真と同じ光景が起こっていた。
お母さんと幼い私は、先生に挨拶をすると幼稚園から離れて行く。
私は、二人の後を追った。




