2-22
“私が高校に行かなかったらどうするの?”
この言葉を聞いた時、俺が言った願いを断る為の口実だと思っていた。
でも違った。
莉子は、親の借金で高校に行かずに働くつもりだった。
これは、莉子から申し出たことではなくて、親父さんからお願いされたもの。
終わらない借金に限界を迎え、莉子に働けと言い出したのだ。
高校に行きたいと必死に訴えるが、その願いは通らなかった。
親父さんも莉子の夢は知っているし、努力しているのも知っている。でも、高校を出たとしても、大学の医学部に進学させるだけのお金が無かった。
なら、最初から諦めた方がいい。
そう親父さんは判断した。
俺は莉子の家まで行くと、呼び鈴を鳴らす。
しばらくすると扉が開いて、親父さんが顔を出す。
その顔が、あの最後に見たやつれた顔と重なる。
“ すまない、本当にすまない……”
この言葉の意味を、ようやく理解した。
後悔していたんだ。
莉子を高校に行かせなかったことを、これが最後の引き金になってしまったことを。
「大輔君、いらっしゃい。俺に話があるそうだが……」
「はい、莉子のことで相談があります。お邪魔してもいいですか?」
そう言うと少し沈黙して、俺を中に招き入れてくれた。
俺が入ると、莉子が続いて入って来る。まさか俺が一人で行くと思っていなかったのか、驚いている様子だ。
「待って! どうして大輔が知ってるの⁉︎」
「知ってるも何も、あんなにヒント出してたら気付くだろう?」
本当は、母さんが話を聞いてきてくれたからだけど、そこは言わなくてもいいだろう。
それに、俺も気付いたんだから。
とはいえ、時間は掛かった。
こんな遠回りせずに、莉子の口から聞きたかった。
俺に関係無い話しだと思わずに、相談して欲しかった。
莉子に信じてもらって、頼られたかった。
これが俺の我儘なのは分かっている。
分かった上で、この我儘を突き通す。
「だからって、大輔には関係無いでしょ⁉︎」
「ごめんな莉子、これは俺にも関係あることなんだ。だから、俺にチャンスをくれないか?」
たとえ嫌われたとしても、俺は莉子を高校に進学させる。
これが、俺にとっても生きることにも繋がるから。
何か言おうとする莉子から顔を逸らして、親父さんの待つ居間に向かう。
扉の梁が低くて身を屈めながら入ると、親父さんだけでなく、おばさんも待っていた。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
頭を下げて挨拶をすると、そっちに座ってと誘導される。
正面には親父さんがいて、その隣にはおばさんがいる。扉の前には莉子が立っていて、どうしたらいいのか分からないといった様子だ。
そんな莉子を放置して、親父さんは促して来る。
「それで、俺に話って?」
遠回りする理由も無いので、単刀直入に言おう。
「親父さんにお願いがあります。莉子を、高校に行かせてあげて下さい!」
そう頭を下げてお願いするのだけど、親父さんに変化は無い。
さっきまでの俺と莉子の会話で、何を言われるのか察していたのだろう。
沈黙が流れる前に、俺は言葉を続ける。
「家庭の事情に口出しするべきじゃないのは分かっています。それでも、お願いです。莉子を高校に行かせて下さい」
同じ内容を繰り返したからか、親父さんは不機嫌になる。
指でテーブルを叩いて、どういうつもりだと言っているようで、圧を掛けて来ようとする。
少しすると、親父さんは口を開く。
「それで、莉子は何を出来るようになるんだ? 医者になりたいって夢は知っているが、うちじゃ大学に行くまでの資金は出してやれない。大輔君も聞いているんだろう? うちが、今大変な状態にあるって。それなら、今のうちから莉子に働いてもらった方がいいとは思わないか?」
「いえ、まったく思いません。莉子なら間違いなく医者になれます。医者になれば、収入だって桁違いに多いはずです。借金を返すのだって難しくないはずです」
そう告げると、親父さんはテーブルを叩いて激昂する。
「あのな、その大学に行かせる金が無いって言ってんだよ⁉︎ 俺だって行かせてやりたいよ! 大切な娘なんだからな! それが無理だから、今のうちに諦めろって言ってんだろうが‼︎」
机を叩いた親父さんは立ち上がり、俺を睨み付ける。
その目から真っ直ぐに見て、俺は言う。
「俺が働いて稼ぎます」
「……なに?」
「俺が働いて、莉子の学費を稼ぎます。高校も大学の費用も、全部俺が出します。だから、どうか莉子を高校に行かせてあげて下さい。お願いします」
頭を下げる俺を見て、親父さんは言葉を見失っている。
それはおばさんも同じで、何を言われたのか理解していないようだった。
でも、莉子は理解して反応する。
「大輔なに言ってんの⁉︎ これ、うちのことなんだから、大輔には関係無いでしょう⁉︎」
「さっきも言ったけど、関係あるんだよ。莉子が高校に行かなかったら、俺は生きていけないんだ。俺の為にも、莉子には大学まで出て医者になってもらわないといけないんだ」
「何それ……意味分かんない……」
そうだろうな。
いきなりこんなこと言われても困惑するよな。
俺にとって、莉子の居ない時間は地獄のようだった。
怒りと憎しみ、後悔に苛まれて生きながらに死んでいた。
あんな時間、もう二度と味わいたくない。
だから決心したんだ。
どんな手を使ってでも、莉子を守り切るって。
人生を懸けてでも、莉子を救うと決めたんだ。
俺は、もう一度親父さんに向き合う。
「お願いします! これは、俺と莉子の一生を決める選択なんです! どうか! 莉子を高校に行かせて下さい! 俺の一生を捧げても構いません! お願いします! お願いします!」
立ち上がり、頭を下げる。
親父さんが受け入れてくれたら、俺は高校には行かずに働こう。
体力には自信があるから、引越し業者なんか良いかもしれない。給料も良いと聞くし、うってつけの仕事だろう。
頭を元に戻すと、眉を顰めた親父さんがいた。
「……大輔君の気持ちは良く分かった。娘のことを思ってくれて、とても嬉しく思うよ。でもな、よそ様の子供を働かせるなんて真似は絶対に出来ない。そもそもの話、君の親御さんは知っているのか?」
親父さんの問いに首を振って答える。
「親は知りません。でも、莉子が高校に行かないというのは、母から聞きました。俺に言うのなら、俺にどうにかしろと言っているようなものです。なら、こういう選択をするのも、両親は予想していたはずです」
「……いや、それはないんじゃないか? 後で聞いたら、卒倒すると思うぞ」
「そうだとしても、説得してみせます」
きっと殴り倒されるだろうけど、俺は貫き通す。
俺の意思が固いと思ったのか、親父さんは息を呑む。
それでも、意思が固いのは親父さんも同じだった。
「大輔君……すまないが、それは出来ない。俺が君の父親だったのなら、とてもじゃないがその考えは認められない」
申し訳なさそうに言っているけれど、それでは駄目なんだ。
莉子には高校に行って、その先まで行ってもらわないと、莉子だけでなく親父さんとおばさんまで居なくなってしまうんだ。
もっと良い方法はないか?
親父さんを説得出来るだけの方法は……。
そう考えていると、別の所から声が上がった。
「あなた、大輔君がここまで言ってくれてるのよ。莉子を高校に行かせてあげて」
それは、莉子の母親からの言葉だった。
まさか俺の願いを汲み取ると思ってなかったのか、親父さんは驚いておばさんを見る。
「何を言っているんだ‼︎ 大輔君にまで負担を掛けるつもりなのか⁉︎」
「そうじゃないの。ねえ、私達離婚しない?」
急な話に困惑する。
隣を見ると、俺以上に莉子は驚いており、ふらふらと俺に寄り掛かって来る。それだけ、おばさんの提案はショックだったのだろう。
当然ながら、親父さんはそんな提案拒否すると思っていた。
でも違った。
親父さんは逡巡した後、おばさんに尋ねる。
「……それでいいのか? これまでやって来たのに……」
「いいの。元々私の親の責任なんだから、あなたや莉子にまで背負わせるべきじゃなかった」
言葉を聞くと、親父さんは驚いている。
そして、悲しそうな表情をする。
「そんなこと言わないでくれ。あの時、お義父さんを止められなかったのは、俺の責任なんだ。もっと強く言っていれば、あんなことにはならなかったのに……」
話は、俺が口出し出来る内容ではなくなってしまった。




