13
ひんやりとした空気が流れる。
前後に長く、左右に狭い空間。
ここはどこだと横を見てみると、『下関』『門司』と表示されていて、関門トンネルの人道だと分かる。
「……戻って来た?」
壁際には私のスマホが置かれていて、時間を見ると二十時一分と表示されていた。
私は呆然と立ち尽くす。
しばらくぼんやりとして視線を彷徨わせると、自分の着ている服に目が行く。着ている服が、お母さんのお下がりから、ここに来た時の物に変わっていた。
「……今のって、夢?」
そんなはずない。
あの感触が、あの温もりが、あの匂いが、あの感情が夢なはずない!
そう否定したいのに、私がここにいるという現実が邪魔をする。
私は、夢を見ていたの?
立ち眩みがして、壁に寄り掛かる。
通り過ぎる人が横目で見て来るけれど、体に力が入らなくて私は動けなかった。
「……夢じゃなくても、結果は変わらなかったじゃない」
あの事故で、お母さんは亡くなった。
たとえ過去に戻っていたとしても、私はお母さんを助けられなかった。
「私、何してんだろう……」
スマホが鳴る。だけど取る気にならなくて無視する。
鳴り止んでからスマホを取って、誰からの着信か確認する。
そこには、北方さんに中川君の名前が並び、一番新しい物はお父さんからだった。
もしかして、家に居なくて心配かけてしまっているのだろうか……。
電話をかけ直そうか迷っていると、またお父さんから電話が掛かって来た。
「……もしもし」
迷った末に電話を取ると、お父さんは酷く焦っている様子だった。
『香織か⁉︎ 今どこにいる⁉︎』
「今……門司港レトロにいるよ」
嘘を付いた。
この時間に、関門トンネルに行く理由が思い浮かばなかった。
『門司港レトロ? まあいい、早く××病院に来い! 沙織が! お母さんが目を覚ましたぞ⁉︎』
「……え?」
言葉の意味が、直ぐに理解出来なかった。
「お母さん?」
『そうだ! お母さんが目を覚ましたんだよ‼︎ タクシー使っていいから、早く来い!』
通話が切られる。
お父さんが切ったのではなくて、圏外になって切れてしまっていた。
スマホを見つめて、少し考える。
考えて、現実味の無い言葉を呟く。
「お母さんが、生きてる……?」
荷物を拾うと、私は走り出していた。
何も考えられなかった。
お母さんが生きている。その言葉だけが、頭の中を反芻して他に考えられなくなっていた。
外に出ると、辺りを見回す。
「はあ、はあ、はあ、タクシー、タクシー、無い、無い⁉︎」
観光地なのに、時間帯が悪くてタクシーが見当たらない。そもそも、人道までやって来る車両自体が珍しい。
走って門司港レトロまで行こう。
そう決心すると、和布刈神社が見えた。
「お礼は後日します! ありがとうございました!」
道を挟んだ向こう側に頭を下げて、再び走り出す。
息が切れる。
心臓が破裂しそうなくらい苦しい。
足が重くて、億劫になる。
貧弱な自分の体が恨めしくて仕方ない。
それでも、必死に走り続ける。
お母さんがいる。お母さんに会える!
「はあ! はあ! ××病院までお願いします!」
やっと見つけたタクシーに飛び乗って、行き先を告げる。
走り出したタクシーの中で、思わず泣きそうになる。
まだ早いとぐっと堪えて、気を紛らわせるように景色を見る。
暗闇の海の先に、下関の灯りが見える。
お祖父ちゃんやお祖母ちゃんにも連絡が行っていらのだろうか? もしかしたら、もう来ているかもしれない。
今は、二人にも会いたくて仕方なかった。
元気な二人が見たいと思ってしまった。
スマホを取り出すと、お父さんからメッセージが入っていて、内容は病室が移っているという内容だった。
新しい病室の号室が書かれていて、着いたら連絡してくれとあった。
私には、前の病室の記憶が無い。
とても不思議な体験だけど、過去に戻ったのに比べたら、些細なことだと思えてしまう。
とにかく、それを考えるのは後にしよう。
何せ、病院に着いたのだから。
お父さんに連絡を入れて、エレベーターに乗り込む。
病室の前にはお父さんが待っていて、こっちだと手招きする。
お父さんは深刻そうな顔をしていて、何か良くないことが起こったのではないかと不安になる。
「香織、よく聞きなさい。お母さんな、起きたけど意識がはっきりとしないみたいなんだ。お父さんのこと、分かっていないみたいなんだ。多分、香織のことも……」
傷付かないように、先に教えてくれたのだろう。
それでも、私はお母さんに早く会いたかった。
逸る気持ちを抑えて中に入ると、ベッドに横になるお母さんがいた。
やつれていて、あの時の溌剌さは無いけれど、間違いなくお母さんだった。
でも、目が虚に見える。
「……お母さん?」
私が呼び掛けると、ゆっくりとした動作で動く。
目が合うと、頬が動いて笑みを浮かべた。
そして、掠れた声で呟いた。
「ごめん、カナ、帰れないみたい、香織の面倒、よろしくね」
お母さんは今、私を見てカナと呼んだ。
それだけで分かる。
私は、確かに過去にいたんだ。
十二年前のあの日に、私はいたんだ。
お母さんの顔が滲む。
顔が見えないと、溢れて来る涙を拭い去る。
「お母さん、あのね、私カナじゃなくなったんだよ。もう、香織なんだよ……」
「……香織? ……香織⁉︎」
お母さんの目に光が戻り、驚いて動こうとする。
でも、体が衰えているから、起き上がることが出来ない。
お母さんが病人なのは分かってる。
でも、我慢出来なかった。
私はお母さんに抱き付いてしまった。
抱き付いて、子供のように泣いてしまった。
「お母さん! お母さん!」
生きてくれて良かった!
また会えて良かった!
死んじゃうかと思って心配したんだよ!
いろいろ言いたいことはあったけど、私はお母さんを呼び続けることしか出来なかった。




