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門司港タイムトラベル  作者: ハマ
1.黒崎香織タイムスリップ

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12/15

12

 ガラケーに電話が掛かって来る。

 それはお母さんからで、直ぐに電話に出る。


『もしもし、今駅に着いたんだけど、まだ公園にいる?』


「公園で雨宿りしてるよ、香織ちゃんも一緒」


「おかあさん、あめすごいよ!」


『傘ある? 持って行くけど』


「ごめん、傘お願いしていい? ちょっと動けそうにないや」


 通り雨と思っていたけれど、すでに三十分以上降り続いている。雨足も変わらなくて、降り止む気配が無い。

 私のいた時代なら、あと何分で止むというのが表示されるのだけれど、この時代ではそれがない。


 十二年という歳月は、こんな小さな所でも技術の進歩を感じさせる。


「止まないね」


「やまないね」


 二人で雨を眺めながらお母さんの到着を待つ。


 駅から公園まではそう離れていないから、直ぐに来てくれるだろう。


 暇な私は、どうでもいいうんちくを披露する。


「ねえ香織ちゃん、雨の匂いにも名前があるって知ってた?」


「しらなーい」


「ペトリコールっていうんだよ。ギリシャ語で、神様に流れている霊液なんだって」


「ぺとりこーる? へー、へんな名前」


「ふふっ、そうだね。変な名前だ」


 変な名前と言いながらも、香織ちゃんは「ペトリコール、ペトリコール」と口ずさんでいる。でも直ぐに飽きたのか、また雨を眺めてしまう。


「香織ちゃん、幸せって何だと思う?」


「しあわせ? ……けっこん」


「そっか、じゃあ良い男の子見付けないとね」


「おねえちゃんは?」


「私? 私は……お母さんがいてくれることかな」


 そう言うと、香織ちゃんはムッとした顔をする。


「……おねえちゃん、おかあさんのことおかあさんって呼んでるけど、おかあさんは香織のおかあさんなんだからね!」


「うん……そうだね。香織ちゃんのお母さんだ」


 どうやら、私がお母さんと呼んでいるのに不満があったみたいだ。

 考えてみたら当然だった。

 見ず知らずの人が突然やって来て、勝手にお母さんと呼んでいたら、お母さんが取られるんじゃないかと心配にもなるだろう。


 雨の中を、赤い傘を広げた人が歩いて来る。


「おかあさん!」


 飛び出したいようだけど、雨が強過ぎて踏み出せないみたいだ。


「ただいま! 雨凄いね、二人とも濡れてない?」


「お帰りなさい。早めに屋根の下に入ったから濡れてないよ」


「なら良し。はい傘、じゃあ帰ろうか」


 渡されたのはビニール傘。

 そこのコンビニで購入して来てくれたのだろう。


「ありがとう。でも……もう必要無いかも……」


 ゲリラ豪雨というのは厄介なものだ。

 せっかく買ってくれた傘が台無しになってしまうのだから。


「ありゃ、もうちょっと早く上がってくれないかな……」


「いいじゃない。お母さん、香織ちゃん帰ろうよ」


 火事がどうなったのか分からないけれど、私の時代には絵本も残っていたから、きっとマンションは無事だろう。

 

 あとは、事故が起こった道を避けて、無事に家に帰ったらいい。


 早く帰ろう。

 それだけでいい。

 それだけでいいのに、どうして不安な気持ちは消えてくれないのだろう。



   ◯



 雨上がりの道を歩く。

 曇天だった空に青が戻り、陽の光に照らされた道は光っているようにも見える。


 門司駅を通り過ぎて、マンションに向かう。

 

 あと少し。

 あと少しで到着する。


 マンションに近付くと消防車に加えて、警察車両に救急車の姿も見える。

 もしかしたら、誰か怪我をしたのかもしれない。


 お母さんが近くの警察官に尋ねると、どうやら一室が燃えるだけに留められたそうだ。


 良かった。

 これで、何事もなく一日を終えることが出来る。


 そう思ったんだ。


 それなのに、蛇行するトラックが走って来ているのが見えてしまった。


「お母さん⁉︎」


「え?」


 蛇行するトラックは、停車している警察車両に衝突するけど、勢いを落とすことなく歩道に乗り上げた。


 お母さんは逃げようと、私達の方に走って来る。


 歩道に乗り上げたトラックだけど、方向を変えて消防車に追突してしまった。しばらく引き摺った後で、縁石に乗り上げて横転してしまう。

 タイヤは動いているけれど、もう動くことは無いだろう。


「お母さん大丈夫⁉︎」


「今のは死ぬかと思った⁉︎ あれがカナの言ってたやつ?」


 二車線を潰して止まったトラックを見て、多分そうだと頷く。


「そうだと思う……」


 あのトラックがそうなのか、私には分からない。


 事故が起こった時の記憶が、私には無いのだから……。


「早くマンションに入ろう、ここに居たら危ないかも……」


 二人の手を引いて、マンションの玄関に誘導する。


 あそこに入れば、全てが解決する。


 だけど、そうはならなかった。


「避けろ‼︎」


 誰かの声がこだまする。


 声に反応して振り返ると、そこにはトラックから外れた大きなタイヤが走って来ていた。


 避けようにも、気付くのが遅すぎた。


 咄嗟だった。

 幼い私に覆い被さって、体に力を込める。

 私にはそれしか出来なくて、情けなくなる。


「おかあさん?」


「え?」


 幼い私の呼び声を聞いて、私は再び振り返る。


 叫びたくて喉が震える。

 でも恐怖で声が出て来なくて、泣きそうになる。


 私達を庇うようにお母さんが立っていて、タイヤを防ごうとしていた。


 赤い傘の残骸が飛び散って、まるで赤い血のように見える。それが不吉で、吐き気を覚えてしまう。お母さんは地面に叩き付けられて、タイヤはわずかに向きを変えてマンションに衝突して止まった。


「お母……さん……」


 ああ、何でこうなるんだろう。

 私は何の為にここに来ているんだろう。


「お母さん!?」


 這うようにお母さんの所に行くと、目が少し動いて、口が動く。


「……よかっ……た」


 コポリと口から血が溢れる。

 お母さんの目から光が失われる。

 命が消える。お母さんが死んじゃう⁉︎


「お母さん⁉︎ 誰か! 誰か助けて‼︎ お母さんが‼︎ お母さんが⁉︎」


 嫌だ、死んじゃ嫌だと泣き叫ぶ。

 助けてと、誰でもいいからと力の限り叫ぶ。


 救急隊が私の横を通り過ぎて、お母さんに駆け寄る。


 お願いします。

 お願いだから、お母さんを助けて下さい……。


 そう願いながら、私は涙を流す。


「おねえちゃん……おかあさんは?」


「香織ちゃん⁉︎」


 私は香織ちゃんを抱き締めて、大嫌いな言葉を使う。


「大丈夫だから! お母さん大丈夫だから! 直ぐに帰って来るよ! 大丈夫、大丈夫、大丈夫……」


 この言葉を、自分自身に使っているのに気付いて、言葉が途切れそうになる。

 それでも言い続けるのは、香織ちゃんが震えているからだ。


「香織ちゃん大丈夫だよ! お母さんならあれくらい大丈夫! 大丈夫だからね、大丈夫だから……」


 だから、助かってよお母さん。


 私は、救急隊の人に促されるまで、香織ちゃんを抱き締めていた。



   ◯



 私達は、警察車両に乗せられて病院に向かう。

 お母さんが運ばれる救急車には、一緒に乗せてもらえなかった。

 それだけ緊急を要するのか、もかしたら……。


 お父さんへの連絡は警察がしてくれるらしく、私達は待っていることしか出来ない。


 集中治療室の前で、私達は座って待つ。

 飲み物も購入しているけど、飲む気にならなくてまだ蓋を開けていない。


 病院の独特な匂いと、この静寂な空間に耳鳴りを覚える。

 恐らく、極度の緊張からだろう。

 香織ちゃんは大丈夫かと心配になる。


「香織ちゃん?」


「なに?」


 見てみると、香織ちゃんは平気そうな表情をしていた。


「大丈夫?」


「うん、だいじょうぶだよ。おかあさん、すぐにかえってくるんだよね?」


 ああ、私だ。

 この子は私だ。

 私が言った言葉を信じて裏切られる、幼い私だ。


 そして、私はもっと嘘をつく。


「……そうだね、良い子にして待ってたら、お母さんも、戻って、来るよ」


 声が詰まってしまう。

 我慢したいのに、感情が溢れ出す。


「おねえちゃん?」


 視界がボヤける。

 耳鳴りが更に激しくなる。


 手を見ると、半透明になっていた。


 何が起こっているのか、ようやく理解出来た。

 私はもう、この時代に残れない。もう終わりが来てしまったんだ。


 香織ちゃんの手を優しく包んで、最後の言葉を告げる。


「香織ちゃん、絶対に幸せになるんだよ。どんなことがあっても、幸せになるのを諦めちゃダメだよ。だってあなたは、お母さんに愛されているんだから」


 不思議そうな表情を浮かべている幼い私。


 どうか、幸せになってと願うと、視界は白く染まった。

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