病棟内ではお静かに
事故であれ病気であれ、病院に運ばれて騒ぐものは良く思われません。まあ当然ですね。でも運ばれた者もまた、不安でいっぱいなものなのですよ。でもその時の行動は、普段の様子を表していると思われても仕方がありません。せめても普段から、慌てないように心構えはしておくことをお勧めします、が、出来るわけないわな。人間ならば。まあわたしゃ、クマだけど。
さて、出先で倒れて気がついたら見知らぬ部屋でベッドに寝かされていた2018年春の私ですが、目覚めたのが当日か、翌日か、実はもっと後だったのかは、正直憶えていません。なにぶん目が開かない状態だったうえに、付き添いがいるわけでもない。意識ははっきりしてきてもすぐに自分の置かれた状況を理解できるようなものはおりません。もう少し落ち着いていれば、考えれば、倒れた実感はあったのだから判りそうなものですが、目覚めてしばらくは周りの状況も判らず、身体は縛られてでもいるかのように動かず(左半身麻痺してたんだから当然なのですが)、聞こえてくる音もざわめきが伝わってくるぐらい。光は多少感じたので今が日中である事だけは解ったのですが、部屋の状況がさっぱりわからない。自分の勝手な、勝手すぎておかしな想像力では、その時の自分の状況が、どこかの施設に捕らえられて、改造手術前なんではないか、という認識で、後に看護婦さんに軽く話を聞いた時に、自分の想像が恥ずかしくてたまりませんでした(まあ、誰にも言ったことありませんが)。それどころか、目覚めてずっと誰もそばに来てくれない放置状態だったこともあって、自分の存在が何か忘れられているんではないか、という妄想に捕らわれて、唯一動かせた右手で寝せられていたベッドの金属製の手すり?をかんかんと叩いて存在アピールを繰り返していました。誰か来て説明してくれるんではないか、と思った訳ですが、今にして思えばそのせいで、後にリハビリ転院した際に、申し送り事項が、問題行動を起こす、といったものになったようです。ここで一つ。緊急救命で運ばれた患者が、自分が患者であることを自覚しているか。確かに倒れた時点の意識がうっすら残っているときは何か喋った気はするのですが、自分が救急車で運ばれたことも、救急病院に今いることも、せめてその事実だけでも教えていただいていれば、もう少しできることはあったと思います。なんて勝手なことをと思わないでは無いですが、人間自分の状況なんて、正確に把握できているわけでは無いです。もっとも私は2度目で、その時は救命センターで加療中に目覚めましたので、麻痺等も無く、主治医の先生の多分こうだよと言うお話も聞けたので、ある程度落ち付いて自分の状況を噛みしめることが出来ましたが、そうでない者は前述の通り良くわからない妄想に耽ることもあるものです。せめてお医者さんのお話が聞ければ諦めようもあるというもの。実のところついにそちらの病院で主治医と思われる先生にお会いした記憶はありません。その翌日?担当の看護師さんに点滴の取り外しと、トイレ指導と食事を頂いて声を掛けてはいただいたのですが、基本的には呂律は回らない、体は動かない、家族はいない(隣町の救命病院だったので当然ですが、それを知ったのは更に数日後。)、目が良く開けられないときてついでに入院初めから問題行動を起こした呆れた患者だったわけです。看護師さんたちの覚えもそりゃあ良いわけがありません。今でも思い出すと顔から火が出る思いです。曰く、運ばれたかなあ、と感じたら、その場では大人しくいたしましょう。迷惑ですよ。普段からどんな人なのかなんて、初見の人にわかる訳がありません。まあ、そんな事普段から考えられるような人は、そもそも救急車で運ばれるような事態の陥らないとは思いますが。少なくとも、デブはいけません。思い当たる人はできるうちから減量しませう。この後病室放置と検査と採血の日々を送るのですが、例によってそれも次回。
さて、後から知った地元を管轄する救命病院でのクマの姿。見苦しいですね、覚悟がなっていませんね。でもそんな時だからこそ、自分の本性がわかるというものです。人の振りより我が振りに気をつけましょう。後から恥ずかしくならないように。




