何があったのか
事故であろうが病気であろうが、入院するという事は、心理的にも肉体的にも、金銭的にもダメージがあるものです。そんなところをせめても誰かの参考になるように書き記せれば・・・というより、記憶にあるうちに吐き出せれば、という趣旨です。特にそれ以上の、ましてやどなたかを揶揄したり批判しようなどという意図はございません。まあ、軽い気持ちで?読んでいただければ。不定期ではありますが。
今現在、介護保険上は「要支援2」というカテゴリーに属し、生活を送っている。体型上の問題も、生活習慣的な課題も持ち合わせているので、必ずしも一般の方の参考になるとも思えないのであるが、まあ、脳血管系の疾病に疑問をお持ちの方、実際に現業で働いている方の何らかの参考になれば、という建前はうっちゃって、要は書きたいから、書けることを書きたいように書く、という脳内ジャイアン設定で、可能な限り客観的事実に即して文章を書いていきたいと思います。知識、思い違い、自身等への配慮もからむでしょうが、実際に倒れた者はこんなことを思ったり、こんな経験をしたりする(もしくは、した、と思っている)ことを書いてみたいと思います。面白い話ではないし、まあそんな阿呆もいるものだという事で。では。
私が脳出血を起して倒れたのは、日にちは正確には覚えていないが、2018年の4月初旬のこと。実は倒れるのそのものは2回目の事で、一回目に特に障害が残るでもなく生き残れたのが運が良かったのか、はた迷惑だったのか。1回目はよく覚えていないのだが2009年頃だった筈である。東日本大震災の前、家に雑種猫の風太君が来る前なので、その辺である事は確かだ。調べればわかりそうなものだが、その気力は無い。日記をつける習慣も無いし、特に本筋にはかかわりが無い(わけでは無いと思うが)ことではあるし、何かあればまた書きたいと思うが、では、2回目は正しいのか?リハビリ入院中に秋田・金足農業が夏の甲子園準優勝した年で、リハビリ病棟のテレビでそれを見ているので、間違いはないだろう。なんとも情けない記憶法ではあるが、それが、日にちが残る事実で一番印象的だったのだから仕方ない。それと、夏の暑さは覚えているが、誰に会ったとか、人間についての記憶が無さすぎるのは少し問題だろう。
ともかく、2018年の春、サクラの開花が東北地方でも異常に早まり始めた年に、早朝7時頃、家の本業である農業の耕作物を販売していたスーパーの直売コーナーに野菜を並べていたその時に、ふと立ち眩みがして意識が遠くなるのを感じたのである。出荷用のプラスチック?製の箱に手をつこうとしたけれどかなわず、そのまま床に崩れ落ちる感覚はあった。朝起きた時は特に何の異常も無かったのに、つまり自覚症状はゼロ。気が昂っていたわけでも、沈んでいたわけでもない。普通に同業(同じ出荷の生産者)と言葉を交わし、値付けシールをプリントして、さあ、いざ野菜を並べようとした時である。近くにいた店の担当者に、「救急車を呼びますか?」と問われるのを遠く聞いた記憶がある。「2回目だから大丈夫。」とか答えたものの、今考えれば、大丈夫もねえわな。そのまま気を失って、次に気がついたら「見知らぬ天井」だったわけだ。一回目はそれと分かる救命センターにいたので、2回目に自分がなぜそこにいるのか自覚するのに随分かかりましたが、疲れてきたのでそれは次回。ずうずうしくも次回有で続けようと思います。
能書きはたくさんありますが、ともかくは恥の上塗りという感覚です。目覚めたクマがどういう状況だったのか、どうそういう自分を理解していたのか、そこでどのような対応をとったのかはまた次に。




