リハビリも後半
人間、いつまでも同じでは在りえません。いつもいつもそんな事を考えていてはしょうもありませんが、たまには今の自分を振り返ることも必要ではないかなどと、こんな風になってから考えてしまいます。とにかく、後悔が無い様に生きましょう。言うまでもないか。
さすがに2カ月も病棟にいれば、窓の向こうの東北道の混雑状況なり、新入りの患者さんとの交流なりが気になる頃であります。他はそう、大相撲中継とかそのうち始まる夏の甲子園とか。まだこの時点では東北勢は一校も優勝に届いていませんでした。数年後、仙台育英が夏の甲子園で優勝を遂げる事になるのですが、この年2018年は、何と言っても秋田県の金足農業が破竹の勢いで勝ち上がり、瞬く間に決勝まで進んで、そこで華々しく散る事になるのですが、病棟での話題は当然持ち切りではありました。私個人と言えば、この夏は(春からおかしかったけれど)異常気象の始まりを感じる暑さが気になりました。そう言えば倒れた春先も、サクラの開花の例年にない早さが話題だったっけ。今では常態化してますけど、昔々の東北南部では桜の開花は入学式のあたりだったものです。今じゃ、3月中には咲きますからね。季節感ってどこでしょ。自分で歩いてリハビリ場まで行く道すがら、もれてくる日光のあまりの熱さに、そう、暑さでなく熱さ。くじけそうになったモノです。病室の窓から見える外の植え込みも何と言うか熱波で枯れそうな気がしましたもん。そういえば、リハビリ入院していたこの病院、それからすぐ経営が変わりまして、何となく行きづらくなりました。看護士さん達も何人かお辞めになったみたいで寂しい事この上ないです。建物は健在ですが、今どうなってるんだろう?まあ部外者なんで、慨嘆するしかないんですよね。・・・ともかく、この時期は熱波の中、療法士さんの肩を借りながらも自分の足で立って、歩きながらエレベーターに乗り、一階にあるリハビリ場に行けるまでになっていました。最初の内の退屈極まりない軽作業が懐かしくなるころには、病院の中庭を支えられながらも散策するというメニューが追加され、人の顔が覚えられない人見知りの私でも普通に会話ができるぐらいにはなっていました。まずはその前に、建物内部の歩行練習場で、装具をつけて歩いたりとまったりするを繰り返して、まず歩くという事に再度挑戦するところから始めたわけですが。すぐに足が動いたわけでは無いし、その辺は担当の療法士さんが割とスパルタで、転ばなければいいくらいの強度で来る日も来る日も根気よく付き合ってくれたものです。その頃には自分でも気づかないうちに体重がMAXより30㌔近く減ってましたので、運動、食事の双方でいろいろケアしてもらっていたことに、今更ながら気づかされます。もちろん、というかそれでも今現在も体のマヒはとれていません。でもリハビリ施設に通って他の利用者さんと普通に会話できるのは、この頃の経験がものを言っているのは間違いありません。言語療法も同時に受けていましたけど、かなりあれな受講態度で担当の方には凄い面倒をかけたっけな。まあたまの休憩時間に、馬鹿話が出来るぐらいのいい雰囲気でした。それもまたモチベーションになったものです。そこで何故か音楽の話になって、たまたま中古ヘッドフォン収拾が趣味になっていた私は、時折可能になった一時帰宅の際に、コンディションの確認を行って来るべき退院に備えていました。そう、中古のヘッドフォンの趣味をひけらかすことによって、着々とお礼の仕方を練っていたわけなのです。どれぐらいお好きか、どういう風に持っていけば受け取ってもらえるかとかを考えていたのですよ。リハビリ加療中はお仕事がらみになってしまうので、友達としてくらいに仲良くなれば、そこまでハードルは高くないでしょう。リハビリの方にはそんな感じでアプローチしました。お礼と言っても、好みもあれば立場もある。無理強いはいけませんし、特別扱いも好かない。機械趣味のない人には、CDが喜ばれましたね。まあ、推奨は出来ませんが、そんな感じでお礼は致しました。お菓子とかは受け取ってもれないので。入院病棟の方には、主治医の先生に相談して、いらないよ、とは言われたけれど、気持ちですからどうにか、とお願いして入院病棟の方へ先生からという事なら受け取ってもらえました。あくまで退院後ですけどね。先生の方には、気さくな方だったから般若湯を。要は気持ちの問題です。でも入院中に模範患者でいることが重要です。さすがに問題児では何事かと思われますよ。入院にあたりやらかしたことが反面教師になったと思います。・・・そんな余計な画策をしながら、リハビリ入院の期限である8月末は近づいて来ました。ほかにも不安定な台の上で立てるようになる訓練とか、杖を使う訓練とか、やるべき事はいくらでもあります。もちろん患者それぞれ。リハビリ担当者それぞれでしょうが、とりあえず与えられた課題は、可能な限り全力で取り組みましょう。それが出来て見ないと次に進んでいいかなんてわからないものです。私は常々、「スキップがしたい」と宣言していましたが、それはまだ夢のようです。自らの負った障害は、そんな甘いものではなかったようで、とにかく転んで怪我をしないようにが、口を酸っぱく言われたことです。今、同じリハビリ施設に通う自分と同様の患者に私も同じことを言っています。もっとも、若輩者が言うのも口はばったいですが。でもソレが言えるくらいの年齢に、私もなってきてるんだよな。
余計なことをもうこの段階で書いてしまった。何してるんだろう。因みに、標題である介護認定は、あくまで目安であり、状態の正確な反映ではないことは、なってみて認定替えが行われてからわかる事です。その気になって可能な限り無理をしても良いというものでもないようです。私は入院時の要介護度で、寝たきり確定でしたから、といった話を退院後は書きたいと思います。もう8年前か。




