8.このずるい人生
「——君はいつから、薬が作れることを知っていたんだ?」
「え……?」
レイモンドの質問の意図がわからず、エレノアは間抜けな声を出す。
薬が作れることをいつから知っていたのか、なんて。
まるで、ふつうなら薬の存在そのものを知らないような言い回しだ。
(……あ、そっか。本当にそうなんだ、この世界は)
エレノアが気づくのと、レイモンドがさらなる質問を重ねるのは同時だった。
「薬って言葉は、“薬草”って言葉から“草”を意味する部分を外した、君の造語だろ。薬草を売る人のことを“薬師”、“薬屋”って呼ぶこともあって違和感はなかった。この国の人ならみんなすんなり意味がわかるだろうけど、概念としては特殊なものだ。でもエレノアはいつも、『薬』というものが当たり前に世の中にあるように話すよな」
「……確かに、言われてみればそうね」
レイモンドだけではなく、ロゼも含みをもった声で頷いた。
エレノアの見落としていた、この世界とのギャップがそこにはある。
「え……あれ? 薬って、ふつうにある言葉じゃ……」
エレノアの放つ言葉は生前話していた日本語ではなく、当然この世界の、このメディシーネ王国の言葉だ。
前世を忘れたまま10歳まで生きてきたこともあり、言語は自然に身についている。
でも、エレノアの思考はずっと日本語で、常識だって向こうの世界に即したままだ。
自然にこの世界の言葉で話しているつもりでも、常に小さな翻訳が必要になっていた。
(じゃあ私はずっと、無意識にみんなに伝わるような造語で話していたってこと? だから最初に薬を売り出しても怪訝な顔をされたり、薬草について聞き返されたりしてたの??)
混乱して、エレノアはレイモンドの顔がまともに見られなかった。
膝の上でこぶしをぎゅっと握りしめ、言葉を探す。
(出会ってからずっとそんな違和感があったなら、今更ごまかせるわけがないよね……。素直に話す? でも、それは)
気づいたら唇を強く噛み締めていた。
前世のことを話したくないのは、信じてもらえないと思うから……というだけではない。
もちろん変なやつと思われたらどうしよう、と不安に思う気持ちがないわけではないけれど。
それ以上に大きいのは、後ろめたさだ。
エレノアのことを評価して、応援してくれている人たち。
レイモンドも、ロゼも、二人だけじゃなく誰であっても、みんな自分の置かれた環境で力強く生きている。
彼らの前で、「自分は運良く生まれ変わったので、前世で叶えられなかった夢をこの世界で追っています」……なんて言うのは、自分だけずるい気がして。
打ち明けてがっかりされる勇気が、エレノアにはなかった。
「……えっと…………」
視線を彷徨わせ、唇を開いては閉じるエレノアの様子を見て、レイモンドもまた困ったように眉根を寄せていた。
気づけば彼の大きな手が、エレノアの頬に触れる。
「わ」
「あ……悪い」
エレノアが驚いて顔を上げたせいで、レイモンドの指先がエレノアの柔肌に埋まる。
慌ててレイモンドは手をどかし、そっぽを向いた。
差し伸べられた右手はハンドルの上に戻っていく。
「は、話したくないならいい。そんな深刻な話だと思ってなかったというか……その。そんな顔をさせたくて聞いたわけじゃない」
「ぁ——」
レイモンドの言い方が気にかかって、バックミラーに映る自分の顔を見る。
エレノアは自身でも気づかぬうちに、不安げな、泣きそうな表情を浮かべていた。
「……すみません」
「いや。こっちこそ」
車内に苦い沈黙が流れる。
やがてその空気に耐えかねたように、レイモンドは何も言わず王都へと車を発進させた。
* * *
ロゼを王都へ送り届けた頃には、空はすっかり夕暮れの色になっていた。
朝から何も食べていなかったエレノアは、レイモンドの案内を断って、一人で王都を歩く。
去年から何度も王都に通っているおかげで、ずいぶんこの大きな街にも慣れた。
景色こそ近未来だが、都会というもののあり方は現代日本と変わらない。
都心で一人で歩いている女がいたって、誰も気に留めないし、不審にも思わないだろう。
だから一人でも大丈夫——と思ったのに。
「はぁ……。嫌だな、なんか急に心細くて……」
レイモンドの質問にうまく答えられなかったあと、二人の間にはずっとぎこちない空気が漂っていた。
ロゼを見送るときは穏やかに話せていたのに、二人になったらうまく話せない。
そんな経験は、出会ってから初めてだった。
(いつか、話さないといけないのかな)
たとえ失望されてしまうとしても。
本当はすごいアイデアと情熱を秘めた薬師なんかじゃなくて、ただのなりそこないの薬剤師未満なのだとバレて、呆れられるとしても。
想像するだけでつらい。
けれど、ごまかして逃げている今も同じくらいつらかった。
だったらいっそ話してしまった方が、気持ちよく次のステップに進めるのかもしれないと思う。
「はぁ〜……」
「ちょっと、そこの君」
ため息をつきながらトボトボと歩いていると、進行方向に立つ男性から声をかけられた。
男性は騎士服に身を包んでいた。
レイモンドのそれとは少し色もデザインも違うが、別の班の衣装だろうか。
「ここから先はパレードの準備で立ち入り禁止だ。……というか君、迷子か?」
男性は困ったようにエレノアに問いかける。
ハッと顔をあげてあたりを見渡すと、いつの間に迷い込んだのか、そこは大通りを外れた知らない路地裏だった。




