6.実験の結果は
「それじゃ、麻酔をかけるわよ」
「はい、お願いします」
ロゼはラットのケージに手をかざし、詠唱を始める。
麻酔と言っても、もちろん薬品を注入して感覚を鈍らせるわけではない。
その正体は、魔物の動きを鈍らせ反応を悪くする“鈍化魔法“である。
治癒魔法ほど珍しいものではないが、エレノアもレイモンドも専門魔法には詳しくない。
だからロゼを呼んだのだが、その甲斐はあったみたいだ。
さっきまでケージをガリガリ引っ掻いていたラットたちは一瞬でおとなしくなり、微睡みはじめる。
「よし、効いたかな。じゃあ失礼して……こんなもんか?」
レイモンドは手際良く、動かないラットの背中に傷をつける。
ラットは多少刺激を感じたような素振りを見せたが、抵抗することはなかった。
(よかった。魔法はちゃんと効いてる。あとは……これが、本当に効くかどうか)
エレノアはレイモンドと入れ替わりに、ラットたちのうずくまるケージに近づく。
彼らの背中を伝う赤々とした血を拭って、エレノアは薬を差し出した。
いちばん右のケージに入ったラットには従来通りの、生の薬草を。
真ん中のラットには薬草ビーフを。
左の子にはラット本来の治癒力の基準を見るため、何も渡してあげられない。
しかたなくゴワゴワしたその頭の毛を撫でて、エレノアは一歩下がる。
「眠たそうだけど、ちゃんと食べてますね」
「なるほど。マウントラットを使って傷の治りを確かめる実験ですか」
「はい。成功例が飛竜だけだと説得力に欠けますが、ラットは哺乳類……えっと、人間と同じ生殖方法をとる、身近な生き物です。人で試す前の参考になるかと」
哺乳類という分類はこの世界にはない。
魔物と人間はあくまで別の種族だと思われているはずだ。
エレノアは慌てて言葉を取り繕いながら、ジュードの質問に答える。
その後ろでレイモンドが訝しげに目を細めたことに、エレノアは気づいていなかった。
* * *
「タウロス5頭って……あの人は何日ぶんの食事を作るつもりなんだ」
「バーベキューパーティーができちゃいますね。保管場所は大丈夫なんでしょうか」
「それもこっちに丸投げだ。俺は役人じゃないんだけどな」
ぶつぶつと文句を言いながら、レイモンドは手元のタブレット端末を操作している。
結論から言うと、実験は成功だった。
薬の投与から30分経った時点で、それぞれのマウントラットの傷を観察する。
薬草を食べたラットAの傷は、わずかな痕を残してほぼ完治。
対してラットB——薬草ビーフを食べたラットの背中にはかさぶたができていた。
何も食べなかったラットCの傷がまだ開きっぱなしの生傷だったことを思うと、薬草には及ばないにしてもかなりの効果だろう。
さらに、薬草と同じように、加熱すればもっと効果が上がる可能性も見込める。
ただの健康食品という言葉には収まらない、れっきとした回復食である。
(焼肉が体力回復の材料になるって、ゲームの世界みたいで不思議な感じ。思いついたのは自分だけど……)
うまくいってほしいと思っていたのは事実だが、いざうまくいくと驚いてしまう。
ぽかんとするエレノアをよそにレイモンドがノイヤール侯爵に連絡したところ、侯爵からは即座に短い返事が届いたそうだ。
「『5頭ほど買っておいてくれ。遠征で食べよう』って。まずどうやって遠征に持っていく気だ。それで誰が調理するんだ」
「上級騎士の悲しい役目ね、あの自由人と穏便に連絡取らないといけないんだから。バーベキューなら手伝ってあげるわよ」
レイモンドの嘆きに、ロゼも同情している。
エレノアですらノイヤール侯爵には振り回されているのだ、近くにいる彼らなら尚更だろう。
かける言葉が見つからず、エレノアは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
(でも……うまくいってよかった。侯爵を失望させていたら、レイモンド様はもっと大変な目に遭っていたかも)
そう思ってホッとしていると、ジュードが3人の元にやってきた。
「皆様、本日はありがとうございます。今、すでに捌いた1頭とは別に、追加で4頭を精肉工房に手続きしてまいりましたが……他はいかがいたしましょう?」
一同の視線がエレノアに集まる。
あくまで責任者はエレノアだ。判断をするのも、エレノアの役目である。
「そうですね……本格的に売り出すのは、多分騎士団で効果が確認できてからになると思います。今まだ牧場にいるタウロスは、出荷までもうしばらく待てますか?」
「ふむ。不可能ではないですが……維持費もバカにならない。例年通り繁殖も行なうなら、餌代だって増加するのみになりますよ。それでもあとから元を取れるとのお考えですかな」
「はい、かまいません。絶対にタイミングが来ます」
エレノアは頷いた。
王都は流行がものを言う街だ。
この1年間で何度も王都を訪れて、エレノアはそれを実感していた。
まだエレノアの薬は流行っていない。
知っている人は知っているし、騎士や冒険者の間では評判もよく、買い手もいる。
けれどまだ、名前は轟ききっていない。
薬草ビーフを売りたい相手は一般の騎士や冒険者ではなく、飲食店や精肉店を営む商売人たちだ。
彼らに確実に売れると思わせられないと、今度こそ理解されずに無駄に終わってしまうだろう。
だからこそ、タイミングを作る下準備が必要だ。
デボラとの契約のこともあるし、エレノアだって、ただ時を待つだけのつもりではない。
「何か考えがあるみたいだな」
レイモンドがニヤリと笑って立ち上がり、エレノアの肩を叩いた。
エレノアはホッと顔を綻ばせてから、レイモンドの方を見て小さく頷く。
「はい。今回も聞いてくれますか、レイモンド様?」
「もちろんだ。できることはなんでもするって約束だろ?」




