4.いざ牧場へ
「よし。これで今月分、全部納品できる……! ロランさん、今月も本当にありがとう」
「いえいえ。しかし毎月ギリギリですね、俺たちは」
「今月は特に……新人さんがこんなに多い月、初めてだったもんね。新年度は厳しいんだなぁ」
山積みになった薬の数を数え終えて、エレノアは安堵の声を上げた。
今年になって新しく構えた薬作りの工房は、何ヶ月経ってもまだまだ難しいことばかりだ。
この国では9月に年度が切り替わり、人々の生活が大きく変わる。
工房で薬を作ってくれている従業員もかなり入れ替わったので、騎士団に納める今月分のノルマ達成はかなりギリギリになってしまった。
エレノアとともに工房の管理をしてくれているロランも、声は明るいが、疲れ切った顔をしている。
年度明けがこんなに大変だとは、思いもよらなかった。
去年の今頃はまだ薬を王都に卸していなかったのだと思うと、時間の流れをひしひしと感じてエレノアは身震いする。
(騎士団と契約して、1年。薬が爆発的に流行るとかはなかったけれど、取引は順調に続いてる)
薬草より効きがよく、治癒師がいなくてもその場で使える薬は騎士団の人々に重宝されているらしい。
王都に行くたび送迎してくれるレイモンドから話を聞くが、評判は上々だ。
もちろん、レイモンドのことだから贔屓目が混じっている可能性もあるけれど。
「また王都まで直接持っていくんですか? 大変っすね」
「うん。本当は配送でもいいんだけど、今回は牧場の様子を見たいから。もうすぐ1世代目のタウロスが大人になるんだって」
「おっ、じゃあついに薬草ビーフが成功してるかどうかわかるってことっすか!」
大量の薬が入った箱を担いだ、ロランの顔がぱっと明るくなる。
エレノアの挑戦が成功することもそうだが、彼が本当に楽しみにしているのはその先だろう。
薬草ビーフの製造がうまく行ったら、デボラが自分のレストランを持つときの大きな支えになれる。
「失敗してたら嫌だなぁ……」
「っすね。まあ、強気が大事ですよ、俺には難しいことは全然わかんないけど。誰かの故郷じゃ成功してるんでしたっけ? あれ、誰に聞いた話なんですか?」
フェルノースでは聞いたことないし、とロランはつけくわえる。
エレノアはぎくりとして目を逸らした。
「えっと……本で読んだ話、だったかな〜?」
下手くそに誤魔化しながらも、エレノアの背には冷や汗が伝う。
(薬草ビーフは前世の記憶で思いついたことだけど。失敗しましたってなったら絶対、追及されるよね……)
前世なんてオカルトじみた話、この世界に来てから一度も聞いたことがない。
口にしたら自分を信じてくれている人が離れてしまう気がして、一度も、誰にも明かしたことはなかった。
(何も怪しまれないように、これからもうまくことが進みますように)
積み上がった薬入りの箱を眺めながら、エレノアは心の中で強くそう祈った。
* * *
それから数日経った、9月末日。
エレノアはレイモンドの運転で王都に向かっていた。
魔導車の後部座席と背面のトランクには、薬入りの木箱が詰め込まれ、ガタガタとぶつかって鳴っていた。
「まずは騎士団の詰め所に寄って、それから牧場でいいんだよな」
「はい。お願いします」
「にしても……すごい薬の量だな。大変だっただろ」
レイモンドは後ろの物音が気になるようで、運転中もチラチラと背後を振り返っている。
彼の言う通り、9月末までの納品ノルマはいつもよりかなり多かった。
「何かあるんですか? 遠征とか」
「あぁ。遠征もあるけど、この時期は近衛騎士が忙しいからそっちだろう」
「へぇ。近衛騎士ですか」
王都の治安維持や要人の警護だけをする騎士のことを、遠征によく行くレイモンドのような騎士と区別するためにそう呼んだはずだ。
王都で何かイベントでもあるのだろうか、と聞こうとしたところで、車は早くも騎士団詰め所に到着した。
騎士団との用事をさっさと済ませて、牧場に向かう。
このあと薬草ビーフの出来を確かめてきます、とノイヤール侯爵に報告したかったのだが、会うことはできなかった。
忙しい方だろうから、しかたない。
牧場に着くと、管理人のジュードが待ちかねたと言わんばかりにソワソワしながら出迎えてくれた。
彼は手に何か鍵を持っている。
「エレノアさん、お待ちしておりました。薬草飼料のみで育てたタウロス、試しに捌いた一頭分が届いていますよ」
「はい! さっそく試しましょう!」
「そのことなのですが……味や品質はともかく、薬としての効き目はどのように試すのでしょう? 怪我人や病人を用意しますか?」
「あ……」
何も考えていなかった。エレノアは黙り込む。
薬の開発に明け暮れていた数年前は、自分の体の見えないところを傷つけて薬を試していた。
でもそれはもうやらないと、ロランとデボラと約束してある。
言葉に詰まるエレノアを見て、ジュードは手の中の鍵を所在なげに鳴らした。
「冷蔵保管室に置いているので、しばらく鮮度は保ちますが……容量も運用費も無限ではない。できるだけ早く試して、今後の方針を決めなくてはなりませんよ」
「そうですよね。でも、どうしたら……」
「俺が試そうか? 傷にも慣れてるし」
見かねたレイモンドが後ろから声をかけるが、エレノアは強く首を振る。
それではエレノアが自傷するのと何も変わらない。というか、いちばん嫌だ。
「ダメです! 絶対にダメ……なんですけど、どうしたら——」
そのとき、レイモンドの足元に何かがすごい勢いで走り寄ってくるのが見えた。
綺麗な外出用のブーツのかかとにガジリと灰色の塊がかじりつく。
「なんだ、このっ。今取り込み中なんだよ」
レイモンドは反射的にその毛玉を掴み上げた。
マウントラット。前にここに来たときにも見た、無害な小さい魔物だ。
「あ——それ! その子です、レイモンド様!」
「……え?」
レイモンドの手の中でぷひぷひと鼻を鳴らす憎らしい魔物の顔を見た途端、エレノアの脳裏にはひらめきが舞い降りてきた。




