1.歴史を作れ
エレノアは小一時間ほど、手元のノートと睨めっこしていた。
びっしりと小さな文字で埋め尽くされたそこには、これからやるべきことが羅列されている。
王都から帰ってきた翌日。
デボラから退職の申し出があったことも重なって、疲労はひとしおだ。
それでもこれ以上店を休むわけにはいかないので、朝から起きて開店準備を済ませる。
キャシーが出勤してきてくれたので、彼女に接客を任せ、隣で別の作業中だ。
「……キャシーさんって、夢とかやりたいことってあります?」
「引き抜いておいてそれ、聞きますー?」
「う、すいません。でも、ギルドの受付で何か叶えたい夢があったわけではないんじゃないかな、ってなんとなく……」
「まぁ、そうですねー。もし何か思うところがあれば、エレノアさんにはついてきていませんけどー……」
キャシーは少し考え込む素振りを見せた。
彼女の個人的な事情は、あまり聞いたことがない。
何が出てくるかと息を呑んで見守ると、キャシーは声音を明るくして小首を傾げる。
「夢といえば、国外旅行に行ってみたいですかねー」
「ええっ? な、なんかかっこいい答えが来そうだったのに」
「かっこよくないですかー? 難しいんですよー、手続きとか」
そう言いながら、キャシーはチラリとエレノアの手元のノートを見た。
『騎士団への納品(毎週)』、『王都でのプロモーションの提案』『牧場との連携方法を決める』『塗り薬の開発?』『王都の出店場所探す』……『まずは父さんに相談かなぁ』——まだまだ細かい字が連なっている。
王都にいる間にエレノア自身が書いたことなのだが、改めて見返すと参ってしまう。
このうえに、さらにデボラを引き止めるために言った契約のことまで重なってくるのだから。
「いつでも絶対に大きな目標が必要ってわけじゃないでしょうー? いいチームメイトと長く一緒にいたいとか、そんなことでも頑張れるならオッケー、ですー」
「う。へへ、見透かされてますね」
王都でも薬が流行るといいな、くらいに最初は思っていた。
だけどレイモンドの言葉で、自分にしか救えない人が王都にもいるなら、放っておけないと思うようになった。
そして今はそれ以上に、デボラのことを応援したい。
薬屋がここまで来るのを助けてもらったように、今度はエレノアが助けたいのだ。
(デボラちゃんが夢を叶えるためのお手伝いをする。今はそれが、私の目標だ)
* * *
「騎士団との契約を足掛かりに、王都での飲食店事業に融資したい……と」
「はい」
数日後。エレノアが訪れていたのは商業ギルドだ。
最奥にあるギルド長の部屋で、仕事モードの父と向き合う。
「エレノア。お前が薬草の研究を始めてから、俺は父としてずっと誇らしく思っていた。10歳そこらのわがまま娘が、自分の道を見つけたのだと」
「……どうしたの、急に?」
そんなに仕事モードでもなかったかもしれない。
目を閉じて回想に浸り出す父に、エレノアは呆れて顔を引きつらせる。
しかし父はニヤけた顔を一瞬で真顔に引き戻した。
「しかし同時に寂しくもあった。まるで別人になったかのようなお前の変わりよう! 商売人、薬屋としてのエレノアも変わらず俺の娘だが、ただの娘ではないのだ」
「つまり?」
「つまり! 他人として、辛口にアドバイスさせてもらう!」
エレノアの前世のことも、父はもしかしたら勘づいているのかもしれない。
いちばん近くでエレノアのことを見てきた人であり、この親バカ具合だ。
察していても不思議ではない。
そのうえで、父は今のエレノアを見てくれていた。
「まず、従業員が足らん。そのレストランをやりたいからやめるという従業員も、本当は過酷な労働環境から逃げたくて言っているのかもしれん」
「デボラちゃんに限って、そんなことは……」
「まあ、ないだろうがな。条件や可能性の話だ。今の賃金と労働時間では人は定着せん」
薬屋は専門職だし、忙しい。だからお給料は世の中の平均より少し高めにしているし、キャシーはギルドから引き抜いたので尚更だ。
それでも安すぎると父は言う。
「賃金を上げるか、労働時間を減らすか。しかし賃金を上げすぎると将来困るのはわかるな?」
「はい。王都に進出したら、王都の物価に合わせてさらに昇給しないといけなくなるから」
「うむ、そうだ。だからまずは一人あたりの労働時間を減らす。そのためには多くの人を雇い、しっかり教育することだ。求人はこちらでやっておこう」
「えっ」
エレノアは手元のメモからがばっと顔をあげる。
「いいの? ギルド長がそんなこと、安請負いして」
「安請負いなものか。フェルノースから王都に進出できた店が、これまでいくつあると思う」
「え? えっと……聞いたことないけど、あるでしょう? ときどきは」
父——ギルド長はニヤリと笑い、椅子を鳴らして勢いよく立ち上がった。
「フェルノース商業ギルドの300年の歴史上、たった2件。当然俺の代ではまだゼロだ」
「え……」
「お前は歴史を作れるぞ、エレノア」
誇らしげなその顔に、エレノアの胸はドキリと音を立てた。




