18.もっと幸せな未来
「夕飯、本当にこんなのでよかったのか? うまい店ならいくらでも案内するのに、」
「いいんです。それより、明日の予定なんですけど……」
ホテルのロビー。
レイモンドに送ってもらったエレノアは、大きな紙袋を抱えていた。
市場で買ってきた、今日の夕食と明日の朝食のための惣菜やパンだ。
レイモンドは不満そうにしていたが、エレノアは夕食をゆっくりレストランで食べているような気分ではなかった。
気持ちが沈んでいたわけではない。
むしろ、その逆。
「観光の予定、なしにしてもいいでしょうか? 出発を少し遅らせて、そのあとこの場所まで連れて行ってほしいんです」
「これは……貸与証か。シグルド宰相の牧場だな」
「はい。せっかく貸していただくなら現地を見ておかないと! それに今後のスケジュールも立てなくては行けません。旅行中だからって、ぼんやりしているわけにはいきませんよ!」
エレノアがそう意気込むと、レイモンドは眉を上げた。
そして複雑そうに、口の端をもにょもにょと動かす。
「火がついてるな。俺としては、もっと気ままに息抜きのできる日を用意したかったんだが……」
初日はノイヤール公爵に誘われて王城へ。
二日目の今日はレイモンドの魔素型のこともあって、朝から慌ただしかった。
そのあとは店の視察をしただけで、観光らしいことはほとんどしていない。
レイモンドはそれが気になっているようだったが、エレノアは笑顔を浮かべて首を振る。
「大丈夫です。楽しかったですよ、王都。でももっと楽しいことがこの先にあると思うんです。私だけじゃなくて、たくさんの人が幸せになる未来です!」
嬉しそうに目を細めたエレノアを前に、レイモンドは何も言えなかった。
* * *
夜、エレノアは手帳にびっしりと今後の予定を書きつけた。
自分のやりたいこと、できること。しなければならないこと。
優先順位を決めて、フェルノースに帰ったあとのタスクをまとめていく。
そして翌朝……というか、ほとんど昼ごろ。
ホテルのチェックアウト時間ギリギリまで机に向かっていたエレノアは、急いで荷造りをしてロビーに降りた。
当然、そこにはレイモンドが準備万端で待っている。
「お、間に合った。行こうぜ」
「……はい!」
無理を言った自覚はあったが、レイモンドはエレノアの言葉を信じてくれる。
いつも、助けられてばかりだ。
エレノアは小さく息を吐き、駆け足で魔導車の助手席に乗り込んだ。
「タウロス50頭の牧場と聞いたから、もっと山奥かと思ったが……」
「はい、驚きました! 王都の近くに、こんなに広い牧場があるなんて!」
車を降りると、緑の香りが鼻を刺す。
二人の目の前にあるのは、木組みの小屋。そして柵にぐるりと囲われた、一面の草原だった。
「おや、うちの牧場に御用ですかな?」
門の前に車を停めてぼけっと景色を見ていると、管理棟らしき建物から初老の男性が姿を現した。
エレノアは居住いを正し、懐から牧場の貸与証を取り出す。
「はじめまして……! フェルノースから来ました、エレノアと申します! 実はこれ、シグルド宰相から……」
「ああ、あなたが。話は聞いておりますよ」
男性はあっさりと頷いた。
情報の速さに驚いたエレノアがぽかんとしていると、男性は管理棟を指した。
「お話はあちらで。私はジュード、この牧場の支配人です」
「ジュードさん。よろしくお願いいたします」
「俺は二級騎士、レイモンドです。今日は付き添いですが、よろしくお願いします」
エレノアとレイモンドはあいさつをして、管理棟に足を踏み入れた。
木造の建物に入ると、飼料と木材の匂いが混ざった、独特の空気が鼻腔を満たす。
(本当に牧場だ……修学旅行を思い出す……)
きょろきょろしていると、何人か仕事中の人たちとすれ違った。
そのたびジュードはエレノアのことを紹介してくれ、皆にこやかにエレノアを歓迎してくれた。
「お話はあちらで……おや、どうされましたか? 難しい顔をして」
「いえ。ただ、突然来て『この牧場を借りたので私のために働いてください』、なんてとても言えないと思ってきたのですが……みなさん歓迎してくださって、驚いてます」
「はは、そうでしょうなぁ。しかし、あのお方が見込んだ人なら、間違いはないでしょうから」
ジュードはにこやかに言うが、その言葉の奥にはシグルド宰相への信頼に満ちていた。
(がっかりされないようにしないと。宰相の顔に泥は塗れないし……)
管理棟を抜けると牧場の敷地内だ。
緑が広がる区画の端にテラスがあり、パラソルの下に机と椅子が並んでいる。
「職員の休憩スペースですが、ここでお話しいたしましょう」
「はい……わっ、今何か走って……!?」
席に座ろうとしたエレノアの足元を、小動物が数匹、追いかけっこしながら走って行った。
勢いで、スカートの裾がひらりと巻き上がる。
呆気に取られるエレノアを背に、手際よく犯人を捕まえたのはレイモンドだ。
「マウントラットか。自然豊かな証拠ですね」
「ぷびー!むぎぃっ!」
レイモンドの手の中で暴れるのは、灰色の短い毛を持つネズミだ。
長い前歯を剥き出しにして悔しそうに唸っているが、暴れてもレイモンドの手から逃れることはない。
一緒に走っていた数匹の仲間は、無情にも散り散りになって建物の下に逃げ込んでいった。
「害獣というほどでもないですが、増えて増えて……タウロスたちにいい環境を作った結果、ラットたちにも住みよいのでしょうねぇ」
「害がないなら逃してあげてもかまいませんか?」
「ええ」
「そうか? せっかく捕まえたのに」
レイモンドは少し惜しそうに、ラットを地面に下ろす。
ラットはレイモンドの靴にペッと唾をかけて走り去っていった。
「アイツ……」
テラスからは牧場の全容が、遮るものなく見える。
シグルド宰相の言葉通り、50頭のタウロスがのびのびと、穏やかに生活していた。
彼らも魔物の一種であるが、見た目も味も、前世でいう牛と変わらない。
(というか、牛をこの国の言葉で呼ぶとタウロス……ってことなのかな。ビーフとか、牛って言っても普通に伝わるし)
気ままに草を食んでいる牛を眺めながら、エレノアは本題を切り出す。
「この牧場を貸していただくことになったのには、経緯があって……繁殖させて、生まれた子どもを薬草入りの飼料で育てたいんです。もしかしたら治癒力のつく牛肉ができるかもしれません」
「なるほど。それで薬師の方に牧場の貸し出しですか」
「はい。どうでしょうか……?」
無理を言って不満を溜めたら、迷惑を被るのはエレノアではなく貸主であるシグルド宰相だ。
おずおずと尋ねると、ジュードは難しそうに顔をしかめた。
「タウロスの餌は、我々が丹精込めて開発してきたものです。それを変えるとなると、多大な時間と労力がかかる」
「そこをなんとか、協力してもらえないだろうか? 宰相殿のためにも」
レイモンドが助け舟を出してくれた。
ジュードは額に拳を当てて、むむむと唸る。
「では、そうですね。エレノア様」
改まって名前を呼ばれ、エレノアは姿勢をピンと正した。
何を言われてもめげずに返さなくては、と息を呑むエレノアを、ジュードの視線がまっすぐ射抜く。
彼の目つきは柔和でありながらも、王都の貴族社会で揉まれた鋭い光をたたえていた。
「……あなたの希望が実現したとして。我々にどんなメリットがあるのですかな?」




