12.思い違い
その夜。エレノアはレイモンドの案内で、王都の城下町にある市場を歩いていた。
報告会が終わり、貴族二人の善意による猛攻から逃れて、エレノアが王城を出たのは14時ごろだった。
それから昼食を買ってホテルに向かい、荷解きが終わる頃にはエレノアはどっと疲れていた。
見かねたレイモンドが、夕飯に誘ってくれたのだ。
「……エレノア、まだ体が強張ってないか? そんなに疲れたか」
「何もわからないまま無料で牧場と薬草を渡されたんですよ? 体も固まります。私、失礼はなかったでしょうか」
「大丈夫だろ。あの人たち、もうそんなこと気にする段階にいないよ」
確かにノイヤール侯爵もシグルド宰相も、身分のことなど一つも気にかける素振りはなかった。
庶民であるエレノアに対しても、薬作りの腕を買って対等に接してくれる。
(だからこそプレッシャーなんだけどね。私はただ薬草を加工してるだけで、そんなにすごいことをしているつもりはないし)
そもそもレイモンドだって騎士だ。身分の差はここにもある。
生まれは同じ町で、同じ庶民でも、そこから積み上げた努力の質が違うのだから。
「それに、今も緊張してますよ。レイモンド様は突然高級店に連れて行ってくださったりするので!」
「え? あー、たしかに、前はそうだったか。今日は高級店ではないよ。流行りの店ではあるが」
レイモンドの言葉通り、行き着いたのは大衆酒場だった。
メニューに書いてある値段を見てエレノアはホッとしたのも束の間、席に通されて周りを見ると、隣もまたその隣もカップルが並んでいる。
「これはこれで緊張するんですけど……」
「はは、悪い。評判を聞いて気になってたんだが、一人じゃ来づらくてな」
レイモンドはわかっていて連れてきたらしい。
エレノアが背中を丸めて居心地悪そうにしていると、レイモンドはメニューを指し示した。
「怒らないでくれ。ここ、新鮮な魚料理が名物なんだ。だから連れてきたくて。いくら魔導輸送が速いとはいえ、フェルノースじゃ魚はどうしても冷凍とか干物だろ?」
「そ、それは……かなり、魅力的です」
「だろ?」
得意げにレイモンドは笑う。
メニューに並ぶのは、新鮮な刺身に焼き魚にフライ。
ちょうど昼間にみかんブリのことを考えていたのもあって、エレノアのお腹は堪えきれずくうと鳴った。
「こんなおいしいお魚、久しぶりでした。いや、初めてかも……」
……今世では。
レイモンドの言うとおり、フェルノースでは新鮮な魚にありつけない。
前世には当たり前にあったスーパーのお刺身も冷凍食品の魚フライも回転寿司も、この世界にはないのだから。
食事を終え、満たされた気分のエレノアを、レイモンドは満足げにニコニコして見つめる。
二人とも少しお酒も飲んで、ほろ酔いのいい気分だ。
あとは眠るだけだが、ホテルはレイモンドの自宅からそう離れていないらしく、送ってもらうことになった。
「そういえば、レイモンド様って何型なんですか?」
「おれは波形だな。だからデボラとロランの薬のほうがよく効くはずだ。非常に悔しいがな」
「……そうですか」
意外な答えに、エレノアは目を丸くする。
何かまずいことを言ったと思ったのか、レイモンドは慌てたように眉をひそめた。
「どうした?」
「いえ、私の薬に感激していただいてたので、てっきり同じ舟か、鉾かと……」
「あぁ、そういうことか。確かに、エレノアの薬以上に効くことなんてありそうにないが……まだデボラたちの薬を使ったことないからな。試してみるよ」
「はい、ぜひ。報告待っています」
ホテルに到着し、エレノアがロビーに預けていた鍵を受け取るのを見届けてから、レイモンドは踵を返した。
片手をあげて、軽やかに振る。
「それじゃ、また明日。明日こそちゃんと王都観光をしよう」
「はい、ぜひ!」
笑顔でエレノアも手を振り返す。
こうして、王都の旅1日目が終わった。
そして翌朝。
ホテルのロビーに降りると、すでにそこではレイモンドが、神妙な顔つきでエレノアを待っていた。
「……すごく言いにくい報告があるんだが…………」
「なんでしょう……?」
嫌な前置きに、エレノアはおずおず尋ねた。
するとレイモンドは、着ていた長袖の服をまくって見せる。
そこには、転んでできたような擦り傷の痕が残っていた。
「昨日、あのあとほろ酔いで人助けをしてたら怪我しちまって」
「ええっ。大丈夫でしたか?」
「ああ。それでちょうどいいから薬を試したんだ。黄色の袋がデボラたちのだろ? それで、今がこれ」
薬を飲んで一晩眠ってもまだカサブタが残っているということは、相当大きな傷だったのだろう。
心配すると同時に、エレノアは眉をひそめる。
「前に私の薬を使ったときは、もっと効きが早かったですよね……?」
「やっぱりそうだよな? 俺もそう思う。俺の魔素型の診断が間違ってたのか? それとも、エレノアたちの説が——」
レイモンドも同じことを感じていたらしい。
だから言いにくい報告と言ったのだ。
エレノアは顎に手を当て、じっと考え込む。
「工房の人たちの協力があったとはいえ、人の主観をアンケートで集めただけの調査結果なので。間違っていたり個人差があったりする可能性は大いにあります。で、でもだとしたら、私えらそうに昨日、皆さんに説明しちゃいましたね……!?」
「調べてみてもいいか? 今日も観光の予定が潰れることになるが——」
「もちろんです、ぜひお願いします! でも魔素型のこと、どうやって……」
「心当たりはあるんだ。一緒に来てくれ」
騎士団の人々に、薬の効き目について説明してしまったばかりだ。
もし間違っていたなら信用に関わるし、フェルノースに戻る前にきちんとタネを明かして、説明して帰りたい。
エレノアはレイモンドに促されるまま、彼の運転する魔導車に乗り込んだ。
車で走ること1時間ほど。王都を出た二人が向かったのは、南東の森の奥。
ツタが絡みつく洋館の前に、レイモンドは魔導車を止めた。
排気音で来客に気がついたのか、洋館の重たそうな扉は中から音もなく開いた。
「……? どうしたの、昨日の今日で」
「メメルさん!?」
不思議そうな顔をして出てきたのはメメルだ。
エレノアは目を丸くする。この旅ではよく彼女と会うらしい。
「魔素型のことで相談があってな。師匠に会いにきたんだ」
「なるほど。ちょうど暇してる、入って」
レイモンドはメメルに会いにきたのではなく、彼女の師匠に会いにきたらしい。
エレノアもおっかなびっくりしながら、洋館に足を踏み入れる。
玄関を通り抜けるなり、奥の部屋からひょこりと顔を出したのは、シワシワでヨボヨボのお爺さんだった。
ただの老人ではない。どこが顔なのかわからないレベルのシワシワだ。
「ひっ」
「こちら、わたしの師匠。名前はすごく長いから師匠で大丈夫」
「……し、師匠、さん。よろしくお願いします。すみません悲鳴あげて」
「ふしし。気にせずともよい。そいで、魔素型の検査じゃな」
話すと口の場所がわかるおかげで、なんとなく顔もどこかわかった。
そして師匠は、ただでさえシワだらけの顔をさらに顔をくしゃりと歪めて、まだメメルにしか説明していない要件を言い当ててみせた。
外でした会話が聞こえていたのか、何か共有する方法があるのか。
当たり前に魔道書らしき分厚い本を広げはじめた師匠に、エレノアは驚く。
「できるんですか? 魔素型検査!」
「それで一財築いとるでの。騎士団の検査も昔はようやったのぉ……」
「その節はどうも。600人近い一斉検査を1日で終わらせた、すげー魔法士なんだぜ」
「へぇ……!」
メメルの師匠と言うから、てっきり防衛魔法の専門家なのかと思ったが。
それだけでなく、他にもいろいろできるらしい。
魔道書をぺらぺらめくった師匠は、レイモンドの立ち位置を指で指し示した。
そして素人には判別できない何かの呪文を唱えると、あっという間に魔道書の上の魔法陣がレイモンドを包む。
「ふむ。ほう、これは——」
レイモンドの眼前に、淡い緑色の光が浮かび上がる。
その瞬間、何かおもしろいものを見たように、師匠はギラリとした笑みを浮かべた。




