8.雪解け、そして初雪
「いいのか、俺までご馳走になってしまって?」
「もちろんです。といっても大したものはご用意できないんですが……」
ここ数日、忙しさにかまけてエレノアはきちんとした夕飯をとっていない。
冷蔵庫には数日放置された食材がそれなりにあったはずだ。
魔法のおかげで傷むことはないとはいえ、気持ち的にそろそろ消費したいころだ。
申し訳なさそうにちょこんと座るレイモンドを残して、エレノアは台所に向かう。
するとデボラも急いで後をついてきた。
「料理でしたら、お手伝いします!」
「わ、ありがとう。百人力だよっ」
「では私もー」
キャシーも取り残されまいと女性陣に合流した。
残されたレイモンドとロランの間には、微妙な沈黙が降りる。
先に口を開いたのはロランだった。
「知ってたんだな、妹のこと」
「……何の話だ?」
唐突なロランの言葉に、レイモンドは眉をひそめる。
しかしロランは気にせず言葉を続けた。
「俺を試すとか何とか言って、王都のやつを寄越しただろ。あのとき、医療費の未払いが判明したと言われて信じかけたのは心当たりがあったからだ」
「あれは……仕掛け人のやりやすそうなシナリオを、適当にでっちあげただけだ」
「嘘だな。神殿への未払いなんて、普通に生きてちゃまずありえない。そのレベルの大罪だから、デボちゃんパパは俺をどやしたわけだし」
数ヶ月前、ロランを試すと言ってレイモンドが仕掛けた策は、実はかなり無理のあるものだった。
王国の役人を名乗る男がある日突然ロランの前に現れ、告げたのだ。
『神殿医療費の未払いが判明した。逮捕されたくなければ今すぐ500万ゴールド用意せよ』と。
未払いとはいわば国への借金のようなもので、年月が経っていれば金額が膨れあがってもおかしくない。
納得はしたが、大金をポンと出せる余裕はロランにはなく、なんとか猶予をもらえないかと尋ねたところ役人は唇を曲げた。
そして、店の金を盗むよう唆されたのだ。
ロランは結果としてその口車には乗らなかった。
かといって何か他に解決策があったわけでもない。
デボラの一声で嘘だとわからなければ、ロランは役人の言葉を信じ切って、思い詰めていたことだろう。
そこまで疑いを持たなかったのには、理由がある。
「お前は知ってたんだ。俺の妹が、不治の病を患ってずっと神殿に入院していること」
「……」
「医療費はずっと俺が払ってる。親はもういないからな。そういう事情を知らないと、あんなにうまく騙せなかったはずだぜ」
試され、騙されかけたことでロランは逆に気がついたのだ。
レイモンドは何も知らず、姉のクズ彼氏として自分を恨んでいるのではない。
ロランの抱える事情も全て知ったうえで、怒っているのだ。
迷いなく断言したロランの言葉に、レイモンドは観念したように頷いた。
絞り出すような低い声で、レイモンドは答える。
「——そうだな。全部知ってたよ。お前の妹が病気で入院してて、でも竜災の直前に体調が少しだけよくなって外出許可が降りて、久しぶりに兄妹水入らずの時間を過ごせるって。楽しそうに話してたよ。死ぬ前日のカシミアは」
「あぁ」
「だから予想もつく。俺たちを助けに来る前、カシミアはお前と会ってたな。去り際に暗示でもかけたんだろ? お前が、大切なものを失ったことに気づかないように。ちゃんと水入らずで妹と会えるように」
ロランはレイモンドの言葉を聞いて、長く息を吐いた。
「そこまで知ってたのかよ。ならなんで……」
「は、知ってたら許されるとでも? 暗示一つで忘れるようなら、そこまでの気持ちだったってことだろ」
「そっ、それは暴論だろ! ただの暗示じゃねえ、フェルノース1の、未来の大魔法士の本気の暗示だぞ!? 俺みたいな一般人が防げるわけ……」
冷たく切り捨てるレイモンドに、ロランは慌てて弁明にもならない弁明をする。
するとレイモンドは、予想外にもフッと鼻で笑った。
楽しくて笑ったわけではないのだろうが、笑顔自体目の前で見るのは久しぶりで、ロランは驚いて押し黙る。
「防げとは言ってねぇ。ただ、思い出したらすぐ家まで走ってくるとか、あっただろ」
「それは……ひどいことをした、自覚はあったから……」
「お前の罪悪感なんか知るか。俺はただ、一緒に悲しみたかったんだよ」
7年越しに聞く、レイモンドの本心。
さみしいその言葉は、ロランの心にするりと入り込んで、ぎゅっと心臓を締めつけた。
震える唇をゆっくりと開く。
ごめん、と言おうとした小さな息に、台所から聞こえる明るい声が重なった。
「おまたせしました! 夕飯、できましたよっ」
「薬草入りで、疲労回復効果も望めますー」
「お口に合うといいのですが……」
大鍋を持って台所から戻ってきたエレノアたち。
どこかナチュラルハイのようにも思える、明るい彼女たちの勢いに圧されて、レイモンドとロランは顔を見合わせた。
「……あれ? な、何の笑いですか? 何か変でした!?」
「いや、何でも」
「ウチの店長はかわいいなーと思って」
ロランがそう言った瞬間、レイモンドはぎろりとロランを睨む。
しかしその視線には、かつてのような複雑な恨みの色はもうこもっていなかった。
「ははっ、騎士様の嫉妬はこえーっすねー」
「……なっ、本当に、何の話ですか?!」
* * *
大鍋のシチューと、他にも用意したサラダや焼き魚はどう考えても6人前以上あったと思うのだが。
気づけばぺろりと平らげてしまっていた。
他愛もないことを話しながら仲間たちと食卓を囲むのは、飛ぶように過ぎるのに離れがたい、かけがえのない時間だった。
フェルノースの中心街に宿をとっているというレイモンドと、それぞれの家に帰る従業員たちを送り出して、エレノアは眠りにつく。
そして、翌朝。
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい、おかげさまで」
「それはよかった」
薬屋に真っ先に現れたのはレイモンドだ。時計はまだ朝7時過ぎを指す。
店の開店時間にはまだ早いが、エレノアは軒先に出た。
すっかり冷えた空には、ちらちらと雪が舞っている。
「わぁ。……初雪、かな」
「こっちは早いんだな。もう冬か」
「ですね。すっかり……」
空を見上げながら、エレノアは荷物のたっぷり入ったボストンバッグをレイモンドに託す。
そして、扉の前に看板をかけた。
「臨時休業」——街の人々のことだけを考えて、まだ一度も出したことのなかった看板を、初めて使う。
前々から相談していたことだが、決断したのは昨夜だ。
「よかったのか? 今まで皆勤だったんだろ」
「気にならないと言えば嘘になりますけど……みんなに無理させるほうが、もっと嫌だなって。昨日思ったんです」
「なるほど。確かに、ここ数日は全員働き詰めだったな」
昨日までへとへとになるほど薬作りをがんばってくれたデボラとロラン。
その間、接客を一人で請け負ってくれたキャシー。
3人をねぎらうためにも、3日間だけ店を休むことにした。
その間エレノアは、できあがった薬を持って王都に向かう。
騎士団の人たちに薬の使い方をレクチャーして、可能なら薬が売られる王都のお店を視察して。
それから息抜きになるような、楽しいこともしたりとか。
(自分もちょっとは大切にしなきゃね。そして、私のやりたいことを見極めたい)
ご褒美の小旅行とレイモンドは言った。
エレノアもそう思って楽しみにしていたが、ただ遊びに行くだけではない。
デボラとロラン、それに新しくやってきてくれたキャシー。
みんなが支えてくれるこの薬屋の、未来のためにも。
「……いってきます!」
早朝のシンと張り詰めた空に向けて、エレノアは宣言するように声をあげた。




