1.有意な個人差
「薬の効果が違うって、どういうこと? まさかレシピを伝え間違えてた? でも、二人でちゃんと試作したのに……」
デボラの言葉に、エレノアはうろたえる。
もし本当にデボラの薬作りがうまくいっていなかったなら、この1ヶ月、薬屋は信頼を落としたことだろう。それに、薬が効かなくて苦しんだ人もいるかもしれない。
しかしデボラは落ち着いていた。
「私も最初は、何か間違えていたのかと思ったんですけど。どうやら違うんです。人によって、効きにくくなったと言うお客様もいれば、効きやすくなったというお客様もいましたから」
「えっ……じゃあ、作った人によって合う合わないがあるってこと……!?」
「はい。きっと、そうとしか考えられません。売上も、プラスマイナスゼロってところなので」
知らなかった。だってエレノア以外に、エレノアのレシピで薬を作る人など今までいなかったのだから。
店が危機に陥らなかったのはいいことだけれど、予想外の出来事だ。
唖然とするエレノアに、続いてロランが横から声をかける。
「それで、薬の効き目について常連さんにアンケートをとったんスけど……これまた難しくて。これ、資料です。年齢も性別も買ってくれた薬の種類も関係なく、効果が下がった人もいれば、上がった人もいる——としか言えなくて。こんなのたまたまじゃ起こりえないだろうけど、理由もわからないんスよね」
「ありがとう。……これ、どうやって見るの?」
「二本指で広げるように引っ張ると拡大しますよ。こう」
ロランから渡された光る薄い紙には、グラフや表が並んで印刷されている。
前世で言うタブレットのように、指で印刷面に触れて操作できるみたいだ。
どう見ても材質は紙なのに。きっと、最新の魔導印刷の一種だろう。
おぼつかない手つきでグラフの値にズームして数字を読みながら、エレノアは首を傾げた。
そもそも、薬作りのなかで個人差が出る工程なんて一つもない。
この間の遠征のような旅先ならまだしも、家で作る薬は全て均一の出来上がりになるよう、魔導具を使って調整している。
手順通りに素材を入れ、魔導具に魔力を流し、失敗しないように見守るのが、この店の薬作りだ。
「人によって変わるのなんて、味付けくらいだよね。蜜を入れたり塩を振ったりするのは手動だから、そこで効果が……? でも、蜜はともかく塩はただの塩だもんね。何も起こらないよね」
「はい。でも薬草チップスも、効き目に変化がありました」
薬草やハーブを揚げて軽く塩をまぶすだけの薬草チップス。
デボラが実家の工房用に買ってくれているのもあって、一番データが集まっている。
偶然の誤差が生じただけとは到底思えない、ぐねぐね曲がった折れ線グラフを、エレノアは顎に手を当てて難しい顔で見つめた。
「……ちょっと、この資料は預かっててもいい? 私の方で調べてみたいの」
「ぜひお願いします」
資料をカウンターの奥に仕舞う。今夜は資料と植物図鑑とにらめっこすることになりそうだが、その前に二人を帰さないと。
ちらりと窓から覗いた外は、どんどん暗くなっていく。ちょうど太陽が山に隠れていく時間だ。
「また何か分かったら報告するね。改めて、二人とも私が不在の間、お店を守ってくれてありがとう」
「とんでもないですっ」
「どういたしまして。おかえりなさい、店長」
正反対の返事をするデボラとロランの姿は懐かしくて、帰ってきたという実感が湧く。
二人のためにも店の未来をしっかり考えて、立ち向かわないと。エレノアは決意を新たにした。
「……あ、そういえば店長からも話があるんじゃ?」
エプロンを外し、すっかり帰り支度を終えたところでロランがふと思い出したように呟く。
しかし、エレノアはゆっくり首を振って、二人を安心させるような笑顔を浮かべた。
「大したことないし、今日は大丈夫。また仕事中、暇なときにでも話すよ」
「なーんだ、遠征のおみやげ話ってことスか? じゃあぜひ、レイモンドと竜の対決の話でも聞かせてもらおうかな」
「私も聞きたいですっ。あ、レイモンド様のことが気になるのではなくその、遠征の話が……!」
「ふふっ。それじゃ、また今度ね」
笑顔のまま、エレノアは帰っていく二人を見送る。
彼らの背が見えなくなるまで待って、エレノアは小さくため息をついた。
本当は騎士団から持ちかけられた契約について、二人にも話そうと思っていた。
でも咄嗟に誤魔化してしまったのは、現状のエレノアたちではどれだけ乗り気になったとしても、契約を果たすことは不可能だと気づいたからだ。
騎士団に本当に薬を卸すことになるなら、今以上の大量生産が必要。
デボラだけじゃなく、ロランにも薬を作ってもらうことになるかもしれない。
もしそれで薬の個体差が広がったら? 薬の効き具合を信じて作戦を立てた騎士たちの命を危険に晒すことになるだろう。
薬屋として、自分の扱う薬の効果がよくわからない、なんて状態、あってはならないのだ。
「……改めて勉強しなおさないとな。ここは私の常識も知識も通用しない、異世界なんだから」
店の扉を閉め、一人になったエレノアは小さく呟く。
そして、ロランからもらったアンケートの資料を片手に、徹夜の覚悟で2階の自室に上がるのだった。




