5.騒ぎ来たる街
その日神殿は、一瞬で蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。
昼すぎの、待合客が増える時間帯。
治癒師はホリーと他にもう一人だけと少なく、怪我や体の不調を抱えてやってくる人々の対応に追われていたときだ。
受付に男が一人走り込んできて、騎士団の敗走を告げた。
神殿に次々と運び込まれてくる、傷だらけの騎士たち。
騎士の体を載せた担架が、普段からこの神殿を利用している街の患者たちを押し除ける。
さらには、肩を貸し合いながらふらふらと歩いて向かってくる、軽傷の騎士たちもいた。
(これは……数が多すぎて、二人じゃ手が回らないぞ)
ホリーは苦々しい顔で状況を見つめていた。
騎士団は国の命で動く公的な軍機関だ。神殿の規則として、有事には一般人よりも騎士を優先して治療しなくてはならない。
「騎士団の方の治癒を優先させていただきます! 一般患者の皆さまの治療再開は、今から5時間後の夜7時。夜7時を予定しております! ご了承ください!」
神殿の待合室に、シスターの案内が響きわたる。
治療を待っていたざっと20人以上の街の患者たちは、戸惑ったように顔を見合わせたり、ため息をついたりしていた。
(申し訳ないな。本当に今すぐ治療が必要な騎士なんて、ほんの数人だろうに……)
事態をもどかしく思ったホリーの脳裏に、友人の顔が思い浮かぶ。
ホリーは近くを見渡し、受付で忙しそうに作業をしていたシスター・ミルコを呼びつけた。
「一般患者を帰らせるのなら、エレノアの薬屋を案内しておいてくれ。何かの助けになるかもしれない」
「それは、かまいませんが……あの薬屋を、どうしてそこまで繁盛させたがるのです」
彼女はエレノアの薬屋を、営業初日から殴り込むほど敵視していた。
今も眉をひそめて不満そうに尋ねてきたが、ホリーは穏やかな笑みを浮かべて迷いなく答える。
「宣伝したいわけじゃないよ。ただ……患者の治療を先延ばしにするということは、彼らの苦しむ時間を延ばすということだ。1秒でも早く患者たちの痛みや苦しみを消してあげたいだけ」
「…………」
ミルコはホリーの顔から目を逸らし、逡巡するように数秒間黙り込んだ。
そして、しばらくすると何か決心したように、深く頭を下げて待合室へと走っていった。
(きっと大丈夫だね。あとは頼むよ、エレノア……)
ホリーは待合に向かうミルコの背を見送ったあと、傷を負った騎士の待つ治癒室へと向かった。
60床近くあるはずのベッドは、すべて騎士たちで埋まっていた。
「ホリー様! こちらへ!」
最初に治癒室に運ばれてきたという騎士はひどい出血をして、体にいくつも打撲痕をこさえていた。
この人は間違いなく緊急だ、とホリーはその男の枕元に駆け寄る。
ひゅうひゅうと苦しそうな息をするばかりで、意識もない。
体を隅々まで見て、傷の場所を確認しながら、ホリーは騎士の体の上に手をかざす。
「――この身に宿るは万象の根源。神より賜りし生命の奔流をして、其方の傷を灌がしむ」
穏やかな声で、ホリーは治癒魔法を詠唱する。
眼鏡の奥の瞳の金色が強く輝き、傷だらけの騎士に向けた指先から糸のような光が溢れた。
むき出しになった赤黒い裂傷や、黒く変色した打撲痕に光の糸が絡みつく。
ホリーが指先を細かく動かすのに呼応して、光はするすると騎士の体を伝い、傷を治療していった。
あっという間に傷が塞がり、皮膚の色が戻っていく。
苦しげだった騎士の呼吸は、いつの間にか穏やかな寝息に変わっていた。
* * *
「稼ぎ時が来たぞ、嬢ちゃん!」
「か、稼ぎ時?」
ディエゴが晴れやかな声で戻ってきたとき、エレノアの頭の中にはハテナマークがたくさん浮かんでいた。
言葉をオウム返しにするエレノアに、ディエゴは畳み掛けるように外の様子を話す。
「騎士団が大怪我してこの街に助けを求めてきたんだと! 噂によりゃ近くの遺跡調査中に魔物が出て、天井が崩落したらしい」
「えぇっ!? それは大変……!」
一瞬で情報を集めてきたディエゴの手腕にも驚いたが、それより何より緊急事態だ。
神殿がパンクするほどの怪我人がもしやってきたとしたら、薬を必要とする人もいつもより増えるかもしれない。
(ど、どうしよう。ちょうど薬の在庫がなくなってきてたんだよね……)
この薬屋の簡素な設備では、薬草も薬もそう長持ちしない。
在庫は少量ずつ補充することにしている。
ちょうど今日、閉店後に収穫からまとめてやろうと、後回しにしていたところだ。
落ち込みかけたエレノアだが、ディエゴがこの状況を稼ぎ時と呼んでくれたのが心強かった。
エレノアはキッと顔を上げ、ディエゴに頼み込む。
「ディエゴさん、店番をお願いできませんか!? 私、今から畑に行って足りない薬草を取ってきます!」
「お、おう。かまわねえけど……店番って具体的に何を」
「お客さんが来たら、適当なセールストークで場を繋いでいてください! すぐ戻るので!」
そう言い残してエレノアは裏口から店を飛び出す。
薬を売るのに資格の必要ない世界でよかった。
普段なら歩いて15分ほどかかる薬草畑へ、エレノアはカンカンとブーツの足音を鳴らして駆けていく。
「はぁ、はぁ……よし、薬草を――」
膝に手をつき、荒い息を整える。
目の前には、薬草が青々と生い茂る小さな畑。
先が二又に分かれた細長い葉っぱが、風に吹かれてさらさらと揺れている。
しかしそれよりもエレノアの目を引いたのは、一人の男の姿だった。
畑のそばの道を、足を引きずりながらふらふらと歩く、長身の青年。
騎士団の制服を着ているが、服はボロボロ。
顔や手にも、ところどころ土の汚れがこびりついているように見える。
「どうしてここに騎士様が……だ、大丈夫ですか!?」
『遺跡調査中に魔物が出て、天井が崩落したらしい』――ディエゴから聞いた話を思い出し、エレノアは慌ててその男に駆け寄った。




