5.騒ぎ来たる街
その頃、神殿は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
治癒魔法とは、傷や病気を癒やす奇跡のような魔法だ。
とはいえ治癒師も人間。癒やす速度には限りがあるし、魔力にも限界がある。
だから複数の治癒師で交代しながら神殿を回すのだが、こんな田舎町ではそもそも人材が見つからない。
平日の昼過ぎ、ただでさえ神殿は混雑していた。
「子どもが朝から熱でぐずって。やっと連れて来られたんですけど、どのくらい待ちますかね?」
「申し訳ありませんが、今からだと1時間以上お待ちいただくかと」
顔を赤くして眠る子どもをあやしながら、母親が尋ねる。
受付に並ぶ神殿のシスターたちも、なんとかしてあげたいのは山々だがやりようがなかった。
残念なことに、これがフェルノースの神殿の日常である。
——バタン!
「大変だ、緊急事態だ!」
突然、大きな音を立てて扉が開く。
眠っていた子どもが目を覚まして、驚きのあまり泣き出した。
日常業務もままならないところに舞い込んできた、さらなる非日常。
受付に走り込んできた泥だらけの男は、騎士団の敗走を告げた。
「近くの山で調査をしていた騎士団が壊滅状態。治癒師も数人しか同行しておらず、みな意識不明のため神殿の協力が必須とのことです。……どうします? ホリー様」
「困ったね。しかし国の規定で、僕たちは騎士を優先しなくてはならないよ」
「そう、ですよね。私、患者様に事情をお話ししてきます!」
治癒室まで事情を知らせにきたシスター・ミルコは、再び待合に戻っていく。
ホリーもそのあとに続いて、騒がしい神殿の入り口に向かった。
次々と運び込まれてくる、傷だらけの騎士たち。
彼らを載せた担架が、普段からこの神殿を利用している街の患者たちを押し除けていく。
(数が多すぎるな。休みの同僚たちに休日出勤を要請して……それでも今日中に治しきれるかどうか)
ホリーは苦々しい顔で状況を見つめていた。
「騎士団の方の治癒を優先させていただきます! 一般患者の皆さまの治療再開は、今から5時間後の夜7時。夜7時を予定しております! ご了承ください!」
神殿の待合室に、シスターの案内が響きわたる。
治療を待っていたざっと20人以上の街の患者たちは、戸惑ったように顔を見合わせたり、ため息をついたりしていた。
(申し訳ないな。本当に今すぐ治療が必要な騎士なんて、ほんの数人だろうに……)
事態をもどかしく思ったホリーの脳裏に、友人の顔が思い浮かぶ。
ホリーは背後から、ミルコにそっと声をかける。
「一般患者を帰らせるのなら、エレノアの薬屋を案内しておいてくれ。何かの助けになるかもしれない」
「それは、かまいませんが……あの薬屋を、どうしてそこまで繁盛させたがるのです?」
彼女はエレノアの薬屋を、営業初日から殴り込むほど敵視していた。
今も眉をひそめて不満そうに尋ねてきたが、ホリーは穏やかな笑みを浮かべて迷いなく答える。
「宣伝したいわけじゃないよ。ただ、患者の治療を先延ばしにするということは、彼らの苦しむ時間を延ばすということだ。僕も彼女も、1秒でも早く患者たちの痛みや苦しみを消してあげたいだけ」
「…………」
ミルコはホリーの顔から目を逸らし、数秒間黙り込んだ。
しばらくすると、彼女は何か決心したように深く頭を下げて、街の患者たちの元へと走っていった。
(きっと大丈夫だね。あとは頼むよ、エレノア)
ホリーは待合に向かうミルコの背を見送ったあと、傷を負った騎士の待つ治癒室へと向かった。
60床近くあるはずのベッドは、すべて騎士たちで埋まっている。
「ホリー様! こちらへ!」
最初に治癒室に運ばれてきたという騎士はひどい出血をして、体にいくつも打撲痕をこさえていた。
この人は間違いなく緊急だ、とホリーはその男の枕元に駆け寄る。
ひゅうひゅうと苦しそうな息をするばかりで、意識もない。
体を隅々まで見て、傷の場所を確認しながら、ホリーは騎士の体の上に手をかざす。
「――この身に宿るは万象の根源。神より賜りし生命の奔流をして、其方の傷を灌がしむ」
穏やかな声で、ホリーは治癒魔法を詠唱する。
眼鏡の奥の瞳の金色が強く輝き、傷だらけの騎士に向けた指先から糸のような光が溢れた。
むき出しになった赤黒い裂傷や、黒く変色した打撲痕に光の糸が絡みつく。
ホリーが指先を細かく動かすのに呼応して、光はするすると騎士の体を伝い、傷を治療していった。
あっという間に傷が塞がり、皮膚の色が戻っていく。
苦しげだった騎士の呼吸は、いつの間にか穏やかな寝息に変わっていた。
* * *
「稼ぎ時が来たぞ、嬢ちゃん!」
「か、稼ぎ時?」
ディエゴが声を張り上げたとき、エレノアの頭の中にはハテナマークがたくさん浮かんでいた。
言葉をオウム返しにするエレノアに、ディエゴは畳み掛けるように外の様子を話す。
「騎士団が近くで壊滅しかけて、この街に助けを求めてきたんだと! 何かの崩落に巻き込まれたって噂だ!」
「えぇっ!? それは大変……!」
間違いなく、緊急事態だ。
神殿がパンクするほどの怪我人がもしやってきたとしたら。
苦しみながら治療を何時間も待たなくてはいけない人が出てしまう。
(……そっか、だからこそ稼ぎ時なんだ。困っている人たちを助けて、薬の評判を上げるチャンス!)
エレノアは慌てて薬の在庫を確認する。
甘く味つけして固めたキャンディと、ディエゴがよく買いにきてくれる薬チップス。
それらの在庫がかろうじてあるくらいで、到底大量の病人をさばける量ではない。
(補充を後回しにしてたツケが……。でも、諦めるわけにはいかない!)
落ち込みかけたエレノアだが、ディエゴがこの状況を稼ぎ時と呼んでくれたのが心強かった。
エレノアはキッと顔を上げ、ディエゴに頼み込む。
「ディエゴさん、店番をお願いできませんか!? 私、今から畑に行って足りない薬草を取ってきます!」
「お、おう。かまわねえけど……店番って具体的に何を」
「お客さんが来たら、適当なセールストークで場を繋いでいてください! すぐ戻るので!」
そう言い残してエレノアは裏口から店を飛び出す。
土地を借りて細々とやっている薬草畑まで、全速力で走った。
「はぁ、はぁ……よし、薬草を――」
膝に手をつき、荒い息を整える。
目の前には、薬草が青々と生い茂る小さな畑。
先が二又に分かれた細長い葉っぱが、風に吹かれてさらさらと揺れている。
しかしそれよりもエレノアの目を引いたのは、一人の男の姿だった。
畑のそばの道を、足を引きずりながらふらふらと歩く、長身の青年。
騎士団の制服を着ているが、服はボロボロ。
顔や手にも、ところどころ土の汚れがこびりついているように見える。
「どうしてここに騎士様が……だ、大丈夫ですか!?」
『騎士団が近くで壊滅しかけた』――ディエゴから聞いた話を思い出し、エレノアは慌ててその男に駆け寄った。




