19.一つの提案
行軍は正午から。
ライカンはそう宣言し、その場は一度お開きになった。
空はどんよりとした曇り空。
騎士も、治癒師も、魔法士も。みな装備を確かめ、武器を磨き、出陣の準備をしている。
エレノアは彼らの背中を見つめながら、ひとり芝生でぼんやりと座っていた。
(みんな、命懸けで戦いにいくんだ。竜災を防ぐために……)
7年前、故郷を襲った竜災のときも騎士団の人たちが懸命に戦ってくれていた。
治癒師はいなかったけれど、魔法士はいたのだろう。
当時のエレノアに見分けはつかなかったが、派手な魔法が土砂崩れを止めて、街を守ってくれたのを覚えている。
あのときもたくさんの人が亡くなった。
もしかしたら、きっとこの場所でも、これから——誰か、死ぬかもしれない。
「エレノア」
名を呼ばれてエレノアははっと顔をあげる。
そこには心配そうに自分を見下ろすレイモンドの姿があった。
エレノアはお尻を払って、慌てて立ち上がる。
「すみません、ぼうっとしていました。どうしましたか?」
「……いや。すまない、こんな状況に巻き込んで」
「ぁ……いえ。危険があることは、わかっていましたから。ホリーに嫌というほど言い聞かされて……」
エレノアは作り笑いを浮かべて、なんとかレイモンドの苦しそうな表情を和ませようとした。
もうすでにたくさんのものを背負っているだろう人に、これ以上の気苦労をかけたくない。
「えっと、準備、は? 何か手伝うことはあるでしょうか。薬、持っていきますよね」
「そのことで、ひとつ相談があるんだが」
苦い声でレイモンドは言った。
ただごとではない雰囲気を感じ取って、エレノアは不安になって眉を下げる。
昨日だって、薬を持って調査に行くと突然言い出した。
そして蓋を開けたら、単独で竜の巣を見に行っていた、とか。
そんなレイモンドがバツの悪そうな顔をしているということは、また何か、危険なことをしようとしているのだろう。
でもこんな状況じゃ、エレノアにはそれを叱って止める権利もきっとない。
「……聞くだけ、聞きます」
渋々そう返したエレノアの複雑な感情は、レイモンドにも伝わっているらしい。
レイモンドはガシガシと頭を掻き、首を回し、空を見上げて深呼吸してから言った。
「たとえばの話、だぞ。君の作る薬をあらかじめ口に含んでおいて、攻撃を受けた瞬間飲み込むとするだろう? ちゃんと100%、絶対に、抜かりなく飲めたとして、だ。それで攻撃を受けたそばから傷を治療していくことで、治癒魔法に頼らず継続的に前線で戦うことができる、かどうか。いや、そういう作戦を……君は、どう思う?」
歯切れの悪い語尾。つまりは薬を使ったゾンビ戦法と言ったところか。
言いにくそうな彼の言葉には、どこか縋るような思いが含まれている気がした。
しかし薬を作った張本人として。エレノアに言えることは、一つ。
「…………推奨できる使い方では、ありません」
「っでも、それがもし可能なら! 俺たちは、治癒師を前線に連れていかなくて済むんだ……!」
「それ、は——」
「俺ひとりなら治癒師を連れていかなくて済む。でもそれはダメだって、一人じゃ危険だと止められたんだ。騎士がついてくるのはいいさ。信頼してるし、みんな覚悟の決まった奴らだ。でも治癒師は違う。ここで死ぬべきじゃない」
「それはあなたたちだって!!」
エレノアはつい、強い言葉で反駁する。
レイモンドの前でこんなに大きな声を出したのは初めてではないだろうか。
目を丸くするレイモンドを見てハッと正気に戻ったが、それでも自分の言葉を撤回する気はなかった。
「すみません。でも治癒師が生きるべきで、騎士なら命懸けでかまわないっていうのは、違います」
「っ……ああ、すまない。言葉選びを間違えたな。君に心配をかけたいわけじゃないんだが」
「わかって、ます。わかってますけど……薬は所詮薬です。飲み込めなかったら効きませんし、死んだら、治りません」
レイモンドは言葉に詰まる。
理由はわかる。エレノアの声が震えていたから。
彼の顔が見れず、うつむいて自分の爪先を見ながらエレノアは言葉をつなぐ。
昨日の帰り道に傷ついたのか、靴の先を覆う布がほつれて、靴下が透けて見えていた。
この遠征のために、うきうきして選んだハイキングシューズだったのに。
「レイモンド様の考えもわかりますし、作った薬はあるだけ全部託します。私はついていけないからっ、……使い方なんてどんな風でもわからないし。でも——」
エレノアは一度こそで言葉を切った。
正解なんてわからない。ここで何を言ったとしても、結果次第ではエレノアは自分を責めて、悔やんで、苦しむことになるのだろう。
どちらがいいか、なんてエレノアは選べない。
(……だけど、レイモンド様を信じることなら、できる)
顔を上げる。目に溜まっていた涙がぱたりと一筋、地面に落ちた。
でもエレノアはそんなこと気にしていなかった。
視界に入るのは、目の前の頼もしい騎士一人だけ。
「私が薬を作っているのは、人の苦しみを軽くするため、です。できればそれは、覚えていてください」
まっすぐに、そう言い放つ。
あなたに全て託します、と言ったつもりだった。伝わっているかはわからないけれど、少なくともエレノアにとっては。
エレノアの視線を受け止めて、レイモンドは頷いた。
その大きな手がエレノアの方に伸ばされる。たくさんの戦いをくぐり抜けてきた手だ。
彼はエレノアの頬についた涙の跡を、優しく拭う。
「ああ、肝に命じるよ。君の薬の優しさは俺が一番知っているからな」
恥ずかしい褒め方。
照れ隠しを言おうかと思ったが、何も言葉は浮かばない。
涙を拭ってくれた手がいつか離れていってしまうと思うと寂しくて、エレノアは両手でレイモンドの手をぎゅっと押さえた。




