17.一難去って見たものは
気を昂らせて向かってくる竜の動きは読みやすかった。
レイモンドは完全に見切って、小さな身のひねりだけで突進を躱す。
しかし竜だって何も考えなしではない。
すれ違った瞬間、羽を広げて飛竜は減速する。
くるりとその場で方向を変えて、羽の一振りで風を起こした。
ただの風ではなく、魔力で生み出された風の刃。
人の体など容易に切り裂く、凶悪な一撃だ。
「悪いな。それは効かねえん、だッ!」
レイモンドは風に逆行して飛竜の目前に迫る。
鋭い風はレイモンドに当たった瞬間、ふわりとほどけて消えた。
攻撃を無効化された竜は、何が起きたのか理解しないまま硬直している。
その透き通る瞳に、レイモンドは容赦無く剣を突き立てた。
——ゴギュアアアッ!?
痛みに反応して、飛竜は口から炎を吐き出した。
牙の間から漏れるように火が広がり、地面を埋め尽くす草をチリチリと燃やしはじめる。
焦げた匂いと薄い黒煙が立ち込める中、レイモンドだけが無傷だ。
レイモンドの異常さに気がついた飛竜は、羽をバサバサと動かして暴れはじめる。
牙を剥き出しにした怒れる竜の表情を見て、レイモンドは引き際を悟った。
いくら魔法には無敵でも、体を噛み砕かれてはひとたまりもない。
「ここまでだ。去れ、飛竜!!」
口を開けられないように、上顎に剣を突き立てる。
固い鱗を突き破って、竜の口を下顎まで串刺しにして縫い止めたのだ。
そして反撃を受けないよう、剣から手を離してその場を飛び退く。
向かってくるなら剣をもう一度掴んでダメージを与えられる。
逃げてくれるならそれで御の字だ。
物理攻撃の届かない距離で、レイモンドは飛竜の出方を疑う。
——グ、ググオルルゥ……ッ!!
悔しそうに竜は閉ざされた口の隙間から唸り声を漏らす。
そして、翼を広げて木々の合間を飛んでいった。
口に上から突き刺さった剣を抜こうと木々に頭突きを繰り返していたが、やがてその姿も夕暮れの闇に呑まれて見えなくなる。
レイモンドは安堵の息を吐く代わりに、小さく呟いた。
「気に入ってたんだけどな、あの剣……」
飛竜が飛び去っていったのを確認して、エレノアはおそるおそる草むらから顔を出した。
ちょうど太陽が山の向こうに隠れ、薄暗いなか。
先ほどまであたりを支配していた絶望的な威圧感は、もうどこにも感じられない。
「助かった、んですよね……?」
「ああ、ひとまずはな。アルの様子は?」
「出血は止まりました。でも内臓まで傷が届いているかもしれないので、治癒師に頼らないと」
戦いを終えたレイモンドが振り返る。
真っ先に彼が放ったのは、友人を心配する言葉だ。
木々の陰に寝かせているアルフレッドの元に、二人で近づく。
眉をひそめ、苦しそうな表情で彼は眠っていた。
「傷は……うおっ、すごい緑色」
「急ごしらえの塗り薬を使ったので……。特薬草をすりつぶして、水で溶いて、人肌に温めて——」
「なるほどな。つまり二人はこっそり薬草を摘むために、こんなところに来ていたわけだな」
「あ」
薬草やハーブのこんもり入ったカゴを見て、レイモンドはふむふむ、と深く頷く。
墓穴を掘ったことに気がつき、エレノアはパッと目を逸らした。
「……ごめんなさい」
「あ、あぁ」
謝って済む問題ではないと思うけれど、とにかくエレノアはそれしか言えなかった。
てっきりレイモンドからは大目玉を食らうと思ったが、意外にも彼の返答も歯切れが悪い。
「……とりあえず、帰ろうか。アルフレッドは俺が担いでいく」
「はい、お願いします」
何か怒れない理由があるのだろうか。
どこか後ろめたそうな表情を見せるレイモンドのことが気になったが、エレノアからは何も聞けなかった。
黙って、レイモンドの背にアルフレッドを乗せる手伝いをする。
「ぐったりしてるな」
「はい。途中までは声をあげたり、身動きしたりと反応があったのですが……」
「急ごう。歩けるな?」
「はい」
幸い、ここから拠点はそう遠くない。
完全にあたりが闇夜に包まれる前には、あのランタンの光が待つ拠点に戻れるだろう。
疲れた体に鞭打って、エレノアと、アルフレッドを担いだレイモンドは帰路を急いだ。
10分ほど歩くと、獣道の先にキャンプの明かりが見えはじめる。
人の動きを示すようにゆらゆらと揺れる明かりを見つめながら、レイモンドは小さく呟いた。
「悪かった。竜がいるかもしれないってこと、伝えておくべきだったな。怖い思いをさせた」
「え。……え? 知っていたんですか?」
「ああ。昨日の夜、上官たちと俺にだけ共有があっ——待て、話は後だ」
「……っ!?」
レイモンドが焦ったように言葉を止める。
その視線の先を見て、エレノアも息を呑んだ。
テントから黒煙が上がっている。
地面を覆う芝生は焦げ、調理場や仮設シャワーのあった場所はぐちゃぐちゃに荒れていた。
火を消し止めようとする者、散らばったテントの残骸や武器を退ける者。
そして、土の上に倒れ伏す人影。
「そんな……まさか……!」
エレノアの悲痛な声が、ポツリと落ちる。
拠点を抜け出したことで、自分たちだけが竜に遭遇したのだと思っていた。
でも違う。逆だったのだ。
拠点にいなかったから、エレノアとアルフレッドは飛竜の奇襲を免れた。
レイモンドの助けも間に合った。
エレノアとアルフレッドを襲った飛竜は、すでに遠征基地を攻撃した帰りだったのだ。
「エレノア、薬の準備を! すぐに出せる分、ありったけだ!」
「は、はいっ……」
緊急事態に対応すべく、レイモンドは燃えるテントの元に駆けていく。
そのたくましい背中に向けて返事をしたエレノアの声は、情けなく震えていた。




