16.絶望と救世主
目の前でアルフレッドが倒れている。
裂けた腹からどくどくと血が流れ、地面に血だまりが広がっていく。
エレノアは身の危険も忘れ、アルフレッドのそばに駆け寄ってひざまずいた。
「そんな……ダメ、ダメです! アルフレッド様!!」
彼と最初にした会話を思い出す。
この遠征が終わったら、想い人に告白するのだと言っていた。
それなのにこんなところで死ぬなんてあってはならない。
震える手で掴むのは腕に提げたカゴの中身だ。今しがた大量に摘んできたばかりの特薬草。
できるだけ小さく、飲み込みやすいようにちぎってアルフレッドの口に含ませる。
「アルフレッド様! 苦いと思いますが、飲み込んで!」
しかし呼びかけ虚しく、アルフレッドはただ顔をしかめて咳き込む。
意識も朦朧としているらしく、苦味に対する体の反射に抗えないのだ。
幼い頃見たのと同じ光景にエレノアは歯噛みする。
(いくら薬作りにこだわってたって、こんなときに何もできないなら意味がない……!)
こんな目に合わないために薬を作りつづけてきたのに。
人生そのものを否定されたかのような感覚をおぼえて、エレノアは小さく首を振った。
その頭上に2体の飛竜が迫り、影が落ちる。
先ほどアルフレッドの剣で片翼を灼かれたはずの竜も、もうすでにバランスを取り戻して空を飛んでいた。
2体とも、空からアルフレッドを睨みつけ、狙っているのがわかる。
(私の、せいで……)
エレノアの心を後悔が埋め尽くす。
飛竜が羽を振り上げ、攻撃体制に入るのが視界の隅に映った。
もうダメだ。自分には、どうしようもない。
生きることすら諦めそうになるエレノアの耳に、人の足音が聞こえた。
竜の羽音と呼吸にかき消されそうな、かすかな気配。
それはだんだん大きくなり——やがて、エレノアの目の前に現れる。
飛竜が放った、先ほどアルフレッドの腹を裂いたのと同じ衝撃波を、彼は抜き身の剣で受け止めた。
「お前ら、なんでここにいる!?」
長い赤毛が夕日を浴びてさらに赤く光っていた。
落陽を背負うようなその姿は、まさしくエレノアの救世主だ。
「レイモンド様……!」
「……まぁいい、話は後だ! とにかく、どこか茂みに隠れろ!」
レイモンドの言葉でなんとか気を取り直したエレノアは、まだぐったりしているアルフレッドの体の下に腕を差し込む。
草の上をズルズルと引っ張って、近くの草むらに倒れたままのアルフレッドの体を隠した。
「これをアルに!」
「……っ! はいっ」
レイモンドが投げてよこしたのは、エレノアの薬が入った巾着袋だ。
エレノアはそれを受け取り、自分も草むらに飛び込んだ。
「う、うぅっ……」
「アルフレッド様! これなら苦くないですから、飲んで……!」
まだ意識ははっきりとしないようだが、アルフレッドは苦しそうなうめき声をあげた。
エレノアはレイモンドから返された薬——ミント味のキャンディの一つを、手の中で半分に砕く。
そして、アルフレッドの薄く開いた唇にそれを押し込んだ。
(よし、飲んでくれた……! でもこれだけじゃダメだ。傷を早く塞がないと)
エレノアに救急の知識はないが、出血量を見ていればアルフレッドの身が危ないことくらいはわかる。
飲み薬だけでは、これだけ大きな外傷が魔法のようにすぐ塞がりはしないことも。
「……でも、幸い薬草は十分にある。この場で、塗り薬を作れば——」
特薬草の束を手にとり、エレノアは唇を引き結んだ。
使えるのはこの薬草たちと、自分の魔法だけ。
なんとしてでも、それでアルフレッドを救ってみせなくては。
エレノアがそう決意を固めた頃。
レイモンドは一人、2体の飛竜と対峙していた。
エレノアとアルフレッドは近くの草むらに姿を隠し、飛竜の敵意はいま自分に向いている。
レイモンドはそれを確認して、剣を握りなおした。
どういう理由で彼女がここにいたのかはわからないが、これなら自分の手で守ることができる。
(倒すのは無理だ。あくまで、追い払うこと……それも、できれば俺に魔法が効かないことを悟られる前に)
飛竜が翼で風を生み出したり、口から炎を吐いたりするのはすべて魔法によるものだ。
レイモンドには、それらのダメージは一切入らない。
効かないことがバレて物理的な攻撃に切り替えられる前に、どうにかして恐怖を感じさせ、ここから追い払う。
それがレイモンドの唯一の勝ち筋だ。
「まずは……翼を怪我してる方。お前からだ!」
レイモンドが目をつけたのは、飛膜を焦がして庇われている方の竜だ。
羽の傷はだんだん再生していっているようだが、もう一つでも傷をつけられれば再生を止められるかもしれない。
地面を蹴り、低空飛行している竜の後ろ足に手をかける。
突然レイモンドがぶらさがってきて怒った竜はバタバタと足を揺らした。
その勢いを逆に利用して、レイモンドはさらに高く飛び上がる。
「っ、とりゃああっ!!」
一閃、右手に握っていた剣を振り上げる。
レイモンドの剣筋は、飛竜の腹のウロコがない部分をザクリと斬りつける。
苦しそうに顔をしかめた竜は、反射的に口から炎を噴き出した。
——ギョグオオオ……ッ!!!
至近距離で放たれた炎が、寸分の狂いもなくレイモンドの顔に直撃する。
視界が真っ赤に染まるが、魔力で編まれた炎がレイモンドの肌を灼くことはない。
熱さすら感じないまま、無傷でレイモンドは着地した。
「まだやるか?」
血を流す竜を見上げ、睨みつける。
レイモンドはその、飛竜と比べればほんの小さな体に、大きな威圧感を背負っていた。
——ぐ、グオォ……
竜は弱々しく体を丸め、その巣がある方へ体を向けた。
バサバサ、ふらふらと飛び去っていくのを見送って、レイモンドはもう1体の飛竜に向き直る。
「さあ、次はお前だぞ!」
——ギャアオアアアアッ!!
同じ巣で暮らすこの2体は、おそらく番の竜。
家族を傷つけられ荒ぶる飛竜は、羽を畳んでレイモンドに突進した。




