15.飛竜との遭遇
日が暮れはじめた、ちょうどその頃。
エレノアは三つの採集場所を巡り終え、ホクホクした顔で帰路についていた。
魔物に出会うこともなく、いたって安全な薬草摘みの1日だった。
エレノアの両手には、葉っぱで満タンの手提げバスケットが握られている。
最初に採ったハーブの他に、特薬草という効き目の強い薬草も山ほど摘んできた。
自然環境の様々な条件が揃った場所でしか採れないのでそもそも流通が少なく、仕入れたくても普段は仕入れられないのだ。
こんなに大量に手に入ったのはエレノアにとっても初めてなので、明日からの薬作りのことを考えると心が踊る。
「嬉しそうだね。連れてきた甲斐があったよ」
「はい、おかげさまで!」
「あとは、調査隊が戻る前に何事もなく拠点に戻っておけ、ば——」
「……どうしました?」
アルフレッドは突然、足を止める。
つい一瞬前まで彼が浮かべていた柔らかな笑みは消え、今は静かに自分たちの来た道を睨みつけるのみだ。
緊迫した空気につられ、エレノアも後ろを振り返った。
「あれは——」
そして目の前の光景に、言葉を失くして目を見張る。
そこには翼を大きく広げた、1体の飛竜の姿があった。
山を覆う木々をめりめりと捻じ曲げ、その巨体をエレノアたちのたった数メートル後ろに着地させる。
エレノアの脳裏に、7年前に見た竜災の禍々しい光景が蘇る。
あの日、飛竜はたった数体で街を半壊させた。
人の営みを一瞬で否定してみせるような、人智を超えた恐るべき存在。
それが、目の前にいた。
「逃げるんだ、エレノア!」
アルフレッドが身を翻し、飛竜から庇うようにエレノアの前に立ちはだかる。
しかしエレノアの足は完全に竦んで、その場から動けなかった。
「だめ。ダメです。勝てない……!」
絡む喉から絞り出すように声を漏らす。エレノアの言葉は絶望に染まっていた。
アルフレッドは腰から剣を抜き、まっすぐに飛竜へと向ける。
「では二人で背を向けて走るか!? そうなったら逃げ遅れるのは君だ!」
「……っ」
そんなことはわかっている。
逃げないといけないことも、自分がここにいたら足手まといになることも。
エレノアの頭はよく理解している。
それでも、飛竜の威圧感を前に、エレノアは指の一本も動かせなくなっていた。
今にも腰が抜けそうなのに、へたり込む余裕すらない。
ただ目の前の光景に釘付けになって、震えるだけ。
「お前の相手はこちらだ、飛竜!」
アルフレッドが叫ぶが、鱗に覆われた飛竜の瞳はギョロリとエレノアを見つめる。
厳密には、エレノアの手に提げられたバスケットを。
「狙いは薬草か……! そうはさせない!」
飛竜がズシリとエレノアの方に歩み出すのと、アルフレッドが踏み込むのがほぼ同時だった。
まだ足が竦んで動けないエレノアに向かって、ドスドスとたどたどしい足音を立てながら飛竜が迫る。
しかしアルフレッドの剣が一閃、飛竜の行く手を阻む。
「騎士の前で無辜の市民に手を上げようとは、許せないな! 〈着火・剣〉!」
炎をまとったアルフレッドの剣筋が、翼竜の広がった羽の膜を裂く。
動物の皮膚の灼ける匂いが、エレノアの鼻を突いた。
身悶えする竜と、頼もしいアルフレッドの背中を見て、エレノアの竦んでいた体がやっと機能を取り戻す。
「わっ……私、助けを呼んできます!」
「あぁ、頼む! では僕は時間を稼ごう。〈豪炎・剣〉ッ!!」
アルフレッドの剣を起点に、ぶわりと炎の柱が立ち上がる。
つい先ほど炎に片翼を焼かれた飛竜は、その炎の勢いを見てたじろいだ。
好機とばかりに、アルフレッドはもう片方の羽を狙った。
飛竜は移動にも攻撃にもまず羽を使う。
両翼を無力化できれば、エレノアが追われる心配はなくなる。
(アルフレッド様……強い! 騎士ってすごいんだ。この隙を無駄にしちゃダメだ)
エレノアは拠点に向かおうと、一歩後ずさる。
振り下ろされたアルフレッドの剣は寸分の狂いなく、飛竜の左羽を狙っていた。
しかし飛竜はすんでのところで後ろに飛び跳ね、攻撃を躱す。
刹那、するどい衝撃波がアルフレッドを襲った。
「ぐっ……!?」
アルフレッドの体が軽々と吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
剣に灯っていた炎が風でかき消えた。
何が起こったのかわからず、エレノアは一度大きく瞬きをした。
衝撃波を放ったのは、エレノアを狙っていた飛竜ではない。
羽を一つ潰された竜が逃げながら攻撃を放てるはずがない。
であれば、可能性は一つ。
エレノアは咄嗟に空を見上げる。
夕焼けを背に、エレノアとアルフレッドを見下ろすもう1体の飛竜がそこにいた。
(……終わっ、た)
倒れたアルフレッドの周りには、いつの間にか血溜まりができている。
先ほどの衝撃波でお腹を斬られたのだ。
エレノアは自らの心が絶望に染まるのを、どこか他人事のように感じていた。
* * *
山道をほとんど転げ落ちるように、レイモンドは拠点へ急ぐ。
その間、彼の脳内ではひとつの言葉がずっと繰り返し思い起こされていた。
『それで本当に危険がないと言い切れますか? 自分がずっとそばにいることもできないのに?』
エレノアを心配したホリーの言葉だ。
今になって、その言葉が重くレイモンドにのしかかる。
このままじゃホリーに心配された通りだ。
エレノアを無理に連れてきて、自分のいないところで危険に晒して、助けることもできなかったら。
想像するだけでレイモンドの背筋は凍りつき、体が強張り、息が上がる。
(頼む……どうか、どうか無事でいてくれ……!)
行く手を阻む崖状の段差を、自分の身も顧みず飛び降りる。
拠点まではあと少し。
足に響くジンとした痛みを見ないふりして、レイモンドは顔を上げた。
視界に飛び込んでくるのは荒らされた森と、2体の飛竜。
そして、ここにいるはずない人の姿だった。




