10.禁忌
薬草の細胞は薬液で満たされたカプセルのような構造をしている。
細胞なのでもちろん顕微鏡でも覗かなければ見えないし、取り出したり加工したりすることもできない。
しかしそのカプセルの外側を担う細胞壁が、熱に弱いのだ。
薬草に強い熱を一気に加えると、細胞壁が壊れて別の成分に変わる。
熱した薬草が長持ちしないのも、苦くなくなるのも、薬の効きが早くなるのもすべてこれが理由ではないかとエレノアは仮説を立てたのだ。
じっくりコトコト煮込むよりも、一気に強火で加熱したほうが、より細胞壁の変質が進んで薬がよく効くようになるはず。
鍋を焚き火の上に吊るす高さを変えて、とろ火と強火の2種類用意する。
この薬草汁の味と効果を比べれば実験は完了だ。
「味はいいけど、効果はどうやって調べる?」
「効果……は」
メメルの問いに、エレノアは自分の手首を無意識にちらりと見た。
その視線に気がついたロゼが、鋭い声で言う。
「ダメよ? 自分の体で試したら」
「えっ、なんで……」
考えていることを見透かされて、エレノアはギクリとする。
自分の体に傷をつけて薬を飲んでみるのが、薬の効き目を確かめるのに一番手っ取り早い。
「治癒師もよくそれに手を出すの。特に自分に自信のない新米治癒師が、練習としてね。それでどうなると思う?」
「どうなるって……痛いでしょうけど、その……実際、練習にはなるんじゃ?」
「メメルはどう思うかしら?」
「……有名な話。治癒師の死亡事故のうち七割は自傷によるもの」
「え——」
エレノアは絶句する。思わず左の腕を自分の右手で軽くさすった。
青ざめるエレノアに、ロゼはさらに言い聞かせる。
「際限がわからなくなるのよ。向上心や好奇心に取り憑かれて、すぐに治るとわかっている痛みへの恐怖は麻痺して……私の学生時代の友人は優秀な子だったのに、神殿に入ってすぐのある日、お腹を刺して死んだわ。慣れた魔力操作も詠唱もできないままにね」
「そっ、そんな怖いこと……」
「そう。その怖いことの第一歩なのよ。自分に傷をつけて試すことは」
エレノアはすっかり震え上がっていて、もう薬の効き目を自分で試す気にはなれなかった。
幸いここは騎士団の遠征の拠点で、毎日傷ついて帰ってきそうな人が1人いる。
「れ、レイモンド様に頼ります……」
震える声で、エレノアはそう約束した。
* * *
「はい、今夜も協力ありがとうございます。おかげさまで研究は順調です。ここ数日、夜には傷が塞がるようになってきましたね」
「あぁ。君の薬がパワーアップして俺も嬉しいよ」
遠征が始まって2週間。
ちょうど折り返しとなるその日、エレノアは夜眠る前にレイモンドを調理場まで呼び出していた。
日が暮れる頃に拠点に戻ってくるレイモンドに、薬を飲んでもらう。
食事や入浴を経て、薬を飲んでからきっかり3時間経つころに、傷の経過を確認する。
毎日少しずつ薬の熱し方を変えたり、調味料や食材と混ぜたりしながらそれを繰り返して、薬の効果を高めていくのがエレノアとレイモンドの日課になっていた。
「おや? ここにいたのか、レイ。長官が探してたよ……って、傷がすっかり塞がってるじゃないか。どんな魔法を使ったんだ?」
「アル! お疲れさん。魔法じゃ効かないのは知ってるだろ、エレノアの薬だよ」
「はい! でも魔法と言っていただけるのはちょっと光栄ですね」
調理場にひょこりと顔を出したのはアルフレッドだ。
レイモンドのこれまでの苦労を知るアルフレッドは、しみじみと呟く。
「朝まで前日の傷が残ってひどい顔してたレイの姿が嘘みたいだね。知ってる? エレノア。昔レイが腕の骨を折ったとき、薬草ばっかり飲んでいるのに二日以上治らなくてさ。それなのにこいつは出陣しようとするんだ。止めるのに骨が折れたよ。……ああ、洒落みたいになった」
「ふふっ。あ、でも骨折は私の薬でもさすがにすぐには治らないので……無理はダメですよ。レイモンド様」
「わかってるって。そういうエレノアも、前にロゼにかなり脅されたみたいじゃないか?」
「なんで知ってるんですか?!」
レイモンドに釘を刺そうと思っただけなのに、思わぬ反撃を受けてエレノアはたじろぐ。
薬の実験のために自分の腕を切ろうとしていた、なんて、あまり知り合いに知られたくない話なのだが。
「“治癒師の禁忌”の話? 確かに、薬師にも禁忌だろうね」
「はい。怖い話を聞きました……絶対に自分では試しません」
「それで、レイが調査に協力中ってわけだ」
話を聞いて状況を察したアルフレッドは、満足そうに頷く。
レイモンドの友人として、彼のおかれた境遇が改善されつつあることを喜んでいるのだと口ぶりからわかった。
「……で、誰がどこから俺を呼んでたんだ?」
「本部テントにライカンさんとロッドさん……あと誰かいたっけな」
「それは待たせたらマズそうだ! 行ってくる。エレノア、また明日」
「はい! 早いですが、おやすみなさい!」
レイモンドはもう一仕事あるらしい。
出てきたのはこの遠征の指揮官である特級騎士ライカンと、副官であり調査の最前線を担う一級騎士ウルフロッドの名前だった。
エレノアも以前挨拶をしたことがあるが、どちらも鋭い眼光をたたえた歴戦の騎士である。
「……なんでしょうね。危ないことじゃないといいですが」
「だね。あ、そうそう! エレノアにも言いたいことがあったんだ」
「なんですか?」
アルフレッドからエレノアに用があるとは。
目を丸くしたエレノアの顔のすぐ近くに、すっとアルフレッドの顔が近づいてくる。
エレノアは驚いて身を固まらせるが、彼はニコニコとした人当たりのいい笑顔を崩さないまま。
息がかかるほど耳元のすぐそばで、他の誰にも聞こえないように囁いた。
「明日、僕と——」
エレノアの瞳が、ひとつゆっくり瞬きをする。
次に目を開いたときには、彼女の表情は輝きに満ちていた。




