9.人に頼ること
「どうして……か」
エレノアの質問は、レイモンドにとって予想外だった。
どうして自分が努力するのかなんて、考えたこともない。
昔から人に置いていかれる感覚がひどく苦手だった。
姉の背中をずっと追いかけてきたからかもしれない。
痛みで立ち止まれば置いていかれる、そういう世界に自ら身を投じたのはレイモンドだ。
だから、ちょっとの痛みでは止まれないことが骨身に染み付いたレイモンドの“当たり前”になっていた。
「騎士としてそうあるべきだと思うから……かな。答えになっていないか?」
「そう、ですか。そうですよね。す、すみません! 変なこと聞いて!」
納得してくれたかはわからないが、エレノアはその場を取り繕うような曖昧な笑みを浮かべた。
「薬、用意しますね。ええっとこれとこれを混ぜて……」
「悪いな」
「いえ! こちら、いつもみたいに甘くしていないので飲みにくかったらすみません」
エレノアは手元にあった瓶を二つ手に取り、中身を混ぜる。
何と何を混ぜたのかはわからないが、エレノアが作る薬なら間違いはないだろう。
レイモンドは受け取った瓶の中身をひと思いに飲み干す。
「……あれ。苦くない」
「あ、本当ですか!? やっぱり蜜と混ぜなくても一気に沸騰させたら……」
「実験台にしたな?」
「は、はいっ。すみません。できれば傷の経過も夜眠る前と明日の朝に確認させていただけると……!」
さっきまでの怒りはどこへやら、エレノアはわくわくと目を輝かせる。
レイモンドは苦笑しながらも、エレノアの実験に付き合うことを了承した。
* * *
「すっかり治りましたね、よかった。今日も薬を用意して待っています。……でも、無茶はダメですよ」
「もちろんだ。感謝する」
翌朝。
傷口がすっかり治ってつるつるの肌をしたレイモンドを見て、エレノアは穏やかな笑顔を浮かべる。
今日もレイモンドはこれから調査に向かう。
心配はまだ募るが、彼を引き止める言葉は思いつかなかった。
(レイモンド様は置かれた環境で頑張ってるんだもんね……)
それなら、エレノアにできるのは薬を作って彼の傷をできるだけ早く治してあげることだ。
エレノアは昨日作っておいた薬草の煮汁を、食料保存庫から取り出す。
調理場は昼食と夕食を作る時間以外、ほとんどエレノアの工房と化していた。
「エレノア、今日も薬作り?」
「ロゼさん! おはようございます。レイモンド様からのフィードバックを参考に、今日はこの子を改良していこうかと……」
「なるほど。ここで見ていてもいい?」
「もちろんです!」
一度店での薬作りを見学したこともあるロゼがいてくれると、新たな発見があるかもしれない。
図鑑を見つけてきてエレノアに知見をくれたのも彼女だ。
喜んで承諾するエレノアの後ろに、もうひとつ人影が現れる。
「わたしも、見学させてもらいたい」
メメルだ。相変わらずフードを目深に被っており表情は見えない。
意外な申し出に、エレノアはめを丸くした。
「もしかして、薬に興味ありですか?!」
「……そんなに。ただ、暇だから」
「あ、そうですか……」
エレノアのテンションはメメルのペースに巻き込まれ、振り回される。
防御魔法の使い手であるメメルの役目は、拠点を防衛すること、それからもし騎士団が強い魔物に接敵したときの交戦支援だ。
調査が始まってまだ二日の今、彼女の仕事は特にないのだろう。
「まぁ、暇つぶしでも見ててもらえるのは嬉しいですけど……」
視点は多ければ多いほどいいだろう。
エレノアはもごもご呟きながら、以前ロゼにもらった植物図鑑を引っ張り出す。
「古代語の本?」
「はい。薬草の性質が書いてあって……」
「“サキワケグサの特徴。細胞内に生物の治癒力を高める効果を持つ液体を含む”……? そもそも細胞の作りから他の植物から違うということ?」
「読めるんですか!?」
まるで朗読するように、即座に古代語を訳してみせたメメルに、エレノアは驚愕の眼差しを向ける。
しかし彼女は驚く理由がわからない、と言わんばかりに表情を変えず首だけを傾けた。
「魔法士なら誰でも。治癒師にも読める人は多いはずだけど……」
「えっ……?」
「私はそんなスラスラ読めないわよ。辞書をひきながらじゃなきゃ。……あぁ、でもホリーなら確か読めたかしら?」
「ええっ……!!」
何日も夜更かしをして辞書をひき、学生時代使っていた文法書とにらめっこして解読したのに。
ホリーに頼めば一瞬で解決する事態だったと知り、エレノアはひどく落胆する。
ここ数週間、ホリーによく会っていたのに一度も図鑑の話なんてしなかった自分が悪いのだけれど。
「……エレノアはもっと人に頼ることを覚えたほうがいいのかもしれないわね」
「はい……」
薬のことや、前世のこと。
人に話しても理解されないだろうと思うことが多くて、自然とエレノアは悩みを自分の中で完結させがちだ。
しょんぼりと肩を落とすエレノアに、メメルがほんの少しいつもより柔らかい声で言った。
「しかたない……今日は私が読み上げてあげる」
そうして、仲間たちの手を借りたエレノアの薬研究会が始まった。




