4.新たな旅立ち
「本当に行くの? 今からでも断ったりとか……」
「できないよ。それにもう、私の心は決まってるから」
月初、早朝。
つい三日ほど前から急に暑くなって、街は暦通り夏の様相だ。
まだ日が昇ったばかりだというのに、蝉の声が部屋の外からジリジリと追い立てるように響いていた。
そして部屋の中で駄々をこねるようにエレノアの腕を離さないのはホリーだ。
今日はエレノアが、騎士団の遠征に同行するため街を出発する日。
見送りに来てくれると聞いたのだが、蓋を開ければずっとこの様子である。
「それに店のことは心配じゃないわけ? 二人もなんとか言ってやってくれよ、店長がいなきゃ仕事が不安だろう?」
「いえ、みっちり教えていただいたので! エレノアさん、私たちのことは心配なさらずに!」
「そうそう。不在の間は俺らに任せてくださいよ。薬作りはデボラちゃん、それ以外は俺がなんとかするんで」
「くそ……よくできた従業員たちだ……」
デボラとロランににべもなく助太刀を断られ、孤軍奮闘のホリーは悔しそうに肩を落とした。
「大丈夫だって。ロゼさんも一緒らしいし、心配いらないよ」
「それも僕はまだ納得してないんだよ。ロゼのやつ、いつの間に騎士団同行の訓練なんかしてたわけ……」
ホリーの言う“選ばれし治癒師の厳しい訓練“というやつを、ロゼは知らぬ間にクリアしていたらしい。
恋人に知らない一面があったことも、ますます彼の心を曇らせているのだろう。
ホリーが離れてくれないせいで朝の支度がなかなか進まず、エレノアは難儀していた。
そこに、魔導車の近づいてくる排気音がブルブルと響いた。
「あ、来た……」
「レイモンド様だね? やっぱり一言言わないと気が済まな――」
「何を言ってくれるんだ? ホリー」
「わぶっ」
デボラが気を利かせてレイモンドを迎え入れたようだ。
すぐそばまでやってきていたレイモンドは、ホリーの首根っこを掴んでエレノアからべりっと引き剥がした。
椅子から落ちて、ホリーは情けない声を上げながらレイモンドを睨む。
「僕には何してもいいですけど、エリーに何かあったら許しませんからね!?」
「わかってるって。まったく、心配性の幼馴染だな。お前にはロゼがいるだろ」
レイモンドがどこか苛立っているように見えて、エレノアは焦る。
ホリーのエレノアへの気遣いが、何かレイモンドの逆鱗に触れてしまっただろうか。
しかし次の瞬間には、レイモンドの表情はいつも通りに戻っていた。
「エレノアは……まだかかりそうだな。ゆっくり準備をしててくれ。デボラ、少し話せるか?」
「えっ、はい。なんでしょう!?」
「エレノアが店を開ける間の段取りを話しておきたい。店の方に来てくれ」
意外な指名に、デボラは驚きつつ立ち上がる。
知らない仲ではないが、デボラのレイモンドへの人見知りはまだ抜けていない。
恐る恐るといった表情で、彼女は店先へ出て行った。
「俺はまだ信用されてないみたいだな」
彼らの背中を見ながらロランがぽつりと呟いた。
寂しげなその響きに、エレノアの心はずきりと痛む。
店を一ヶ月も離れ、デボラとロランに任せるのは、ロランの誠実さを試すためでもある。
ロランには何も言わないようレイモンドから言いつけられているが、エレノアは我慢できず彼に声をかけた。
「あの……私は、信じてますから」
「え? っああ、もちろんわかってますよ! 店長は安心して遠征を頑張ってきてください」
エレノアの沈んだ顔を見て、ロランは励ますようにニパッと笑顔を浮かべる。
その姿は到底悪人には見えなかった。
(留守中、何も起きませんように。それでレイモンド様とも和解してくれたらいいんだけど……)
切実な願いを胸に、エレノアは旅支度の続きを始めた。
* * *
「……話はわかりました。その、緊張しますけど……がんばります」
「ああ、よろしく頼むよ」
レイモンドの話を聞き終えたデボラは、真剣な面持ちで頷いた。
レイモンドは肩の荷が降りたような気分になって、ホッと息を吐く。
もしデボラの協力を得られなければ、ここ一ヶ月レイモンドが手を回していたことは全て無駄になってしまうところだ。
あとはエレノアの支度を待つだけだ。
気をよくして、指に引っ掛けた魔導車のキーをくるくる回すレイモンドに、デボラがふと尋ねる。
「そういえば……“良薬は口に苦し”って言葉、レイモンド様はご存知でしょうか?」
「? いや。なんだ、それ」
「エレノアさんが以前言っていて、諺のようだったので気になって。ご存知ないなら大丈夫です」
「そうか。……エレノアの造語かもな。研究結果というか」
レイモンドも、エレノアから似たような言い回しを聞いたことがあるような気もする。
二人ともそれ以上深くは気にせず、曖昧に話を終えた。
「すみません、お待たせしました! こちらエレノア、準備万端です」
「ああ、本当に行っちゃうんだね……」
ちょうど話の切れ目にエレノアが顔を出した。
後ろに、しおしおと背を丸めたホリーもついている。
「無事帰ってくるから、信じて待ってて。デボラちゃん、ロランさんも! お店のこと、お願いします!」
「…………うん」
「はいっ」
「お願いされたっス!」
三者三様の表情で、仲間たちはエレノアを見送る。
その視線を背に受けながら、エレノアはレイモンドの顔を見上げた。
「改めて、引き受けてくれてありがとう。一ヶ月、よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします!」
エレノアは大きな荷物を詰めたトランクを抱え、確かな足取りで店を出たのだった。




