1.お手紙ひとつ
長かった初出勤の日が終わってから、2週間ほど。
エレノアは、二人の新しい店員に少しずつ店のことを教えていった。
最初の1週間は二人まとめて来てもらい、まとめて研修をしていたのだが、それ以降はシフト制だ。
学校と工房の手伝いがあるデボラは週末を中心に、逆にロランは平日に。
一人ずつに分けて、それぞれにお願いしたい仕事を細かく教えて、実践してもらう。
金曜日の夜。
今日はデボラが夕方から来てくれて、店の閉店作業を教える日だ。
夏が近づき、日が長くなってきた街は19時を回ってもまだうっすらと明るい。
「そろそろ時間的には閉めたいんだけど……人通り、結構多いね」
「ですね。閉店時間は決めてないんですか?」
「うん、特には。じわじわと片付けながらお客さんが来ないか見ておいて、神殿の明かりが消えたら閉めるかな。でも決めた方がやりやすいよね」
街灯の並ぶ神殿前の広場は、日が傾いたくらいでは暗く感じない。
それに、神殿がその日の最後の患者の治癒を終えるまで明かりを消さないこともあって、毎日人通りの途絶える時間が違うのだ。
これまではエレノアが個人の裁量で決めていたが、デボラとロランに教えることを考えたら、ピッタリと時間を決めておいた方がわかりやすかったかもしれない。
(仕事を教えるって難しい……曖昧のままじゃダメってことだもんね)
これまで一人で薬を作って売ってきただけのエレノアにとって、誰かに仕事を教える工程はかなり負担になっていた。
でも、きちんと店のことを二人に任せられるようになれば、そのあと楽になるのもエレノアだ。
未来の自分のためと思って、エレノアはここ最近の難しい日々を乗り越えている。
「それじゃあ、今日は19時半になったら閉めようか。看板か何か作らないとなぁ」
「それなら私もお手伝いします! 工房の娘ですから、工作は得意です!」
「頼もしい! それじゃ明日にでもお願いしようか……」
そう話しながら、出していたサンプルの薬を片付けようかとなんとなく手を伸ばしたとき。
カランと音が鳴って、自動扉が開いた。
「いらっしゃいませ……!」
デボラも最初の頃と比べればかなり接客に慣れてきたところだ。
任せようかと思ったが、店に入ってきた人の姿を見てエレノアは思わず声を上げた。
「ロゼさん!」
「久しぶりね、エレノア。調子はどうかしら?」
「おかげさまで好調です!」
「それはよかった。新しい店員さんも入って、店が大きくなりそうでいいわね」
ロゼは真っ赤な唇の端を妖艶にあげて、デボラに握手を求める。
求められるままに手を握り返しながら、デボラはぽかんとしていた。
「はじめまして。王都の治癒師、ロゼよ。よろしくね」
「あっ、は、はい! デボラと申しますっ、その、よろしくお願いします……!」
デボラは、ロゼの金の瞳に釘付けになっている。
ロゼの美しさに見惚れてしまう気持ちがよくわかるエレノアは、笑いそうになりながらも助け舟を出した。
「それでロゼさん、今日はどうしてここに?」
「あ、そうそう。渡したいものがあってね」
治癒師である彼女がただ薬を買いにはるばる王都から来るはずがない。
そう思ってエレノアが尋ねると、案の定ロゼは肩にかけたバッグから二つのものを取り出した。
一つは、分厚い本。もう一つは丁寧に封蝋の押された手紙だ。
「これ、エレノアに。本は私から、手紙は頼まれたものよ。今日の夜にでも目を通してちょうだい」
「はい……? ありがとうございます。これ、なんでしょう」
どちらもピンと来ないものだ。
エレノアは首を傾げながら受け取ったが、ロゼは特に説明をしなかった。
「中を見ればわかるわ。それじゃ、私はこれで」
「えっ、もう行っちゃうんですか?」
まだ数分しか経っていない。このためだけに店に来たのかと驚くエレノアに、ロゼはイタズラっぽく笑みを浮かべた。
「お泊まりの予定があるの。まさか止めないわよね?」
「わぁ……! そ、それはもちろん、楽しんで〜……」
そうだった、彼女がこの街に来る理由なんて、エレノアのことよりずっとそっちだろう。
ホリーにはここしばらく会っていない。まさかロゼの口から近況を聞くとは。
(お泊まり……お泊まりかぁ。いや、うん。仲がいいのはいいことだよね)
幼馴染の恋路が順調に発展していることを知って、エレノアは曖昧な笑みを浮かべる。
いらぬ想像をしてしまったのは内緒だ。
幸せオーラ全開で店を出ていくロゼの背中を、二人はぬるい笑みで見送った。
「嵐のような方ですね……。お泊まりっていうのは――」
「私の幼馴染、ホリーの恋人なの。彼は治癒師をしてるから、デボラちゃんも見たことあるかもね。今度紹介するよ」
「なるほど。あ、はい是非!」
時計を見るとちょうど時刻は19時半を回っている。
エレノアは話題と、妙に緩んだ空気を変えようと上擦った声で言った。
「そ……それじゃ、気を取り直して。閉店作業を教えるね!」
* * *
デボラとともに店の片付けをして、薬の在庫を数え、明日の営業も問題がないことを確認して店を閉めた。
金庫に鍵をかけるのも忘れない。デボラを疑うわけではないが、金庫だけは万全を期して、まだエレノアが一人で管理している。
そして、一人になったエレノアは改めて、ロゼから渡された本と手紙を見つめていた。
エレノアの質素な自室には似つかわしくない、古めかしい本と、上質な紙がピンと光る綺麗な手紙。
ほとんど説明もせずにロゼは帰ってしまったので、内容は自分の目で確かめるしかない。
「まずは……手紙かな。本は読むと長くなりそうだし……」
独り言を言いながら、エレノアは手紙を手に取って、封蝋を剥がす。
蝋に押されているのは、王都の役所などで使われる公式の紋章だ。
ロゼが薬のことを王都でも報告してくれると言っていたのを思い出す。
その結果誰かの耳に入って手紙が来た、ということだろうか。
悪い内容でないことを願いつつ、エレノアは手紙を取り出した。
「これは……」
手紙の内容に目を通し、だんだんとエレノアの背に冷や汗が伝っていく。
それは王都の騎士団を管轄する責任者、ノイヤール侯爵という貴族からの手紙だった。
『二級騎士レイモンド、治癒師ロゼ・ブランチの推薦に基づき、騎士団の協力者として貴女を招聘する』――その一文は、エレノアが何度目を擦って読み直しても覆ることはなかった。




