2.ご近所トラブル
店にドカドカと大股で入ってきたのは、シスター・ミルコ。
治癒師ではないが、彼女もまた神殿で働く女性だ。前世でいう看護師みたいなものだろうか。
ミルコはエレノアの眼前に、ピラリと一枚のポスターを突きつける。
「なんだい、このふざけた張り紙は! 治癒師が世のため人のために働いている目の前で、こんなもの……!」
ポスターに写るのは、薄緑がかった飴やお茶をおいしそうに口にするエレノアの姿。
魔導印刷所に大枚をはたいて刷ってもらったもので、素材は紙なのに動く映像が印刷されているという、いかにもファンタジーな一品だ。
今にもそれを破り捨てそうなミルコを見て、エレノアは慌てて弁解する。
「ふざけていません! これはれっきとした薬の広告ですっ。治癒師の皆さんに迷惑をかけるつもりは——」
「“治癒師に頼むほどでもない不調、そのままにしていませんか?”——“おいしい薬で、長い待ち時間とももうオサラバ!”——これでどこが神殿に迷惑をかけようとしてないんだい!?」
ポスターの動画の最後に流れる文字を読み上げて、ミルコは怒鳴る。
エレノアは言葉を探して、おろおろと視線を彷徨わせることしかできなかった。
この世界の人々は、得意不得意はあれどみんな何かしらの魔法を使える。
しかし傷や病気を治す治癒魔法だけは、生まれつき適性を持つ、限られた人にしか使えない。
貴重な治癒魔法使いは神殿で保護され、治癒師となって人々のために働くことが使命となる。
特に、エレノアたちが暮らすこのメディシーネ王国は、有能な治癒師を多数輩出するいわば医療大国だ。
薬草というものは一応流通しているが、薬を常用する文化はない。
困ったことがあったら神殿に行くのがこの国で生まれた人々のふつうだ。
でもそれが普通ではないと知っているエレノアは、あえて神殿の近くに薬屋を開いた。
でもそれは、けして神殿の存在意義を否定しようとしたわけではない。
「私はただ、もっと薬が身近で、手に取りやすいものになればって……!」
電気はないが、代わりに魔法で点く灯りや自動ドアがある。車もドローンも魔力を流せばあとは自動運転だ。
気温がどの季節でも均一に管理された街を歩けば、そこかしこに動くポスターが貼られ、魔導バスの到着を告げる放送がときどきどこからともなく聞こえてくる。
エレノアの前世——現代日本の記憶と比べても、ここはずっと近未来の世界なのだ。
それなのに人は、苦い薬草を生でちぎって食べることしか知らない。
薬というものの認識が、薬学生だったエレノアのもつ常識とは全く違っていた。
しかしそんなことを説明しても、ミルコには伝わらないし、不審に思われるだけだろう。
実際、今も彼女は眉をひそめている。
「……つまり、神殿のやり方に文句があるってことかい?」
「ちっ、ちがいます〜……!」
途方に暮れるエレノアの耳に、再び自動扉の開く鈍い機械音が聞こえてきた。
今度は誰だろう。扉の方を確認したエレノアの顔が、パッと明るくなる。
「……シスター・ミルコ。そこまでにしてあげてください」
「ホリー様!? どうしてここに……」
「何、薬屋の開店祝いに来たのですよ。そのポスターを神殿じゅうに貼ったのは私ですから」
やってきたのはホリーという男だ。
ミルクティー色の長い髪を三つ編みにして、左肩から垂らしている。
細い銀縁の眼鏡は彼の穏やかな顔によく似合っていて、理知的な雰囲気を足していた。
眼鏡の奥で、治癒魔法の使い手であることを示す金色の瞳がきらりと光る。
彼はエレノアが子どもの頃からの友人で、神殿で働く治癒師でもある。
ミルコも同じ神殿で働いている同僚とはいえ、治癒の力を持たないシスターの身分では強く出られないようだった。
「ホリー様までこの薬屋の味方を……?」
「竜災の日、この街にいたのは彼女も同じです。治癒魔法が使えずとも、人を救いたいと思うのは自然なことでしょう?」
「なっ……それ、は……」
竜災、という言葉が出た途端に、ミルコはそれまでの勢いをなくす。
7年前この街を襲った竜災は、大災害として人々の記憶と記録に深く残っている。
ベテランシスターであるミルコにとっては特に苦い記憶だろう。
あの日、治癒師による治療が間に合わず命を落とした人々が何人もいた。
街の人全員を救うことができなかった治癒師たちはひどく責められたそうだ。
ミルコはその惨状をそばで見ていたからこそ、わかっているはずだ。
もう二度とあんな悲劇を起こしてはならない。
エレノアもまた、竜災をきっかけに薬屋を志した。
一人でも多くの人を救いたい――その気持ちは、エレノアもミルコも同じだ。
言外にそう指摘したホリーの一言で、ミルコは気まずそうに口ごもる。
そして、エレノアの顔をとても見られないまま、そそくさと店を出ていった。
「はぁ……びっくりしたぁ。助けてくれてありがとう、ホリー」
「いえいえ。ごめんよ、彼女は神殿が心から大切なんだ。大切にしすぎなくらい」
「それはわかったよ。だからこそどうやって答えるか困っちゃった」
ミルコの姿が見えなくなった瞬間、エレノアは長く安堵の息を吐く。
ホリーは目を細めてエレノアに笑いかけた。
「それより。改めて、念願の薬屋開店おめでとう、エレノア。これはささやかだけどお祝いだよ」
「わぁ……! 忙しいのにわざわざありがとう。開けてもいい?」
「もちろん」
ホリーが差し出したのは手提げの紙袋だ。
小さいけれどずっしりしたその袋からは、芳しい花の香りがただよっている。
エレノアは目を輝かせて、袋の中身を取り出した。
「かわいい! これ、もしかしてイタミドリの花……?」
小さなプランターから伸びるのは、タケノコのようにとがって節のある茎。
その節の割れ目からにょきにょきと枝分かれした細い若茎の先には、雫型の白い花弁がいくつもほわほわと重なって揺れている。
「そう。よくわかるね。珍しいハーブだって聞いたから買ったのに」
「珍しいよ、私も図鑑でしか見たことないっ。嬉しい、ありがとう……!」
観賞用の花としては地味な野草の一種だが、エレノアにはこれ以上ないほど嬉しかった。
イタミドリの花は、その名前の通り鎮痛成分を含んでいる。ただの薬草とは違って、つらい痛みを忘れさせてくれる貴重なハーブだ。
大喜びで店のカウンターに鉢を飾るエレノアを見ながら、ホリーは肩をすくめる。
そして、店の中をぐるりと見渡した。
まだ何の飾りつけもない、どこか借り物のような景色だ。
そこに並ぶエレノア手製の薬を、ホリーは誰より嬉しそうな顔で見つめていた。
「エレノア、君の夢はここで叶いそう?」
ホリーの問いかけに、エレノアは驚いて眉を上げた。
「私、夢の話なんてしたことがあったっけ?」
「ないけど、君を見てればわかる。叶えたいことがあるんだろうって」
そうじゃなきゃこんなに頑張れないよと、当たり前のようにホリーは言った。
ホリーはエレノアが薬に没頭してきたこの7年間を、呆れずに見守ってくれていた貴重な友人だ。
彼のいつもと変わらない穏やかな笑みに、自分への信頼を感じてエレノアの胸はじんわりと暖かくなる。
気づけば、エレノアは口を開いていた。
「うん、あるよ。叶えたいこと——私、“おいしい薬”を作りたいんだ」




