1.お薬屋さん、開業!
その日、まだ10歳だったエレノアは、ただ呆然と目の前の光景を見つめていた。
飛竜の爪が岩山をえぐる音。人々の悲鳴。火事。落石と土砂崩れ。
四方を山に囲まれた辺境の街、フェルノースは今にも壊れようとしていた。
「竜の対処は我々が行ないます! 市民の皆さんは避難を!」
王都から派遣されてきた騎士たちが走り回って、一人でも多くの人を守ろうと奮戦している。
魔法陣が宙に浮かんで土砂を押し留める。騎士がその身を呈して落石に肉薄し、空中で切り落とした。
剣撃と魔法が、飛竜を退けようと惜しみなく繰り出される。
そして、陽が傾いてきた頃。
騎士たちの奮戦のおかげで、飛竜はフェルノースを去った。
残されたのは半壊した街並みと、傷ついた人々だけ。
「みんな無事か!? 重傷の者がいたら教えてくれ!」
被害の少ない神殿の方から駆けつけたのは、3人の治癒師だった。
彼らなら治癒魔法を使い、傷ついた人々を癒すことができる。
一縷の希望を求めて、動ける怪我人はみな治癒師の元にすがりついた。
「痛い、痛い……! 助けて……!」
「娘が顔に怪我をしたんだ! すぐに治してくれ!!」
「順番に! 必ず全員治療しますから、一列になって!」
あっという間に民衆にまとわりつかれ、治癒師はそう叫んだ。
しかしその言葉を引き金に、さらに混乱は広がっていく。
「順番だと!? こっちの方がどう見ても重傷だろう!」
「おい、こら! 抜かすな!」
「こんなに待ってちゃ、間に合わない……っ。すみません、誰か……誰か——」
「辛いのはみんな平等だ! 黙って待ってろ!」
「平等だと!? お前も足を失わせてやろうか。この子のように……!!」
飛び交う怒号と、恨みのこもった言葉。
そして、その混乱にすら置き去りにされた者もまた、少なくなかった。
崩れた建物の下敷きになって体を動かせない人、倒れて意識を失っている人。
本来なら真っ先に治療を受けなければならない重傷者たちは、助けを求めることすらままならない。
彼らの存在に先に気がついたのは、治癒師ではなく騎士だった。
「……お前たち、まだ戦いは終わっちゃいないぞ! 動ける騎士は薬草を配り、人々の救助を!」
騎士団長の一声で、騎士たちはみな薬草の山盛り入った木箱を持って、現場を駆け回る。
戦いの後で疲弊し傷ついているのは騎士も同じだが、彼らはけして足を止めなかった。
「大丈夫ですか!すぐに治癒師が治療します。それまでこれを!」
「……あぁ……助かった……」
倒れた人々は薬草を震える手でちぎり、口に運ぶ。
意識がない者には、騎士の方から無理やり薬草を口に含ませて飲ませた。
「うぐっ……ゲホ、おえッ……」
生の薬草は苦く、植物特有の鼻につんとくる青臭い風味を持っている。
無理やり飲み込もうとした一人の老人がえづき、血の混じった吐瀉物を吐き出した。
あたりがどよめき、家族らしき若い男女が青ざめた顔で老人に駆け寄る。
(あれ? なんで……)
押しつぶされるような不安の中、安全な場所から事態を見つめていたエレノアは——ふと、疑問を抱いた。
どうしてこの人たちは、生の薬草を苦しそうに飲み込んでいるのだろう。
どうしてすり潰したり煮出したりしないのか。
どうしてそれは薬ではなく薬草のまま使われているのだろう?
もっとやりようがあるはずなのに――そう思ったエレノアの頭に、走馬灯のように情報が流れ込んできた。
生薬の取り扱いが書かれた教科書。
すり鉢で素材を砕いて粉末を薬包紙に包む自分の指先。
付箋だらけになったノートにびっしり書いた化学式。
実験室。知らない友人の顔。つんと鼻を刺す薬の匂い。
――10歳のエレノアの記憶にはない、けれど確かに彼女が経験した過去の記憶。薬学生として学んだ知識たち。
この世界に生を受ける前の、彼女の前世の記憶だった。
(そうだ。私は薬剤師を目指してた。ここじゃない、令和の日本で。だけど国試の日の朝、トラックに轢かれかけた子どもを助けて――死んだ)
そして、生まれ変わったのだろう。この、薬のない異世界に。
一気に前世25年分の記憶を思い出した脳は、ぐるぐると熱く回り出す。
気づけばエレノアは意識を失い、地面に倒れ込んでいた。
* * *
竜災から7年。
フェルノースの街はすっかり復興し、かつての賑わいと技術力を取り戻していた。
レンガ造りの建物を彩る枯れない花たち。
魔法の力で活気ある街道を走り抜ける車やバイク。空を飛び回るドローンは、またあの日のようなことが起こらないよう街を見守ってくれる警備隊だ。
17歳になったエレノアは新居の2階のベランダから街を見渡し、日差しの下でぐっと伸びをする。
春の陽気が街にただよう、よく晴れた日だ。
「はぁ〜、気持ちのいい朝。物事を始めるにはきっとうってつけの日だよね!」
ベランダには鉢植えが並び、色とりどりの草木や花が健やかに育っている。
その中の一つに植えられたマンドラゴラが、「きゅぷい!」と元気に返事をした。
今日はエレノアが営む薬屋の開業日だ。
ここに引っ越してきてから3日、急ピッチで用意を進めて今日に至る。
初めての経験に、エレノアの心はドキドキとワクワクで弾んでいた。
(薬の在庫もばっちりだし、容器にはラベルをつけて昨日全部確認した。あとは一階に味見を出すだけ!)
ベランダと繋がるこの部屋は、エレノアの寝室——であるはずなのだが。
店を開くのが楽しみすぎてつい作りすぎた薬の在庫で、すっかり圧迫されていた。
ベッドと作業机が置かれている以外は、ほとんど木箱の山で埋まっている。
「シロップ」「キャンディ」「スナック」「お茶」「その他」——薬らしくない分類がついた箱をガサガサ漁って、必要なものを取り出した。
階下に降りるとすぐに薬屋の販売スペースに行き着く。
まだ暗い店内に佇むのは、レジ代わりの金庫とそろばんが置かれただけの地味な木製のカウンター。
その殺風景な木目の上にお皿や紙コップを並べて、薬の試食ができるよう準備を整えた。
少しは楽しそうな雰囲気になった気がする。少なくともただ薬草を量り売りするよりはずっと。
エレノアは店を見回し、自信ありげにひとつ、頷く。
「よし、準備オッケー。お客さん、たくさん来ますように……!」
これからへの期待を込めて、まだ暗く閉ざされている店の扉に人差し指を向けた。
指をくいっと動かすと、真っ黒だった扉は透明に変わっていく。扉にかかっていた目隠しの魔法を解除したのだ。
外の光が店の中に差し込んで、キラキラと光った。
エレノアの顔に、思わず笑顔が浮かぶ。
——これから、この店にはきっといろんな悩みや苦しみを抱えた人がやってくる。
治癒師でなくても、街の人々の助けになりたい。そう思って薬屋を始めようと決意したのだ。
決意新たに顔をあげると、早速、誰かが店の方に向かってくるのが見えた。
(えっ、いきなりお客さん……!? チラシを配ったのが、効果あったのかな!?)
目を輝かせて、エレノアは扉を見つめる。
感知魔法のついた自動扉がゆっくりと開き、一人目の来店者を出迎えた。
「いらっしゃいませ!」
エレノアは明るい声で挨拶したが、来店者はそうはいかなかった。
神殿のシスターの衣装に身を包んだおばさまが、忌々しげにエレノアの顔を睨みつけたのだ。
「ちょっとあんた、どういうつもりだい!? 神殿の看板を汚そうってのか!!」
エレノアの薬屋に最初に響いたのは、そんな怒号だった。




