1.お薬屋さん、開業!
エレノアはそのとき、ただ呆然と目の前の光景を見つめていた。
飛竜の爪が岩山をえぐる音。人々の悲鳴。落石と土砂崩れ。
騎士団の人たちが走り回って、一人でも多くの人を守ろうと奮戦している。
魔法陣が宙に浮かんで土砂を押し留める。騎士がその身を呈して落石に肉薄し、空中で切り落とした。
空中では、飛竜を追い払おうと、魔導ドローンに乗った飛行部隊が魔法や剣撃を繰り返す。
目まぐるしい事態に、まだ当時10歳だったエレノアは肩を震わせて怯えていた。
しばらくして飛竜が去ると、パニックは終わり街には静寂が訪れた。
山のそばにあった建物はどれも跡形なく崩れ、昨日までふつうにあった日常の景色は見る影もなかった。
「みんな無事か!? 重傷の者は!?」
舗装された硬い地面がぼこぼこと割れていて危険な中、神殿の方から治癒師が数人駆けてきた。
それを見るなり、怪我をした人は皆すがるように治癒師たちにまとわりついた。
「痛い、痛い……! 助けて……!」
「娘が顔に怪我をしたんだ! すぐに治してくれ!!」
治癒師たちは民衆に囲まれ、身動きが取れなくなる。
順番だ、いやこっちの方が重傷だ、と怒号が飛び交った。
「必ず全員治療しますから、一列になって!」
治癒師の一人がそう言って、なんとか治療が始まった。
しかし、治癒師の元に集まるのは自力で歩ける者たちだけ。
完全に落石と土砂崩れに巻き込まれて体を動かせない人や意識を失っている人、足を怪我した人は放置されていた。
「騎士団! 動ける者は薬草の手配を!」
取りこぼされた重傷者に気づいたのは騎士たちだった。
若い騎士が薬草の山盛り入った木箱を持って、災害現場を駆け回る。
「大丈夫ですか!すぐに治癒師が治療します。それまでこれを!」
「……あぁ……助かった……」
倒れた人々は薬草を震える手でちぎり、口に運ぶ。
意識がない者には、騎士の方から無理やり薬草を口に含ませて飲ませた。当然、咳き込む音があたりに痛々しく響く。
水もないのに苦い薬草を飲み込むなんて至難の業だ。
人によってはえづきながら、みな必死に薬草を飲み下す。
(あれ? なんで……)
押しつぶされるような不安の中、安全な場所から事態を見つめていたエレノアはふと疑問を抱いた。
どうしてこの人たちは、生の薬草を苦しそうに飲み込んでいるのだろう。
どうしてすり潰したり煮出したりしないのか。
どうしてそれは薬ではなく薬草のまま使われているのだろうか?
もっとやりようがあるはずなのに――そう思ったエレノアの頭に、走馬灯のように情報が流れ込んできた。
生薬の取り扱いが書かれた教科書。
すり鉢で素材を砕いて粉末を薬包紙に包む自分の指先。
付箋だらけになったノートにびっしり書いた化学式。
実験室。知らない友人の顔。つんと鼻を刺す薬の匂い。
――10歳のエレノアの記憶にはない、けれど確かに彼女が経験した過去の記憶。薬学生として学んだ知識たち。
この世界に生を受ける前の、彼女の前世の記憶だった。
(そうだ。私は日本にいて、薬剤師になりたくて。でも国試の日の朝、トラックに轢かれかけた子どもを助けて――)
一度、死んだのだ。
一気にあらゆる記憶を思い出したエレノアの脳は、ぐるぐると熱く回り出す。
気づけば彼女は意識を失い、地面に倒れ込んでいた。
* * *
竜災から7年。
街はすっかり復興し、かつての賑わいと技術力を取り戻していた。
春の陽気が街にただよう、よく晴れた日。
エレノアは新居の2階のベランダに出て、日差しの下でぐっと伸びをする。
「はぁ〜。気持ちいい朝。物事を始めるにはきっとうってつけの日だよ」
ベランダには鉢植えが並んでいて、色とりどりの草木や花が健やかに育っている。
その中の一つに植ったままのマンドラゴラが、「きゅぷい!」と元気に返事をした。
今日はエレノアが営む薬屋の開業日だ。
ここに引っ越してきてから3日、急ピッチで用意を進めて今日に至る。
初めての経験に、エレノアの心はドキドキとワクワクで弾んでいた。
「薬の在庫もばっちり、棚にはラベルをつけて昨日全部確認したし……あとは一階にディスプレイと味見を出すだけね」
部屋の中には、所狭しと棚が並んでいる。木組みの棚にはガラスの戸がついていて、それぞれラベルが貼ってあった。
店の中には「シロップ」「キャンディ」「スナック」「お茶」……など、薬らしくない分類でガラス瓶が仕分けられている。
エレノアはベランダを出て、棚から一つずつ瓶を取り出していく。
両手いっぱいにさまざまな色かたちの薬を抱えて、一階に降りた。
木のカウンターにレジと秤が置かれただけの、まだ暗い店内に等間隔に瓶を並べる。
値札もつけたら準備完了だ。電気をつけると、狭い店先にほわんと暖かな光が溢れた。
「よし、準備オッケー。これで世界に訴えかけてやるんだもんね……!」
決意を胸に、エレノアはまだ暗く閉ざされている店の扉に人差し指を向ける。
指をくいっと動かすと、真っ黒だった扉は透明に変わっていく。扉にかかっていた目隠しの魔法を解除したのだ。
外の光が店の中に差し込んで、キラキラと光った。
エレノアの顔に、思わず笑顔が浮かぶ。
――これから、街の人たちを助けるための、大切な毎日が始まるんだ。
いろいろ大変なこともあったけど、きっと報われるはず。
新生活への期待を胸に、エレノアはレジに入る。
すると早速、店の前に誰かがやってくるのが見えた。
(えっ、いきなりお客さん……!? チラシを配ったのが、効果あったのかな!?)
目を輝かせて、エレノアは扉を見つめる。
感知魔法のついた自動扉がゆっくりと開き、一人目の来店者を出迎えた。
「いらっしゃいませ!」
エレノアは明るい声で挨拶したが、来店者はそうはいかなかった。
神殿のシスターの衣装に身を包んだおばさまが、忌々しげにエレノアの顔を睨みつけたのだ。
「ちょっとあんた、どういうつもりだい!? 神殿の看板を汚そうってのか!!」
エレノアの薬屋に最初に響いたのは、そんな怒号だった。




