9.二人目の一級
赤い花。生物とは思えないほどの鮮やかな赤。血に似た、それよりも尚、狂気的で残酷で華やかな色。何重にも花弁は重なり、何の躊躇いもなく花開く。それは豪華で絢爛。花弁から下は存在せず、真っ赤な花だけが、数え分けるのも難しいほどに生えていた。
鮮烈な光景であった。どこか違う世界のような、美しい景色。だが美しさは集まれば時に狂気を宿し、澱みをもたらす。軋みを抑えようと更に美しさを重ねるのであれば、それは既にいつ壊れるかも分からぬ舞台。
風が吹くように花弁が舞う。時に旋風のように激しく、時に剥がれ落ちるようにたおやかに。赤きに生きる無数の花びら。踊り、散り、蠢き、乱れ咲く。害虫により欠落することも、年月により劣化することも、人の手により千切られることもなく、それは舞う。
いつ壊れると知らぬとも、それはなによりも美しい。
――――――――――――――
私はゆっくりと、目を開いた。
匂いがした。それは何の匂いとは一概に言えず、少しきつく焚きしめているような香り。人肌に染み入って侵すような、濃厚な香り。
私は試合で完膚なきまでに倒された。最早、拷問とでも言えそうな状態になり、そしてほとんど死ぬ寸前だったはずだ。だが私は今こうして目を開けている。
なぜ?
私は自らの身体をまさぐった。穴がない。確かにあったはずなのに。腕を見た。縛られていたから付いているはずの鎖の痕がない。あまりにも滑らかだ。
私は上半身だけ起こし、周りを見渡した。何もない。試合をした部屋だ。
ああ、違った。
それはあまりにも堂々とそこにいて、私の愚鈍な頭は無意識のうちにそれを除去しようとしていた。
そこには人がいた。私はその人を知っていた。だが何故ここにいる?
それもまた、美しい人であった。フュスラとは全く異なった趣の、されど同様に他を圧倒するような美貌の持ち主であった。例えるならば絢爛に咲き誇る女王のような花。
艶のある黒髪が数束の赤髪と共に繊細に編み込まれ、幾本かの豪奢な簪で結われている。赤いつり目が開かれ、左目の下に一つだけ黒子があるのが妙に艶めかしい。白い肌につり上がった赤い唇がよく映えていた。
黒と赤、金の縁取りを持つ華やかな着物に身を包む。何着重ね着をしているのかはよく分からない。着物の片側には切れ込みが入り、無防備な素足が覗いていた。
一級。ニーナベルクレ。通称、アイナ。紛うことなき一級で、監獄内部で絶大な権力をもつ。
私と大して歳は変わらないだろうに、アイナはそこはかとない色香をまとって艶やかな笑みを浮かべていた。裾から細い腕が伸びる。その腕は扇を携えていた。
「こんにちは」
それは自らへの自信と誇り高き尊厳に満ちた声。
シャッと滑らかな音がして、滑らかに扇は開かれる。アイナの口元を隠す。漆黒の台紙に赤い花びらが散った模様。アイナの為だけに作られたのだろう。よく似合っていた。
一応挨拶を返そうとして、私は酷く咳き込んだ。ねっとりとしたなんとも言えない感触が腔内に広がっている、たまらずに吐き出した。なんとも形容できない粘り気のある赤黒い何かが床に吐き出される。気にしないことにした。
「こ、んにちは」
つまったような声が出たが、一応は挨拶だろう。
私はアイナを見上げた。今の身体の状態で立ち上がってなにかすることは無謀だろう。今こうしているだけでも結構疲れる。
「治してくださったのですか」
私は訊いた。それが事実か自信はなかったが、この状況であればその可能性もあった。
アイナは相変わらず唇を扇で隠したままで、その両目だけがにっこりと閉じられた。黒い睫毛と高い鼻が目立つ。
「私、弱い者いじめは嫌いなの」
抑揚に富んだ、聞き取りやすい声であった。嘲るような色を含んでいるところまで完璧であった。
そこで止めておくべきだったかもしれない。だが私はその時、頭に思い浮かんだことをそのまま言葉にしてしまった。
「シュナに頼まれたのではなくて――――?」
アイナの表情は変わらなかった。が、明らかにまとう空気が不機嫌になった。
アイナもまた、シュナに陶酔する一級であった。私からすればフュスラとアイナの両方も相手にできるシュナの胆力と手腕が信じられないが、とりあえず事実としてはそうだった。
フュスラと同じく、アイナもシュナを囲い、欲しいものを与え、依存とも思えるほどに慕っていた。
「違うわよ。最近はこうして偶に死にかけの人を治療するよう命令が下りるの」
アイナは私を認識していた。つまり、一人の人間として、顔と名前を一致するぐらいには認識していた。
アイナの笑みが深まったのが、扇ごしでも伝わってきた。
「ああ、でも、治療が間に合わなければ良かったかしら?」
アイナは勝ち気な見た目とは裏腹に、弱い者を必要以上にいたぶることを嫌い、優しく、仲間思いなことで知られている。が、シュナに関係することとなるとそれらは全て吹き飛んでしまうようで。シュナと同室の私を快く思わないのは当然であった。
好きな人が他の女子と喋っているところなど、見たくはないだろう。そりゃそうだ。
「治してくださってありがとうございます」
私は素直に頭を下げた。とりあえず、私が今死んでいないのはアイナのおかげであることは間違いなかった。それは何よりも重要な事実であった。
アイナはつまらなそうに息を吐いた。扇がずれる。どうやって操作をしているのか分からないが、アイナの指がひらめくと同時に扇は閉じられた。
「そんな弱い身体でなぜ生きているの?」
アイナの赤く塗られた唇はそう発音した。私はアイナの赤い目を見据えた。アイナの唇がふっと緩む。
「――――と訊きたいところなのだけれども」
再び扇が開く。アイナの右目が隠された。起き上がった時からしている匂いが強くなる。いつの間にか床に、壁に、赤い花が咲いていた。
子供が両手で器をつくったときにぎりぎり入るような大きさの、巨大な花。染みも欠けも一つとしてない、完全な花。至る所から鮮やかな赤い花が咲いている様子は私には狂気的に見えた。
――――《紅纖華》
アイナの《領域》。
「生きるわよね。私があなたと同じ立場にいたって生きるもの。誰に見下されたって生きるわ。誰に弄ばれたって生きるわ。死んでなんかやらないわ――――そんなの勿体ないしつまらないもの」
アイナの赤い唇から白い歯が零れ、アイナは歌い上げるようにそう言った。
「お互い精一杯生きましょう――――貴方が死んでも私には関係ないけれど」
言葉が終わりきるかどうかといった内に、花びらが一斉に溢れた。真っ赤な花びらに囲まれて、その色に埋め尽くされて、私はろくに返事もできずに再び意識を手放した。




