4. 決闘
フュスラの対戦者の男子は見たところ格闘タイプだった。軽装備で拳に専用の器具を付けている。それ以外の武器は持っていないようだが《刻印》の能力なんて死ぬほど多いのだから、武器を召喚するかもしれない。
そう、《刻印》の可能性は無限大。
最初に授かる《刻印》の能力だけは選べないが、そこから《刻印》の能力をどう育成するかは人による。自分の戦闘スタイルとあった能力を育てていかなければいけない。《刻印》の能力には様々なタイプがあり、《技能》、《領域》、《常時発動》、《状態》といった具合に分けられる。
新たな能力を発芽するために、監獄の入居者達は日々鍛錬に励んでいる。
ちなみに《刻印》自体に強化能力があるので、肉体系の能力を一切発芽させなくても《刻印者》でない人より身体は随分頑丈になる。
ちなみにのちなみにだが、監獄に集められたのは《刻印》を授かった者だけなので私にも《刻印》はある。
|《空の匣》《エンプティ》
何の能力なのか一切不明。恐らく物珍しさでこの監獄に収容されたのだろうが、今に至るまで役に立ったことはない。
そうこうしている内に対戦者はフュスラに襲いかかった。
対戦者が足を一歩踏み出した瞬間、炎が舞った。ばっと散ったように火の粉があがり、対戦者の腕は実際に炎を纏って赤々と燃えた。いや、身体全体が薄い火に包まれている。《状態》の能力といったところか。攻撃と防御を同時に行う効率のよい能力だろう。
「《炎餓襲装甲》!」
裂帛の気合いと共に拳がフュスラを襲う。フュスラは後ろに飛び跳ねて避けた。長い金髪が空中にふわりと舞う。擁護するように水の壁がそびえたつ。フュスラの能力は水よりだ。これぐらいは余裕であろう。
対戦者は追った。躊躇なく水の壁を殴りつける。派手な音がした。大量の水の蒸発と共に爆発とでも呼べそうな音がなる。結構な衝撃も発生したかもしれない。だがどちらにとっても問題はないだろう
対戦者はのらりくらりと避けるフュスラに着実に近寄った。装備から言って対戦者の方が動きやすいのは明らかだったし、フュスラに近接戦を挑むのは正解だろう。
近づいたところで何ができるだろうかという問題はあるが。
対戦者はついにフュスラの肌に触れられるところまで近寄った。今一番の声が出た。踏み出した足の下の床が溶けた。引き絞られた腕が真っ直ぐに突き出され、フュスラの肩の辺りに勢いよくぶつかった。クリーンヒット。
フュスラの肩が裂け、どす黒い血と赤く塗られた骨の欠片と真っ赤な臓物の一部が飛び散って穴が空く――――ことはなかった。
フュスラは無傷であった。遠くではやし立てる声が上がる。
恐らくとしか言いようがないが、フュスラは常時水の膜で身体を覆って防護している。だがそれは《常時発動》とは少し違うだろう。《刻印》の能力には名前が付いているが、馴染み手足のように扱えるようになると一回一回名前を呼ばなくても能力を好きなように扱えるようになる。フュスラの防護はそのレベルまで到達しているということだ。
だが相手もそれは分かっているはずだ。フュスラは今まで何回もこの能力を見せて、いや、見せつけてきたのだから。
対戦者は連打した。フュスラの処理能力を削ごうという目論見なのか、能力の発動条件を満たそうとしているのか。フュスラの身体に拳は突き刺されど、フュスラの顔には汗一つ浮かばない。
いつもであるならば、ここから――――。
フュスラは無造作に手を伸ばした。無造作だったが、その動作は対戦者の不意を完全に突いていた。
水がフュスラと対戦者の足元に広がっていた。
それはいつからだったのか。私の目はその開始を捉えることはできなかった。
対戦者がフュスラを殴ろうと踏み出す度にパシャリと音が鳴る。子供の遊戯のような音。
微笑んだフュスラの顔に呼応するように、どこからともなく数知れぬ仄かな光が舞い落ちる。それは決闘場を軽く覆い尽くすほどの広さに降っていた。
その光景は静謐であった。光が水面に触れた瞬間から波紋が広がり、波紋はぶつかっては新たな波紋を作り出し、やがて端から消えてゆく。
対戦者の炎が鎮火することはなかったが、対戦者は明らかに怯んでいた。
フュスラの喉は少し動いて、微笑んだ唇から小さく音が漏れた。
――――《慈しみの慰め》。
フュスラが決闘を挑まれたときに毎回使う能力。
いつもどおりのパターンだ。だからいつもどおり、対戦者はこれから負ける。
対戦者はフュスラに殴りかかり続けた。だが無駄だった。無駄であった。フュスラはもてあそぶように何もしなかった。仄かな光は舞い落ちていって、幻想的な光景の中、フュスラは微笑んでいる。
もう一度、フュスラの唇が空く。その微笑みは最早、最早、楽しんでいるようであった。嗤っているようであった。無力なものを、足掻くものを。目の前の、小さな、弱きものを。蒼い目は丹念に重ねがけされた光のベールのように透き通っていて、複雑な色味を醸し出していた。なんとも綺麗であった。
「《無垢たる悪意》」
そこからは何がどうなって、何があったのか?
対戦者の肌は一瞬の内に赤に塗られ、対戦者は倒れた。肌が瞬きもできない内に裂け、血が流れ、炎は消された。倒れた衝撃でたたえられた水が盛大に跳びはねた。
透明な水の中に鮮烈な赤が滲む。薄まることなく流れ続ける命の一部。
そう間を置くことなくフュスラの勝利が宣告された。フュスラの微笑みは変わらずに、フュスラは可愛らしかった。
――――全くもって単純な、貧相な結末。
フュスラの使った能力はシンプルだ。
《領域》《慈しみの慰め》領域内の全て者を癒す。そしてもう一つ、《技能》《無垢たる悪意》いかなる治療行為も攻撃へと変える。
それがフュスラの戦闘スタイルであった。私の知る限り決闘においてフュスラがこの二つ以外の能力を使用したことはない。ただ単に圧倒的で、絶対的。
私は手を握りしめた。スクリーンから視線を剥がし、止まっていた足を無理矢理にでも動かす。興奮冷めやらぬように背後で大声が飛び交っていた。
私の生きる世界はあの場所ではない。私があの場所で生きられるはずもないのだ。最底辺には、生きようがない。《刻印》の能力が発芽すれば、なにか違うかも知れにないという期待は、もう持たない。私はここで終わるのだから。
幾分余裕なく歩いた。スクリーンにあれほど見入っていた自分が無様で身の程知らずに思える。
次は訓練の時間であった。座学の時間はないことはないがあまりない。そして訓練室まではそれほどもない。
ふと、廊下の次の曲がり角に人の気配を感じた。歩いて行くか迷い、そのまま進んだ。誰かを確認する前に歩き去ろうとした瞬間、斜め後ろから声がかかった。
「――――ヴィア」
それはよく知った声だった。咄嗟に振り返る。
相手は私を見て驚いているようで、私も相手が、シュナがここにいることに驚いた。いつもと同じように肩ほどの黒髪が輝いていて、銀の両目が私を見下ろしていた。




