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怪物の花園  作者: 賭命始祖


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3. 縁遠い世界

 走っていた。


 私の走る音が足を動かすのと同時に聞こえる。毎朝のランニングは欠かしたことがない。体力は付いてきている。だが、そんなものが付いてきても意味などない。


 意味がない。それは絶対的な事実として私の世界に君臨している。


 この世界では、この監獄では《刻印》の強さこそ全て。どれほど怪力になろうと、俊敏になろうと、賢くなろうと、私は強くなれない。確かに私の身体に《刻印》は刻まれている。だが、なんの能力も発芽していない。なにもできない。


 私の人生は詰んでいる。


 才能という言葉があるのならば、罵って蹴飛ばして――――だがそうしても何も解決しない。何も未来を開いてくれなどしない。


 それでも何かしていなければ、なにかを得ていなければ、生きていくことなどできはしない。だから私はまだ死ななくて、私はまだ無駄な努力を積み重ねている。


 食事を貪った。水分のないパンを千切り押し込む。冷えかけの塊の肉、しなびて色を濃くした緑の葉、いびつな形のコップに注がれた水。


 毎日繰り返される同一の食事に、舌は随分前に味を失ったような気さえする。


 食堂では大勢がひしめき合っていた。大声が飛ぶ。皮肉げな、挑発的な、あるいは馬鹿にしたような笑みが弾け、雑多な会話が行われる。何度も見ているだろうに見覚えのない顔ばかりが並ぶ。


 顔の識別に時間をかける必要はない。意味はない。


 そう、派手な喧噪は、私には関係ない。私は喧噪の中では生きていけない。ああ、少し違うか。生き方を知らないと言った方が正しいのか。


 急に一段階盛り上がり方があがった。至る所で口笛が吹かれる。怒鳴り声や地響きにも似た声が響いた。


 人だかりができていた。この食堂は二階にあって、中央部分は一階が見下ろせるような吹き抜けの作りになっている。その場所に人続々と集まって行っていた。


 一種異様な空気が辺りに満ちる。それは箍の外れた高揚感。監獄での数少ない娯楽をしゃぶりつくそうとする集団。


「始まるぞ――――!!」


 今日は決闘の日であったか。もう既になにも食べるものの載っていないプレートを持つ。返却口に押し込めば、私の食事は終わりだ。


 私は席を立って、人だかりに背を向けた。


 決闘は《ランク》の上下をかけた戦いだ。《ランク》が高いもの同士の決闘は注目度が高く、こうして休憩の時間に大々的に放送される。盛り上がり方からいって一級への昇格をかけた戦いかもしれない。


 食堂にはご丁寧なことに巨大なスクリーンが設置されている。一階の決闘場を映していた。人だかりに背を向け、離れようとしている私の目にもそれは入り込んで、私は意図的にそれを視界から外した。


 騒ぎ声は五月蠅くて、不快であった。


 私は今、自分自身がとても冷めた目をしているという自覚があった。


 だってそうだろう?――――この監獄内で一級のメンバーは確定だ。誰がなにをしようとその順位が覆ることはない。それほど一級の実力は圧倒的だった。


他の収容者達がなんでそんなに騒いでいるのか分からなかったし、結末が決まっているのに《ベラ》をかけて戯れる意味もないと思う。私は賭に参加しない。最底辺にそんなものに参加する権利などあるはずがない。


 歓声があがった。


 否が応でもでも、スクリーンは目に入ってきた。


 そこに映っていたのは予想通り一級の一人であった。


 まずもって目に付くのは小柄な身体――――私だって身長は百五十を少し超えるぐらいだが、その少女は恐らく百五十に届かない。


 そして美しい少女であった。腰まで届くほどの真っ直ぐな燦めく金髪と、様々な蒼が多重に重なった深みを宿す両目。小さく微笑んだ淡い桃色の唇。日に当たったことがないように真っ白で滑らかな肌。


 左右対称ともいえそうな顔のパーツの配置であって、男性であれば誰でも心のどこかで気にしてしまうような愛らしさを備えていた。


 着る人を厳しく選ぶようなワンピースを着こなしていて、細い腕が目に付く。


 一級、ラドルレガルズ、通称フェスラ。この監獄内において三名しかいない一級のうちの一名。私は彼女を知っている。というか、この監獄内で彼女を知らないものはいない。その顔立ちも、実力も非の打ち所がない。


 慈愛に満ち、可愛らしく、可憐で、純粋で、無垢で、――――残酷。


 スクリーンの中でフュスラは手を振った。削って整えられたかのような細く、白い指が目立つ。スクリーンから音声は流れることがなかったが、人だかりからは歓声があがった。歓声だけでなく、怨嗟の声も多分に混じっているだろうが。


 フュスラに応じるように、決闘場のもう片側には別の収容者が映っていた。決闘の対戦相手だ。私はその顔に見覚えがなく、それが誰なのかもどれほどの実力者なのかも分からなかった。険しい顔をしていて、フュスラを睨んでいた。二級であるだろうから、相当な実力者なのであろう。少なくとも私がこの先一生勝てないような相手であることは間違いがない。


 だが、誰が何をしたって結果は一緒だ。


 フュスラを含む三名の一級は初期の頃から一回も一級の座を受け渡したことはない。挑まれた回数は数知れず、だが敗北は一度としてない。それどころか、接戦といえる決闘さえない。大抵の場合は、三名の一級が圧倒して終わる。


 フュスラは絶対的、圧倒的王者。監獄内を牛耳る一人。


 私と正反対の人。


 フュスラは静かにお辞儀をした。それは丁寧で上品な立ち振る舞いだった。


 粗野な連中の集まっているはずで、戦闘訓練が主であるこの監獄で、フュスラの行動は異質なほどに洗練されていた。


 顔に浮かぶ微笑みは変わらず、私はフュスラの微笑んでいる顔しか知らない。だからいつも微笑んでいて、何を考えているのか分からない。分からない。


 大きくなるばかりだった歓声が急に静まった。始まる。


 いつの間にか足を止めている自分に気づく。


 いつの間にか食い入るようにスクリーンを見つめている自分に気づく。


 どうしようもなく救えない自分に気づく。


 どうしたってあの場所に私が立てることはなく、私にとって縁遠い世界にあるはずのものに魅せられている。



 決闘は開始された。



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