27.作戦会議
試合の次の日。目が覚めたときにはシュナはもういなかった。冷たい鉄の部屋を出る。飾り一つ無い廊下と整然と空間を区切る壁。そこには誰もいない。私は何も見つけられない。
足を踏み出した。身体の具合は、多少はましだ。目を開く。小さな身体であるけれども、背筋を伸ばす。前髪が視界を横切った。それが気にとまった。
――――髪を切ろう。ばっさりと切ろう。次に髪を切るときまで生きているか分からないと思ったのは、いつのことか。
あれほど眼中になかったはずの【絡の籠】を受け入れてから、心は一気に楽になった。メイトに、タールサザグアキのものに手を出す阿呆はいない。与えられた自由であっても楽になるものかと、少し残念に思った。私はもう少し、頑丈だと思いたかったのに。
「おはよう」
「・・・おはよう」
私はランニングを始めて、直ぐに声をかけられた。最早気配のなさにも慣れてきた。ヨミだ。今走り始めたばかりなのか、汗一つかいていない。ヨミは私の横を併走し始めた。背の高い存在が横で走っているというのはなんとも落ち着かない。
「お前、俺に気づいてたか?」
「?」
私はヨミを見上げた。走りながらもヨミは器用にも片眉だけを持ち上げた。そういう反応を見ると、最初のころの無関心が嘘のように思える。そのうち、笑っている顔でも見ることができるだろうか。見てなんになろうかと、今までの私なら考えただろうが、昨日の出来事はどうやら私に少なくない影響を与えたらしい。
「俺も毎日ここを走ってる」
「え」
「やっぱり、気づいてなかったか」
ヨミは淡々と言った。ああ、そう言われてみれば、毎日誰かが走っていた気もする。だが興味がなかったから、気にしていない。そもそも私は人と関わる気がないから。
「――――メイトと【絡の籠】を結んだこと、後悔してないか?」
しばらく両者無言で走った後、唐突にヨミは言った。ヨミは私を見ていない。
「何を後悔する?私達は、助けられた」
私は事実を述べた。【絡の籠】を進んで結びたいとは思わなかった。だが、そうしなければ私達は楽園であるはずの監獄でも生きていけない。自分の我を通して、ヨミを傷つけるのはごめんだ。
「そうだな」
ヨミはぼそりと言った。ヨミは後悔していないのか?訊いても良い。だが訊かなくたって何の問題もない。私の目の前に差し出された二つの選択肢は、選ぶときだけ自由だ。選んでしまえば結果まで引き連れてしまって、不自由になってしまうけれども。
「俺は後悔してない」
ヨミはそう言った。俺も、じゃなくて、俺はなんだなと、ちょっと引っかかった。ヨミのペースが速くなる。
「お前が無事でいるからな」
私が何かを言い返す前に、ヨミはダッシュした。一瞬呆然とした後、全力で追いかける。ヨミは男で私は女。だが、短距離での爆発的な加速を舐めてもらっては困る。訓練室を毎日毎日飛び跳ね回っているのだ。速く走るコツは単純。足の回転をすごく速くする。
「ちょっ、おい、なんで追いかけてくるんだよっ」
私はヨミに並んだ。ヨミが焦ったような顔をする。うん、その顔も初めて。
「ヴィア――――お前じゃなくて、ヴィア」
ぽかりと口を開けた後、ヨミは少しだけほんの少しだけ、顔を緩めた。幼い少年のように、雰囲気が一気に柔らかくなる。
「分かったよ、ヴィア」
「――――で、お二方元気?」
「うおあっっ」
ヨミの驚いた声。
右足が続いて左足が地面を離れる。それは最早跳ねるという動作ではない。空中を渡るという方が近しい。実に軽々と、肉体の運動の限界を超えて少年は、緑髪の少年はその場に降り立った。まったく、いつからいたのだろうか?
疾風のごとく現れたメイトは満面の笑みを浮かべていた。
「どうしてここに?」
「心配になってね~」
「ったく、俺達は無事だ。そんなに気にする必要もねぇよ。メイトの名前を出せば俺達に手出しをだせる勇気のあるやつはいない」
ヨミの口は良く回る。人と会った瞬間からそんなにすらすらと言葉がでてくるなんて、私にはまずもって無理な話だ。
「大丈夫?なら、もう一個別の話があって――――今日自由時間あるよね、俺の部屋に来て~」
まあ、拒否権なんて、存在しない。本は読みたかったけれども。
――――――――――――――
「ヨミ。最下層に来たことは?」
「あるわけねぇだろ。一生縁のないもんだと思ってたわ」
メイトに呼び出されたとおり、私達は最下層にいる。ヨミの返答の声は硬い。ちなみに私はついさっき、人生初のエレベーターに乗った。身体が勝手に上下するのはすこし気持ちが悪かった。最下層、あるのは一,二級の部屋だけ。合計十人のためだけにこの空間が使われているのだ。もちろん、床も壁も綺麗に塗装され扉も高そうな装飾が付いている。明かりは青白くなくて温かみがあり、空気もいい。虫もカビもどこにも存在しない。
だがそれでも居心地が悪いと感じているのはヨミもだろう。監獄の最底辺に蹲るのになれた者には、この空間は実に奇妙だ。
「はあいっ。来てくれてありがと~」
迷いながらも辿り着いたメイトの部屋は、予想の三倍は広かった。何と三部屋あるらしい。二人で一部屋の私とは大違いだ。とはいえ、最早ここまで違えば、別世界にでも渡ったようで私の回転のよくない頭は現実感を片時も感じていない。だから特にすごいとも、ましてや羨ましいとも思わなかった。
「よし、じゃあ、作戦会議ね」
「なんのだ?」
ヨミのぶっきらぼうな口調に、メイトは軽々しく口を開いた。
「この監獄の脱出計画だよ!」
思考停止。理解不能。
「「は」」
奇しくも私とヨミの声は重なった。
「――――?なんで驚いてるの?」
いや驚く。私とヨミは視線を合わせた。お互いに驚いていることを確認して、自分が正常であることを確かめる。こうでもしないとメイトとは付き合っていけない。
「いやなんだって、そんなこと――――」
「だって、ヴィア達はこのまま監獄にでたら、死ぬよ?俺もどんだけ助けてあげられるか分からないし」
それは、殺気のない攻撃のようなものだった。
つまり私達はどうしようもないぐらい弱いってことで。その言葉が悪意によって吐き出されたものならばまだ受け止める方法もあろうに、残念ながらメイトは純粋にそう思っている。純粋に無邪気に、残酷に私達を労っている。
メイトの歪みは手の付けようがない。
強引に頭を切り替える。私が弱いことは知っている。ヨミも同じだ。ここでメイトのやることに真っ向から意見をぶつけるのは良くない。
「でもよ、脱出なんてできないだろう?俺達は監獄に囚われている。ここは地下だし、上に行く方法なんてないだろ?」
「うん、俺もまだ見つけていない――――でもさ、この監獄っておかしなところがあるんだよね」
メイトは金の目を輝かせた。その目は真剣だった。メイトは本気で脱出しようとしている。本気で考えている。ただ救いの手を差し伸べただけの人のために。そして何かを掴んでいる。
「おかしなところってなんだ?」
私は息を止めた。メイトは笑いを含んだ声で答える。
「――――監獄には管理人が誰もいない」




