23.人質
(ヴィア)
ナイフの先は綺麗に肩を刺し通している。それを認識した瞬間、痛みが身体の中を跳ねた。だが、悲鳴を漏らすことはない。いつもの日常で、私は一体どれほどの痛みを感じているのだろうか。足を削がれ、臓物を縫い止められる。顎を裂かれ、身体を穿たれる。身体に一つの穴が空く、こんなちっぽけな傷など、なんでもない。
ひたりと、赤い血が肌を伝い服に染み、その色を晒す。ああ、私の血であろうとも、赤いことだ。いつもは余り見ないその静かな色を、私は冷めた目で見ていた。痛い?まあ、そこそこ痛いか。
三人は、私のその様子を見て、少々気圧されたようだった。温いこと。
怒鳴り合う声と共に、もう一つナイフが用意される。その怒鳴り声を頭の片隅で感じながら、私は目を開いたままにした。唇はしっかりと噛んでいる。
反対側の肩にナイフが刺される。その痛みは実にいつものことであった。私の唇はくぐもった音一つ出さない。
いくらでもこの身を刺せばいい。好きなだけ、望むだけ。私は唇に笑みを浮かべようと思えばできるほどに余裕があった。
――――私は自分の痛みには疎いのだ。
三本のナイフを刺したところで相手はようやく埒があかないことに気づいたらしい。いくらか話し合った後で、彼らは笑みを取り戻した。
「――――ヨミを連れてこい」
何をする気だろうか。つれてこられたヨミは随分と大変そうである。というか、本当に捕まえられていたのか。ヨミには顔を中心に酷く殴られた痕がある。幸い、ヨミの身体にナイフは一つも刺さっていない。私の方が御しやすいと思われたか。
ヨミは私を認めた。その水色の目が瞬間、強い感情に揺れる。いつも通り無関心を貫けば良いのに馬鹿なこと。だが、ヨミは暴れるほど馬鹿ではなかった。
「屑が」
吐き捨てる声に、三人は大笑いした。彼らは完全に優位を取り戻した。
「よし、《刻印》を使用しよう」
一人が言う。残りの二人がはやし立てるのも束の間、ぼこぼこという音を立てて、水が勢いよく湧き出る。毎回、フュスラの試合を見ているからさすがに見劣りするが、ちゃんとした《刻印》の能力である。
水はぐるりと周り、ヨミを捉えた。腕のように波打ち、ヨミを逆さに吊る。水色の前髪が浮き上がり、眉から額にかけてがよく見えた。やっぱり、整った顔をしている。
もう一人も同様に《刻印》の能力を使用する。それは片刃の刃渡りの短い剣。だが、間近で見ると分かる。無数の小さく鋭い刃が埋め込まれている。照明を照り返し、不穏にギラついた。
「これ《鮫々歯》って言ってな――――やってみたことないんだけど、皮膚をすりおろせるの」
一転して、背中を焦りが滑り落ちた。流石の私も、皮膚をすりおろしたことはない。いや、皮膚ですむのか?爪とか、肉とか、骨とかもすりおろす気か?それは最早、痛みを感じる部位すらなくなってしまうような。凄惨な。
そんな考えとは別に、私が感じたのは強烈な違和感。最近、感じることの多い細かな疑念は、緩やかに問いに収束する。危機に瀕している今だからか、身体も頭もくらくらするのに、その問いは滑らかに打ち起こされた。
――――いくらなんでも、ここまでやるか?
――――そんなに、貴方方は、残酷であったか?そんなことはない。そんなことはない。
この監獄は例え自由はないにしろ、全ての者に平等な空間であった。《ランク》も《ベラ》も、私達から優しさを奪うまでではなかったはずだ。例え、家族一人おらず、人としての正しい生き方を教わらなくとも――――。
「ルールは一緒な。呻き声一つ立てたら、ヨミになにするかわかんね―よ」
今の問いについて、追求する暇はない。余裕はない。皮膚をすりおろされるのは多分、すごく痛い。訓練とか、試合の延長線上の怪我ではない。
私は目を開いた。ねぇ、どうせならさ、この痛みで私の《刻印》を目覚めさせてはくれないだろうか。無理だろうなと思いながら、私はそう考えた。
「ヴィア、声を出せっ」
おや、ヨミが叫んでいる。何かを言っている。その焦った顔はどうした?いつも通り、無関心でいればいいのに。
戯れのようにナイフが追加で二本刺された。最初にナイフを刺されてから随分経っている。かなり血も流れたろうか。頭がぼんやりとしてきた。周りの様子が分からない。ヨミの叫び声がする。何を言っている?
これから皮膚をすりおろされれば、私は死ぬかもしれない。死んでしまうか、そうか。その考えがぼうっと頭を巡った。
死への恐怖は、ない。いつ訪れたって、おかしくなかったのだから。
決して声だけは出すものか。私の精一杯の抵抗を、見ておけ。抵抗を見ても、目の前の三人は後悔一つしないだろう。それでも、私の生き方までも曲げてたまるものか。
左腕の手の甲に刃が添えられる。無数の刃が肌にあたり、ちりちりとした触感が伝わってくる。
「三、二、一――――」
刃が引かれるのと、轟音が鳴るのは同時だった。扉が吹き飛ばされた。
緑の暴風が駆け込む。その動きを目で追うことはできず、ただ、鈍い音がして私の目の前から刃を構えた人は消えた。続いて二度、音が鳴る。瞬く間に耳障りな騒ぎ声が消えた。何があった?
――――鮮やかな緑の風。
「ヴィア」
誰の声か。ここに来て、頭の痛みが一気に酷くなった。前が見えない。なにがあるのか分からない。だが、誰かいるのか。誰かいて、助けてくれるのか。
私は手を伸ばそうとした。後ろで縄で縛られているから、手は伸ばせなかった。それでも、少なくとも。
「――――ヨミを、助けて」
その言葉を言い切ったのが先か、意識が途切れたのが先か、私にはよく分からない。
それでもどうか、ヨミにこれ以上の痛みがありませんように。




