22.日常の転換
(フュスラ)
「――――っ」
広い室内の床に水が張っていた。透明で、汚れひとつない。いつものように、仄かな光が幾千と降る。瞬間、仄かな光は一斉に爆ぜた。爆風が生み出される。
長い金髪が舞った。
私は《技能》の結果を見届けて、唇を噛んだ。新しい《技能》を生み出す事が必要。より高い攻撃力をもっている必要がある。私は強くなくちゃ。
今のところ、新しい《技能》を生み出そうとする試みは悪くない。今回の攻撃にしろ、まだ試していない手はある。その中のいくつかをどうにかすれば―――――勝てるかな?
勝てるかもしれない。でも、おそらく次に会った時相手はより強くなっている。あれは、成長する。私は首を振った。
自分の惨めさが、憎たらしい。私は弱い。私の主要な価値はあの時、逃げ出した時、跡形もなく砕け散った。今の私に価値なんかない。私は普段、意図的に浮かべている微笑を消した。今、この訓練室には私の他に誰もいない。何かを誇る必要も、何かを主張する必要もない。
もう一度、床に水が満ちる。仄かな光が降る。私の意志によって降る。なによりも美しくあって。いつでも、どこでも、そうあって。
私に最早価値はない――――だから、もう一度価値を築き上げよう。壊れてしまったものは、なおせばいい。落ちたのならば、這い上がればいい。
シュナにはしばらく会えないな。こんな私は見せられない。寂しさと悲しさと、それを上回る決意。
ねぇ、シュナ、しばらく待っていてね。
――――――――――――――――
敗北を経験した一級は、貪欲に新たな力を求める。
だが、同時にそれは監獄に取り返しのつかない歪みを生むこととなった。
――――――――――――――――
(ヴィア)
最近、体の調子が悪い。ヨミに助けてもらったあたりから身体全体が熱っぽかった。だが単に体調が悪いのとは少し違う。身体は怠いが、頭は妙に冴えている。訓練を休むほどではなかった。もっともこれぐらいで休んでいるなら、私の《ベラ》は足りなくなる。
訓練中、行動するのが遅れて腹のやや下あたりをやられた。どっかの臓器がやられた気がする。まったく、私の身体はもう少し上手に動けないものか。
訓練の合間に、私はしゃがんで頭を巡らした。
明日は試合である。死にかけ、アイナに癒してもらったのは二回前。前回は普通に終わった。普通の訓練と同じくらいの負傷度であった。今回はどうだろうか。
分からない。少なくとも私の《刻印》は目覚めなかったから、私が勝つことはない。
そういえば、シュナは試合をどう乗り切っているのか?その疑問について考えるのは初めてだった。死にかけたとは聞いていないが・・・。【絡の籠】を締結する前はシュナだってただの十級だっただろう。シュナは今日ぐらいには帰ってくるはずだ。多分。聞いてみようか。
壁を蹴って、身体を踊らせる。目の前を、太腿のすぐ横を、相手の攻撃が通り過ぎる。防御が紙屑だから、避けるしかない。とりあえず訓練に集中しよう。
――――シュナは、帰ってこなかった。
夜になって、私はベッドの中で体を丸めた。青白い光が廊下で薄く瞬く。私のカウントが正しければ、私はシュナと十日間は会っていない。まあ、ようやくと言うか、ついにと言うか。シュナの愛想も尽きたのだろう。
それで終わるくらいの、関係だった。
寝返りをうつ。少しだけ、ほんの少しだけ、寂しかった。
――――――――――――――
試合の日。私は朝起きて、軽く走るため部屋の外に出た。相変わらず身体はどことなくだるい。それでも朝、ランニングをするのは欠かさない。無駄な努力と言われればそれまでだが。
試合は八時から。今は五時半だから当分余裕がある。朝ごはんも食べなくてはいけないが、それは六時半時から。
私は廊下を歩いた。人と出会うことはまずない。多くの入居者の生活は六時半から始まる。廊下を歩くと音が鳴る。私の部屋のように鉄が剥き出しとまでは言わないが、上層は簡素なつくりである。ふと、私はここで十年ほども過ごしたのだと思った。十年――――それは、今後の私にとってどんな意味を持つようになるだろうか。
そんなことを考えていた。後頭部に強い衝撃。ぐらりと視界が揺れる。後ろから殴られたのだ。私は反射的に後ろを向こうとして――――。
――――――――――――――
私は目を開いた。後頭部が痛い。外側からの痛みが激しい。悪いことに体調が悪化していた。さっきまで冴えていたはずの頭も熱っぽい。
殴られたところまでは記憶がある。考えるに私は一度殴られた。でも私は気絶しなかった。だからもう一度殴られた。私は気を失ってここにいる。以上。その予想は多分あっている。問題なのは、ここからどうしようかということだ。
場所は訓練室の一つだろう。両手が後ろに回されていて、がっしりと縄で結んである。しっかりしたものだ。肌と荒い縄の表面が擦れる。両足は自由で立ち上がることは可能だが、いつも通りの動きは期待できない。そもそもこの体調では何ができるのか、怪しいところである。
「おやおや、目が覚めたようだぜ」
口笛が吹かれた。三人の少年があらわれる。いつも通り、どこかで見たことがあるような、ないような顔ばかりである。多分、個性を感じないからひとくくりにしてしまうのだろう。
「なにがしたい?」
私は訊いた。どうしようもなくだるかった。身体は熱いし、頭はくらくらする。なんだか救いようがない。
「耐久ゲーム♪」
少年の一人がナイフを掲げた。小さなもので刃渡りは子供の手の平ほどしかない。訓練につかうものというよりかは、食事につかうものといったところだ。せいぜい、遊びにしか使えまい。
「さあ、問題」
ナイフは私の肩先に添えられた。少年の目と私の目が合う。少年の目は、どことなく焦点があってないようだった。私は目の前の理不尽に動揺したか、咄嗟に変なことを考えた。――――これは、人か?
「捕まえたのは一人かな?」
にたりと三人が笑う。一瞬呆然として、冷たい焦りが背中を滑り落ちた。
「誰か他に捕まえたのか」
違ってくれと、私は切に祈った。
「うん――――ヨミってやつを。随分抵抗したからね、五、六発殴ったかな」
かっと腹の底が燃えるように熱くなる。それは怒り。三人は笑った。私が何を怒鳴ろうとも、目の前の者を喜ばせるだけだ。
「なにがしたい?」
私はもう一度訊く。少年は鼻歌を歌って、私の肩先に添えたナイフに力をこめ始めた。ひやりとした金属の感触。
「じゃあ、今から一言も声をだしちゃダメだよ?出したら、ヨミがどうなるか分からないからね」
その言葉を聞いて、直ぐに私はできる限り強く唇を噛んだ。できる限り強く。何も言えないように。
――――直後、肌を裂いて、骨の合間を縫って、ナイフが肩を貫通した。




