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28、断罪と崩壊



 マチルダ達はそのまま研究棟へと向かった。

 皆、口数は少ない。真相に近づき、信じていたものがひっくり返る。それぞれが複雑な想いを抱いていた。


「ミレイユ、あなたは無理についてこなくてもいいのよ」

 

 マチルダは彼女を気遣ったつもりだった。スパイをさせられてはいたが、この件に関して彼女は巻き込まれただけだ。

 しかしミレイユは首を横に振り、苦しそうに言葉を選んだ。


「マチルダ様、フェリシアン様……騙すようなことをして申し訳ありませんでした。もう顔も見たくないですよね……」

「そんなことは……」

「ですが、この件だけは……何かお力になれるかもしれません。どうかご一緒させてください」


 強い意志でそう宣言するミレイユに、マチルダは微笑みながら頷いた。


「ありがとう。あなたはこれからも友達よ」

「マチルダ様……!」


 ミレイユは大粒の涙をハンカチで拭った。


「そろそろ着くよ」


 そんなやりとりの中、ジェイスの案内で辿り着いたのは、教員エミーナの研究室だ。


 

 扉が開いた瞬間、香水の甘い香りがふっと流れ出す。


「まあ……お揃いでいらっしゃるなんて」


 軽やかな声の主はエミーナだった。

 彼女の視線は一同をゆっくりと眺め、最後にレオニスで止まる。

 その一瞬だけ、空気がわずかに歪んだ気がした。


「レオニス殿下までお越しとは、光栄ですわ」

「無駄な挨拶はいい」


 レオニスの声は低い。

 その言葉で、場の温度が一段下がる。


「時戻りの宝剣を渡せ」


 単純な命令とともに手を伸ばす。

 しかしエミーナは怯まない。


「……そのようなもの、存じませんわ」


 王子を前にしてもなお余裕な態度を見せる。


「しらばっくれるな」


 レオニスの声がわずかに鋭くなる。

 エミーナはゆっくりと視線を逸らした。

 机の上には、古い文献と系譜図のようなものが広げられている。その中に、王家の紋章の変遷が記されていた。


「この国の歴史は、途中で一度切り取られているのよ」


 静かな声だった。

 指がゆっくりとその紋章をなぞる。


「旧王家は確かに存在した」

「……講義はあとでいい。お前の目的を話せ」

「せっかちな方ね」


 エミーナは鋭い視線でそう返す。一国の王子に対する態度ではない。


「旧王家こそ、本当の支配者。私はその血を引いているの」


 彼女の発言に一瞬、沈黙が落ちる。

 根拠のない話だ。八百年も前に滅んだ王家の末裔など自称するのは簡単だった。


「私は正統な継承者なの。リチャードは私の目に適った。でもあなたたちはだめよ。頭が固いもの。跪くのがお似合いよ」


 彼女は歪んだ笑顔でそう言い切る。

 

「……気が狂ってるな」


 レオニスは苦笑しながらも、呆れたようにそう返す。

 その瞬間、研究室の奥の扉がゆっくりと開いた。


「……なんだ、この状況は」

「リチャードお兄様……」


 部屋の奥から現れたリチャードに、マチルダの顔色が曇る。室内の視線が彼に集まっていた。


「マチルダに、フェリシアン……それにレオニス兄上……? なぜここに」

「事情は後だ」


 レオニスは即座に切り捨てる。


「とにかく宝剣を出せ」

「……それはできません」


 リチャードは硬い口調でそう言い放った。だがそれは意志というより、何かに縛られているかのような固さだった。


「できない? ということは持っているということだな」


 言葉尻を捉えるレオニスに、リチャードははっとして顔を逸らす。

 しかし誤魔化す気はないらしく、彼は慎重に言葉を選ぶ。


「宝剣は最後の手段なんです」


 リチャードは早口でそう切り返す。マチルダは思わず口を挟む。


「お兄様は何をしようとしているの?」

「……マチルダ、そんな目で見ないでくれ。私はただ……罪を償いたいだけなんだ」

「罪?」


 マチルダのまっすぐな瞳に、リチャードは苦しそうに顔を歪める。

 今逃げたら、もう戻れない。彼が今まで黙っていたことを、マチルダに打ち明ける時が来てしまった。

 彼は掠れた声でポツリと呟く。


「私は……聖女を……殺してしまったから」

「……え」


 彼の言葉が、マチルダの胸をえぐる。予想だにしないこの発言を、易々と受け止められるはずがなかった。


「ごめん。私が……君の母上を」

「あれは事故だ」


 憔悴するリチャードに、レオニスが即座に否定した。

 しかしマチルダは聞き流すことなどできない。


「どういうことか話してください」


 彼女は涙を堪えてそう言い放っていた。



 


 十一年前の王宮の庭園。

 空はやけに明るく、澄んでいた。

 七歳のリチャードは、母と教育係の言うことをただ信じている少年だった。


「僕が王になって、レオニス兄上は僕の家来になるんだよ」


 その声は無邪気でいて、必死さがあった。


「お母様がそう言ってた!」

「はあ? まだ分かんねえだろそんなの」


 八歳のレオニスは肩をすくめる。彼はこういう話が苦手だった。

 だがリチャードは止まらない。


「王の器は強いんだって」

「ほう」

「呪いも毒も効かないって! 僕もそうなんだ」

「……ただの迷信だよ」


 レオニスは笑って流そうとした。

 だが、リチャードの目は本気だった。


 そして彼は――魔獣飼育舎から毒蛇を持ち出した。


「おい、やめろ!」

「兄上は臆病者だ!」


 庭へ放たれる大蛇に、二人は息を呑んだ。

 檻の中では大人しかったそれは、地に放たれると別の生き物のように牙を向けた。


 腰を抜かす二人。

 悲鳴と足音が響き渡る。

 必死に逃げたが逃げられない。もうだめだと思ったその時、助けの手が差し伸べられた。


「殿下、こちらです!」


 その声は聖女であり、第三王妃――マチルダの母、シルビア。

 二人を庇うと、シルビアは迷いなく前に出た。


 そしてその瞬間。


「……っ」


 シルビアは毒蛇に噛まれてしまった。

 レオニスは衛兵を呼びに走った。

 リチャードはただ泣きながら、倒れている彼女を見ていた。


「殿下……マチルダを……守ってね。あの子の血は……」


 そこまで言って、彼女は息絶えた。

 これがリチャードの記憶。彼の罪なのだ。




 

 

「私は……償いたかった。聖女を失ったこの国を、あの人の代わりに守る責任があると思った」


 リチャードはかすれた声で言う。


「だから、私は遺跡の研究をした。神力について知るために。そして聖女のような力を人工的に作る魔法を開発しようとしたんだ」

「……そのせいで犠牲も出ただろ」

 レオニスが口を挟むと、リチャードは顔を伏せた。

 

「エミーナが導いてくれた。だからきっとうまくいくと思ったんだ……だけど今は後悔しているよ」


 リチャードの声は震えていた。


「全部公表して償うよ。いつかはそうするつもりだった。欲が出て後回しになってしまったけれどね」


 リチャードは真剣な表情でそう宣言した。

 彼の決断に、マチルダの瞳からは一筋の涙がこぼれ落ちていた。その時だった。


 エミーナが場にそぐわない高笑いを上げた。一同は困惑する。


「ふふっ、償う? そんなのしなくていいわ!」


 エミーナはまるで子供のように、無邪気な仕草で両手を広げた。


「私はリチャードが王になる結末しか認めないわ! そうすれば私は王妃! そして旧王家は蘇るんだから!」


 狂気じみた発言に、マチルダたちは眉を顰める。話し合いはできそうにない。レオニスは腕を組みながら溜め息を吐いた。

 その時だった。

 エミーナの不気味な笑顔が静かに消えた。


「もう……リセットしよっかな?」


 彼女はぼそりとそう呟き、再びにんまりと笑う。

 そしてそのまま懐に手をやり、マチルダの前まで走った。

 マチルダは突然のことに動けない。彼女の歪な笑みがすぐそこに現れる。

 嫌な予感がした。

 エミーナの懐から、見覚えのある紋章――あの宝剣の一部を削り出したような鋭い刃が姿を現す。


「っ……マチルダ様!」


 身体が勝手に動いていた。フェリシアンはマチルダを庇うように間に入り、背中で彼女を守った。

 鈍い音とともに、血飛沫が舞う。


 何が起こっているのか分からず、マチルダは目を見開く。それと同時に、彼が力なく崩れ落ちていった。


「え……」


 その間にレオニスとジェイスがエミーナに掴みかかる。抵抗されたが、取り押さえた。

 リチャードはこの惨状に、ただ腰を抜かしていた。


 マチルダの頭は真っ白だ。


「しっかりして……お願い……!」


 フェリシアンの手を握り続けた。

 辺りは血の海。部屋の隅にいたミレイユは、慌てて人を呼びに走る。


「早く治癒魔法を……!」


 泣きながら手を施すが、回復しない。

 しまいにジェイスは青い顔でマチルダを見た。


「……もう、息してないよ」

「……うそ」


 涙で前が見えなかった。

 マチルダは彼を抱きしめながら、現実を受け止めきれずに呆然とした。




 


 


――――

 


 

 フェリシアンの葬儀は、静粛に執り行われた。

 皮肉なことに、その日はマチルダの誕生日だった。十六歳になった彼女の隣には、彼はいない。


 空はよく晴れていたのに、どこか色だけが抜け落ちているようだった。

 ただ立っているだけなのに、身体の奥が空洞になったような感覚になる。

 

 マチルダの隣にはジェイスがいる。彼もまた、珍しく言葉を失ったまま空を見ていた。


 あのあと、エミーナは逮捕された。

 宝剣も王家に戻り、マチルダは自身の死を回避した。

 フェリシアンが亡くなったことを除けば、すべての問題は解決していた。

 ただ、それは彼女にとってあまりにも重い現実だった。


(……あなたを巻き込んでしまった)


 胸の奥で、後悔が繰り返される。


(こんな結末になるぐらいなら、ずっと仮面夫婦のままでよかった)


 マチルダの表情に生気はない。

 彼女の中にある感情は、後悔と絶望だけだった。


 彼女は喪服の懐から、冷たい金属を取り出した。

 本来は王家へ返されたはずのそれが、マチルダの手にあった。

 ジェイスの視線が彼女の手元に移る。


「……何をする気?」


 彼はぎょっとした様子で声を上げた。

 マチルダは薄ら笑いを浮かべて、ゆっくりと顔を上げる。


「お願い」


 低く、静かな声だった。


「私をこれで刺して。そのあと、レオニスお兄様も」


 一瞬、空気が止まった。ジェイスの表情が消えていく。


「……バカ言わないでよ」

「戻りたいの」


 マチルダは引かない。


「次はうまくやれる。全部分かったの」


 強い口調だった。どこか壊れた確信を帯びている。


「フェリシアンを遠ざけて、全部私が一人でやればいいのよ」

「……彼は君を守りたかったんだよ」

「守られたくなんてなかった」


 マチルダの悲痛の叫びに、沈黙が落ちる。


「彼がいないなら、生きている意味なんてないの」


 地を這うような声で、マチルダは言葉を続ける。


「時戻りは私の力よ」


 短剣を強く握る。


「私が決める。さあ、早く」

「落ち着いて、マチルダ」


 ジェイスの声は震えていた。


「君の力はまだ分からないことが多い。あれから何度か試したように、花だって毎回咲き戻るわけじゃなかっただろ? 神様は気まぐれなんだ」


 彼はゆっくりと説得するように話す。


「それに、僕も最近分かってきた。力を使うたびに、体が少しずつおかしくなる」


 ジェイスは自分の手を見る。わずかに震えていた。


「最初は違った。でも……使うほど、何かを払わされてる」


 喉が詰まるような声。


「次の時戻りがうまくいく保証はない。僕だってもうこれ以上、友達を失いたくないよ。お願いだから……やめて」


 ジェイスはぽろぽろと涙を流した。だがマチルダは、表情ひとつ変えない。


 そこへ、一つの足音が近づいてきた。


「俺のいないところで、物騒なこと考えてるな」


 場にそぐわぬ陽気な声色はレオニスだ。


 いつの間にか、彼はマチルダの目の前に立っていた。

 そして彼女の手にあった短剣を、自然な動作で取り上げる。

 マチルダは無表情のまま、レオニスを見上げた。


「……戻るぞ、マチルダ。次は手を組もう」

「お兄様……」

「うまくいくかどうかは、やってみないと分からん」


 レオニスは一度だけ空を見上げる。

 それから、軽く笑った。


「三度目はちゃんとハッピーエンドにしないとな」


 冗談のようでいて、冗談ではない言葉だった。

 生気を失っていたマチルダの目に、わずかな光が灯る。


「ありがとう……お兄様」


 覚悟はもう決まっていた。マチルダはふっと微笑む。


「そこに立て」


 短剣を抜き、レオニスは彼女にそう言った。


「ジェイス、痛みが出ないように魔法でマチルダの感覚を抑えろ」

「……そんなこと」

「いいから早くしろ」


 ジェイスは唇を噛み、やがて小さく頷いた。

 魔力が空気を満たす。

 マチルダの周囲に、薄い膜のようなものが張られる。痛覚を鈍らせる高度魔法だ。


「ではお兄様」


 マチルダは小さく笑う。


「お先に」

「ああ」


 レオニスも、同じくらい静かに答えた。


「あとで追いかける」


 そう言って、レオニスはマチルダに向けて短剣を振り下ろした。

 


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