24、道中
数日後。マチルダは約束通り、フェリシアンとともに彼の故郷へと向かっていた。
ジェイスはあの後、医務室でしばらく療養し、その後は自室で回復を待っている。今も力の反動が抜けきらないらしく、あと数日は安静が必要だという。
『その間に、分かったことをまとめておくよ』
そう言って笑った彼の言葉を思い出しながら、マチルダは馬車の窓の外へ視線を向けた。
隣に座るフェリシアンは終始無言だった。
ただ、その横顔にはどこか影が差しているようにも見える。
「久しぶりの帰省だもの。あなたも緊張するわよね」
マチルダがそう切り出すと、フェリシアンはわずかに目を伏せた。
「はい……。でも、心強いです。マチルダ様がいらっしゃるので」
そう言って、静かに微笑む。
今の彼の頭を占めているのは、故郷へ足を踏み入れる恐怖よりも、先日ジェイスに言われた言葉だった。
(以前の私は、マチルダ様を苦しめていたのだろうか)
彼女の無垢な横顔を見るたび、胸が締め付けられる。
直接聞いてしまいたい。だが、もし肯定されたら――そう思うと、言葉が出なかった。
一方マチルダは、窓の外を眺めながら別のことを考えていた。
それは今朝、リチャードのいる研究棟を訪ねた時のことだ。
(お兄様なら、宝剣のこと……知っているかもしれない)
そう思い立ち、朝早く彼のもとを訪れた。リチャードの専攻は考古学と遺跡研究だ。
「やあ、おはよう。マチルダ」
久しぶりに会ったリチャードは、いつも通り明るい笑顔で彼女を迎えた。
朝の学舎庭を並んで歩きながら、マチルダは切り出す。
「……旧王家の宝剣について、何かご存知ありませんか?」
「……え?」
リチャードは足を止め、表情を強張らせていた。
「神話について調べていたら少し気になったんです。こういうのはお兄様の専攻だから、何か知っているかと思って」
そう言うと、わずかな沈黙のあとに低い声が返ってきた。
「何も知らないよ」
その声音に、マチルダは肩をびくりと震わせた。
「……そうですか」
小さく頷きながらも、胸の奥に違和感が残る。それでも、もう一つだけ聞いておきたかった。
「そういえば……お兄様は昔、お母様と親しかったんですよね。私は母が亡くなった時はまだ幼くて」
何気ない調子で続けた言葉。
だが、リチャードの顔色がみるみるうちに失われていく。
「お母様って、どんな人でしたか?」
どんな些細なことでもいい。
娘の神力に気づきながらも『無力』と公表した母のことを知りたかった。
まっすぐな問いかけに、リチャードの呼吸が乱れる。
視線が定まらず、わずかに後ずさった。
「……知らないよ。どうしたんだよ急に……今まで、そんなこと一度も聞かなかったじゃないか」
「……お兄様?」
「君の母上とのことは……私と兄上しか知らないはずだ……」
かすれる声だった。
「兄上? なぜレオニスお兄様が出てくるんですか」
マチルダは困惑し、頭が真っ白になる。リチャードは自身の失言に焦り、顔を伏せて黙り込む。
その時だった。
「リチャード?」
小鳥のさえずりのような、軽やかな声が割って入った。
振り返ると、見知らぬ女性が立っている。可愛らしい顔立ちに、ふんわりと広がる淡いピンクの長い髪。彼女からは甘い香水の香りがした。
彼女はすぐにリチャードのもとへ駆け寄り、支えるようにその手を取った。
「誰?」
マチルダは思わず、棘のある声が出る。
突然現れたこの女性が、兄に対してあまりに親しげな態度だったからだ。
(歳はお兄様と同じくらい……でも制服じゃない。アカデミーの生徒ではないの?)
視線を向けると、彼女は整いすぎた微笑みを返してきた。まるで仮面のように。
「影の王女様、はじめまして。私、エミーナ・ベネットと申します。考古学研究科の教員です」
「……教員? 随分とお若いですけど」
「ふふ、去年までは生徒でしたから。飛び級で学位を取り、今は教壇に立っています。それよりリチャード……いえ、殿下はお疲れの様子ですけど」
エミーナはリチャードを庇うように一歩前に出る。
「話をしていたの。悪いけど、席を外してくださらない?」
マチルダがそう答えると、エミーナはあからさまにムッとする。そこにリチャードが声をあげて遮った。
「エミーナ、私は大丈夫だ。……マチルダ、取り乱してすまない。先ほどの話は忘れてくれ。本当に私は何も知らないから」
言葉を絞り出すようにしてから、続ける。
「……マチルダ、私は君がアカデミーに入学できるように取り計らったね。君の望みを叶えたよ。これで満足じゃないのか?」
「それは感謝しています。……でも」
「何でもかんでも探ろうとするべきじゃない。行こう、エミーナ」
有無を言わせぬ口調だった。
リチャードは背を向け、エミーナとともに学舎の奥へ消えていく。
(なんなの……)
胸の奥がざわつく。
大好きだった兄の、知らない一面を見せられた気がした。
こんな態度を取られたのは初めてだった。
それにリチャードには正式な婚約者がいる。それなのに、エミーナとはあれほど親しげな様子だった。
(……お兄様は何を考えてるの?)
馬車の中で、マチルダはその光景を思い出していた。
けれど、いくら考えてもリチャードの本心など分かるはずがなかった。
やがて窓の外の景色が変わる。
一面に広がる、のどかな緑の丘。そこには無数の羊の群れがいた。空はどこまでも青く澄んでいる。
「まあ……」
思わず声がこぼれる。
(なんて素敵なところなの!)
王宮で育ったマチルダにとって、フェリシアンの故郷はあまりにも新鮮で、美しい場所だった。
「すごい数の羊ね。こんなの初めて見たわ」
「ここは人間より、羊の方が多いんです」
フェリシアンは自虐気味にそう言い、少し照れくさそうに笑った。マチルダはその隣で、きらきらと目を輝かせていた。




