22、解明(前編)
翌日、同じ談話室。マチルダたちが落ち合うはずであったその場所に、一人の影があった。
気怠げに机に向かう少女――それはミレイユだ。
「はあ……ここぐらいでしか作業できないわよ」
ミレイユは周囲を気にしながら、独り言を漏らす。
小さくため息をついて、便箋にペンを走らせる。机の上には、簡素ながらも質の良い封筒。そこに記される宛名は、偽名。本名は軽々しく書いていい相手ではない。
「まったく、人使いが荒いんだから」
愚痴をこぼしながらも、手は止まらない。
(だけど私がアカデミーに通えているのは、あの方のおかげだもんね)
だからこそ、不本意だがこうしてスパイのように報告を続けるしかないのだ。
(マチルダ様にこのことが知られたら、もう仲良くしてもらえないよね……)
ミレイユは溜息をついた。
その時だった。
談話室の扉が開く音がした。
(……まずい!)
反射的に顔を上げると、視界に入ったのは見慣れた姿だった。
マチルダ、フェリシアン、そして先日話題になったばかりのジェイスだった。
どうしてこのタイミングでと思う間もなく、ミレイユは咄嗟に腕に嵌めていたブレスレットをさする。
その瞬間、淡い光が一瞬だけ弾ける。そして彼女の姿はそこから消えていた。
(あの方に貸していただいた魔法具……初めて使うわ。気配が消えるのは三分だけよね。お願いだから気づかないで……!)
ミレイユは息を殺し、音を立てないようゆっくりと退出しようと扉の方へ移動する。しかし……。
「ここなら誰も来ないね。シールド張るね」
ジェイスの声に、思わず足が止まった。
三人はそのまま室内へと進み、中央のテーブル付近で立ち止まる。
(シールドを張られたら出られないじゃない!)
これでは動けない。彼女はソファの影に身を隠す。
そして次の言葉で、完全にその場に釘付けになってしまった。
「昨日の続きだ。マチルダの力を確かめようか」
(……力?)
思わず声が出そうになるのを、必死で飲み込む。
しかしその前に、フェリシアンが一歩前に出た。
「……私はまだあなたを信用しきれていません。まずは私にその力を使ってみてください」
静かだが、明確な意思を含んだ声だった。
ジェイスは一瞬目を細め、すぐに口元を緩める。
「いいのぉ? 君の知られたくない過去、知っちゃうけど」
「……構いません」
迷いのない返答。
ミレイユの思考が追いつかない。
するとジェイスは自然な動作でフェリシアンの顎に手を添えた。
(なっ……どういう状況⁈)
思わず叫びそうになる。
ジェイスはそのまま目を閉じ、低く何かを唱える。
(な、何してるのこの人たち⁉︎ マチルダ様も何も言わないし! どういうこと?)
気配を消しているのも忘れそうになりながら、ミレイユは混乱する。
一方のフェリシアンは、わずかに眉をひそめながらも動かない。明らかに不満そうだが、耐えている。
数秒の沈黙が落ちる。
やがてジェイスがゆっくりと目を開いた。
「……うん。見えた」
手を離し、軽く息を吐く。
「君の故郷は美しいところだ」
フェリシアンの瞳がわずかに揺れる。
「初夏に大きな湖に小舟を浮かべる。子供たちは楽しそうに遊び、君もその中の一人だった。執事長が毎年君の船を用意してるんだね。彼の名前はアルバート。彼は過保護だから、幼い君は少し不満だった。……楽しい記憶だ。アルバートはもう隠居して孫夫婦と暮らしてるね」
ジェイスはすらすらと彼しか知り得ない話をし、フェリシアンは息を呑む。
「……母上のことは、見えなかったのですか」
その声に含まれた影を、ジェイスは見逃さなかった。
「僕だって人の心がある。わざわざ辛い記憶は見ないよ」
あっさりと、しかしどこか柔らかく言う。
フェリシアンは一瞬だけ目を伏せ、やがて小さく息を吐いた。
「……そうですか」
ほんの僅かに、空気が緩んだ。
「それで……僕を信用できそう?」
「……あなたの言うことは、嘘ではなさそうです」
「信じてくれてありがとう。これからちゃんと証明するよ。僕の神力も、マチルダの神力もね」
ジェイスがそう言い切ると、隠れていたミレイユの声が思わず漏れる。
「……神力?」
しまった、と思った時にはもう遅かった。三人が一斉に彼女の方を見た。
そして運悪く、ちょうど腕のブレスレットが光を失う。
ミレイユの姿が三人の前に現れる。
「……ミレイユ⁉︎ 何をしているの?」
マチルダが目を丸くする。ミレイユは咄嗟に手紙をポケットにしまい、声を上げた。
「実は……ええっと、ここでうたた寝してたんです……!」
明らかにばれそうな嘘だが、マチルダは彼女を疑うそぶりはない。
しかしジェイスはうんざりした様子で溜息を吐く。
「困るなぁ。一般人に知られちゃまずい話なんだけど」
「すみませんっ、盗み聞きするつもりはなかったのですが……ええっと、聞かなかったことにします。というか何のことなのか私にはさっぱり……」
ミレイユの額には汗が伝う。
三人は顔を見合わせた。
(ミレイユは信頼しているけど、神力のことを話すのはまだ早いわ……)
マチルダはそう判断してミレイユに向き直る。
「いつも協力してくれるのに、あなたに話せなくてごめんなさい。また話す時が来たら、きちんとあなたに話すわね」
「は、はい……」
大きく頷くミレイユに、ジェイスは目を細めて近付いた。
「ミレイユちゃん? もう盗み聞きはしないでね」
そう言って手を差し出す。ミレイユは焦った様子でその手を取った。
(へえ……この子……、今問い詰めたいところだけど……もう少し泳がせるか)
彼に触れるということは――すなわち知られるということ。ジェイスの顔つきが一瞬鋭くなっていた。
彼女は戸惑いつつも、そのまま部屋を後にした。
「じゃあ気を取り直して——」
ジェイスはにこやかに仕切り直す。
「はじめようか」
空気が、再び張り詰めた。
マチルダは一瞬だけ息を止め、それから小さく頷いた。
覚悟は、もうできている。
ジェイスが手を伸ばす。触れられた瞬間、ぞくりと背筋が粟立った。逃げ場がなくなるような感覚。
ジェイスは目を閉じたまま、何かを唱えた。その後、わずかに眉をひそめる。
「……見えた」
彼が低く呟く。
ゆっくりと目を開いたその瞳は、どこか慎重だった。




