21、告白
ジェイスが去ったあとも、談話室には奇妙な静寂が残っていた。外のざわめきは戻っているのに、ここだけが切り離されたようだ。
フェリシアンはマチルダの手を取り、ゆっくりと彼女をソファへ座らせた。自分も隣に腰を下ろす。
「……彼の言葉を信じすぎないでください。あなたの気を引くためのでまかせです」
フェリシアンは低く、静かな声でそう囁いた。彼女を落ち着かせ、平静に戻すために出た言葉だ。
しかしマチルダは俯いたまま。そして今にも泣き出しそうな表情で、何も言わない。
数秒の沈黙が訪れたのち、彼女が息を吸い込んだ。
「……本当よ」
小さく、けれどはっきりと。
その言葉にフェリシアンの表情が固まった。
「私が時を戻しているっていうのは……本当なの」
「……それは、以前からお話しされていた予知夢と関係ありますか?」
不安げにそう問う彼に、マチルダはゆっくり首を振る。
「本当は予知夢じゃないの。死んで生き返ったなんて信じてもらえないと思って、あの時はあなたにそう言っただけ」
勇気を出して視線を上げた。今のマチルダは逃げずに、彼をまっすぐ見ることしかできない。
「……ほんとはね、以前の人生の記憶があるの。二十二歳の時に死んで……目が覚めたら十二歳だった。ジェイスの言った通り、たぶん私が時を巻き戻したんだと思う」
「そんな……」
「……何年も、ずっと嘘をついてて、ごめんなさい」
そう言い切って彼女は俯いた。
マチルダは今、混乱と恐怖の中にいた。
自分も知らなかった力。それによる時戻り。そしてその結果、彼についていた嘘を打ち明ける時が来てしまった。
彼女の肩はかすかに震えていた。
しかしその震えは、柔らかな温もりに包まれて止まった。
マチルダは何が起こったか分からず、ただ俯いたまま瞬きをしていた。
彼の心地よい香りと、知っている胸の高鳴り。この温もりは、フェリシアンだ。
マチルダが顔を上げると、彼の表情に拒絶も怒りもなかった。ただ優しげに彼女を見つめていた。
「ずっと一人で抱え込んで、辛かったでしょう」
「……フェリシアン、私ずっと嘘ついてたのよ」
「あなたがずっと言えなかった理由も分かります。それに今、打ち明けてくれました」
「……これからも私を、信じてくれる?」
絞り出すような声でそう言うと、背に回された手が離れ、今度は彼女の手を取り、まっすぐ向き直った。
「信じます。そしてこれからも、あなたを支えることは変わりありません」
フェリシアンの迷いのない声に、涙が溢れた。彼の指先がそっと彼女の頬に触れ、その雫を拭った。
「そうすると……以前の私は、あなたを守れなかったのですね……」
「それは……」
暗い声色でそう話すフェリシアンに、マチルダは視線を泳がせた。
以前のフェリシアン。
それはただの傍観者。彼女の隣にただいるだけ。深入りせず、形式だけのお飾りの夫。
(今の人生は、以前とは違うわ……)
マチルダは意志の強い眼差しで声を上げた。
「今回はきっと大丈夫よ。死を回避して解決する。絶対に」
「……はい。必ず」
強い眼差しがぶつかる。
ふと、いつもより距離が近いことに気づく。マチルダは急に気恥ずかしくなって、一瞬目を伏せた。それに伴い、フェリシアンも咳払いをして一歩身を引いた。
二人に微妙な沈黙が流れたのち、流れを変えようとフェリシアンが口を開いた。
「あの……」
「な、なに?」
「えっと……その……気になるんです。以前の私は、どんな夫だったのか」
「えっ」
予想外の言葉にマチルダは口を開けたまま固まった。
「……え?」
彼女のその反応に、フェリシアンの瞳はかすかに揺れる。
それでも健気に彼女の言葉を待つ彼に、お飾りであった過去――真実なんて言えなかった。
「……あなたは、よく役目を果たしていたわ」
「役目……?」
「夫としてよくやっていたという意味よ」
「それは……いい夫だったということでしょうか」
「……ええ。もちろんよ」
マチルダはなるべくいつも通りに聞こえるように言葉を返したが、少し声が裏返ってしまった。
「それは……よかったです」
彼から安堵に満ちた声が漏れる。それとともに彼女の胸に罪悪感が刺さる。
(……また嘘をついてしまったわ)
だがもうマチルダは、目の前にいる彼を、過去の彼と重ねるつもりはなかった。
マチルダはソファから立ち上がって、まっすぐにフェリシアンを見据えた。
「進まないとね。また明日、ジェイスと話すわ」
そう言うと、わかりやすくフェリシアンの眉が寄る。明らかに不服そうだ。
「……私はまだあの者を信用できませんが」
「そうよね。だけど、これは未来を変えるチャンスだわ。逃げてばかりでは進まないから」
「ですが……」
「真実を知るのは怖いけれど……あなたとなら乗り越えられると思うの。だから、あなたも一緒に来て欲しい。いいかしら?」
「そういうことなら……もちろん。あなたのために生きると決めてますから」
「……ふふ、それまだ覚えてたのね」
「当たり前です」
ふっと口元が緩み、小さく笑い合う。
彼といると心がほっと安らぎ、胸が温かくなっていく。
二人が部屋の外に出ようとした時、フェリシアンが躊躇うような表情で足を止めた。
「……あの、実は私からも、マチルダ様にお願いしたいことがあって」
彼がそんなことを言うのは珍しい。
マチルダは興味深そうに彼の顔を覗き込んだ。
「お願い? 何?」
「私が幼少期を過ごしていた領地をご存知ですか?」
「ええ。今はあなたの叔父が管理しているのよね」
「そうです。それで、その……もうすぐ母の命日で、献花をしに行こうと思っています」
そこまで言うと、フェリシアンは言葉を詰まらせる。
「あの日から帰ってなかったんです。正直、まだ少しあの場所が怖いです。でも……」
「そう。なら一緒に行きましょう」
「……え?」
自身の言葉を遮った彼女の一言に、フェリシアンは目を丸くする。
その反応にマチルダも首を傾げる。
「一緒に行ってほしいってお願いでしょ?」
「まさか。私はただ……」
(あなたに一言、背中を押して欲しかった。そうすれば、恐怖など吹き飛ぶと思ったから……)
それなのに。
「いえ、その……本当に来てくれるんですか」
「だめ?」
「まさか。でも、すごく田舎で驚くと思いますよ」
「ふふ、それは素敵ね。……あなたにとっては辛い記憶がある場所だけど、同時に生まれ育った場所でもあるから……ほんとはずっと行ってみたかったのよ」
当たり前のようにそう答えるマチルダに、胸が熱くなる。
「……ありがとうございます」
その言葉に、マチルダは小さく微笑んだ。
二人の間に温かな空気が流れ、不安や恐怖がしだいに小さくなっていく。二人はそのまま並んで、部屋を後にした。




