20、隠された力
ジェイスは怪しげに口角を上げて、再びソファに深く腰掛けた。
「君も知っている通り、僕は『叡智』の神力を持っている」
マチルダは小さく頷く。
東国の聖女ハーラディがその力を持っていることは、公然の事実だった。
「でも、みんな勘違いしている」
ジェイスはそう言って自身の手のひらを見つめ、自嘲するように笑った。
「なんでも知り得る万能な能力だと思われていたけれど、僕の力はただ触れたものを知る力だ」
彼の指先が空気を撫でるように動く。
「物に触れれば、それに染みついた過去が流れ込む。人に触れれば、その人の思惑や思想、隠している記憶が断片的に見えるんだ」
ジェイスはそう言いながらテーブルに軽く手を添えた。彼には普通の人が聞こえないものや見えないものが分かるのか、目を閉じたまま静かに微笑んだ。
その奇妙な光景に、マチルダは思わず息を呑む。
「つまり僕が言いたいことは……『叡智』なんて呼ばれているけれど、実際はただ秘密を暴いてしまう力だってこと」
ジェイスの瞳が開かれ、ゆっくりとマチルダを射抜く。
「王子として生まれた僕がこの力を持てば、どうなると思う?」
マチルダとフェリシアンは困惑しつつ顔を見合わせた。
「そのような力があれば、敵だけでなく味方にも恐れられるでしょうね」
「そうさ。だから僕は、物心ついた頃から聖女として生きていた。僕が男だということを、王宮に仕える者たちも、兄や姉たちすら知らなかった」
そう言われてマチルダは、あの姿を思い出す。灰色のベールを纏った幼い少女を。
「王子なら争いの中心に立たされる。だが聖女なら象徴として飾られるだけで済んだ」
「そういうことだったのね。……それであなたは、あのクーデターを予測していたの?」
マチルダが問いかける声が、わずかに震える。
ジェイスは首を横に振った。
「未来までは分からない。そこまで万能じゃないんだ。ただ、城の空気は荒れていた。触れる人間の心が、少しずつ濁っていくのは感じていた」
彼の瞳に、暗い影が落ちる。
「兄たちの処刑が始まったとき、僕は聖女だった。それが結果的に、命を拾う理由になったんだ。……犠牲もあったけれど、僕はうまく逃げ出せたから」
(そんな人生を送っていたなんて……)
かける言葉が見つからず、マチルダは黙ってしまった。
するとジェイスは、ふと彼女に向かって笑いかける。
「でも、君だって同じでしょ?」
「……え?」
「影の王女を演じている」
その一言に、空気が張り詰める。
「どういう意味?」
(……何を言ってるの?)
マチルダは唖然とする。彼の言葉への理解が追いつかない。
「僕はハーラディだった時から感じていたよ。君の持っている強い神力を」
「……何を言っているのか分からないわ。私には生まれた時から神力なんてないの」
「ははっ、あるよ。今も君から感じてる」
ジェイスは低い声で断言した。その表情は真剣そのもの。
マチルダは混乱して咄嗟に首を振る。その様子にフェリシアンの表情も次第に曇っていく。
「君は自分を守るために無力な王女を演じているんじゃないの? 僕が女を演じたみたいに」
「そんなはずない……!」
マチルダは立ち上がり、険しい顔つきでそう断言した。その息は荒い。
(私はずっと影の王女だった……! 何も力がないから馬鹿にされて、蔑まれてきた! ……もし私に特別な力があったなら、以前の人生でもあんな死に方しなかったわよ!)
「その反応は意外だったな。自分の力に自覚がなかったんだね」
「わ、私は……」
手が震え、なぜか泣きたくなる。ジェイスは彼女のそんな姿を見ても表情を変えない。
「マチルダ様を惑わせる発言は控えていただきたい」
苛立ちを含んだ声で、そう言い放ったのはフェリシアンだった。彼の一声に、ジェイスも強い口調で反論する。
「惑わしているんじゃない。真実だ。僕だって神力があるんだから分かる」
マチルダは震える手を押さえつけ、冷静な表情で向き直る。
「私は力なんて使ったことすらない。小さい頃から私は『無力』だって言われ続けてきたのよ」
「うん。誰かが君の力を公にしたくなかったんだろうね」
「……仮にそうだとすれば、誰がなんのために?」
「さあ? 知らないけど、君の力を感じ取れるのは同じ神力持ちだけだよ」
そう言われて、マチルダの頭に浮かぶのは母の姿だった。
(じゃあお母様は知ってたってこと? 私の力を知っていて……無力だと皆を騙していた……? どうして)
頭が混乱する。
隣でフェリシアンが心配そうに見つめている。マチルダは彼を心配させまいと、小さく頷いて、ソファに再び腰掛けた。
「……私の神力はどんな力なの?」
マチルダの問いにジェイスは「うーん」と唸り、顎に手を当てながら思い出すように口を開いた。
「さっき触れた君から感じたのは……時間の層みたいなもの。同じ場所に重なった『別の選択』の痕跡がある。だから……君の力はおそらく、それだ」
そう言われてマチルダの呼吸が浅くなる。
だが彼の言葉は容赦なく続く。
「例えばだけど……『時を戻す力』とかかなぁ?」
「え……」
その瞬間、マチルダの息が一瞬止まった。そして隣のフェリシアンも静かに目を見開いていた。
時が戻るなんて、普通ならば誰も信じない。しかし彼女はもちろん心当たりがある。
(時が戻ったのは……私の神力のせいだったの?)
額から汗が流れる。心臓が高鳴り、頭が真っ白になっている。
「神力には発動条件があるんだ」
追い打ちをかけるように彼はそう言いながらマチルダに近づく。足音がやけに大きく感じられた。
「僕の場合は、触れること。君の母上はどうだった?」
「お母様は……歌だった。歌うと周りが浄化される……」
「へぇ、歌か。じゃあ君の発動条件は何だろう。興味があるな」
マチルダは言葉に詰まり、黙り込む。
(あの日、知らない衛兵に突然刺された。そして今の二回目が始まった。知っているのはそれだけ)
彼はにこやかな表情でさらに近寄り、マチルダの目の前で両手を開いた。
「おいで、マチルダ」
甘く、誘うような声で笑う。しかしその目は逃がすつもりはないと言わんばかりに、マチルダを捕らえていた。
「僕が確かめてあげる。もう少し長く触れれば神力のことも詳しく分かると思うよ」
「……!」
(……知りたい……でも)
マチルダは一歩踏み出したかったが、それ以上動けなかった。
幼い頃の記憶――生前の優しい母の顔が浮かぶ。
『あなたは普通の女の子よ』
そう言われた。そして母は周囲にもそう言い聞かせていた。そのせいで周囲に落胆され、蔑まれるようになった。
(……知りたいけれど、知るのが怖い。今までの私を覆されそうで、信じてきたものが変わってしまいそうで……)
再び指先が震える。うまく息ができない。
その時、後ろからそっと腕を掴まれた。
振り返るとそこには、フェリシアンがいた。
「そこまでです」
淡々とした彼の声色が、ジェイスに向かって投げられた。
「あなたはなんでも分かるのかもしれない。ですが、こんな心の準備ができていない状態で、この方の真実を暴くのは私が許可できない」
その言葉は冷静だが、明確な怒りが含まれていた。
彼に引き寄せられて、マチルダの震えが徐々におさまる。
ジェイスはそんな二人を見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「それはそうだ。僕だってマチルダを苦しめるのは本意じゃない」
「ならば今日はここまでにしてください」
「……いいよ。そうしよう。君たちには整理する時間が必要みたいだし」
「助かります。あと、このことは他の者に口外しないと約束してください」
「分かってるよ。全く、過保護な婚約者殿だなぁ」
ジェイスはわざとらしく眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。そして人差し指を宙で操作してシールド魔法を解いた。外のざわめきが戻ってくる。
「心の準備ができたら、またこの場所で。じゃあね、マチルダ」
ジェイスは何事もなかったかのように、ひらりと手を振って部屋を出ていった。
二人とも、しばらくそのまま立ち尽くした。マチルダの呼吸が少しずつ整っていく。
「……大丈夫ですか」
フェリシアンが心配そうに彼女の顔を覗き込む。
マチルダは暗い顔で俯いたままだった。
(私は何者なの……?)




