8. シーラ・コア
空洞にも見えるような巨大な黒い空間の中に踏み込むと、床に埋め込まれたフットライトが、道を作るかのように順番に灯った。その左右に灯ったライトの間を、ゆっくりと2人は奥へと向かって歩いていく。ウィーンと、いたるところで低い駆動音が響いていた。それはコンピュータや冷却用のファンが回る音である。
「ふぅ、ここはいつもだいぶ暗いな……。足元には気をつけろ。それとも腕に、掴まるか?」ロシュカがこちらの様子を伺うようにそう言った。
「いえ、大丈夫です。」カイは、暗闇の中にいるロシュカに向かって頭を振る。
―その心配は、無用です。
突然、空間にボワっと響くような女性の声が聞こえてくる。室内にあるスピーカーからの音声だ。
「さて、ネオステラ社の技術の結晶、メインAIシーラ嬢のお出ましだ。」
―ふふ、嬢だなんて……。私はAIシーラ。淑やかな女性のようにパーソナライズされているだけで、私自身にそのような属性はありません。
シーラはやや機械的ながらも、歌うように滑らかな口調でそう言った。
「いえ、私もあくまで、人間の文化上での礼儀を取ったに過ぎない。気分を害されたなら、申し訳ない。」
―謝罪は不要です、ロシュカ・ルブラン。私はAI。気分を害するというシステムは存在しません。
ロシュカとシーラが会話を続ける中、カイは目の前の空間に目を凝らす。暗闇に少し目が慣れてきたとはいえ、まだしっかりとものを見るには心許ない。
―あぁ、カイ。そんなに目を細めてはいけません。人間の方々には、少々負担になる暗さでしたね。……ただいまサーバールームの照明を点灯します。
シーラの機械的なアナウンスが響いた後、真っ暗だった空間がぼんやりと少しずつ明るくなっていった。
―急に明るくなっても目に悪いですからね。少し薄暗いですが、このぐらいでいいでしょう。
ほんのり淡く発光するような空間の中で、目の前の物体がさらに明るく光を発した。
―眩しかったら少しだけ目を逸らしておいてくださいね。
カイが薄目で見ていると、円柱状の水槽のような物体が、徐々に青い燐光をまとっていく。水槽のように見えるものはシーラ・コアの冷却装置だ。人間の背丈よりもずっと大きなそれを起点に、左右に広がる円柱のサーバー群がゆっくりと出力を上げていく。
中央と左右の光に床を這う太いケーブルが浮かび上がり、個別の物体というよりは、一つの巨大なシステムを連想させる。実際、中央の円柱はシーラ・コアのメインサーバー、左右はそれを支えるサーバー群だ。
「君は、本物の神殿を見たことがあるか。」隣から、ロシュカの囁くような声が聞こえてきた。
「いえ。……ネットだけ。」カイがロシュカの方に目をやると、やけに姿勢正しいロシュカの顔が青く照らされているのが見えた。
コアルームにある無数のコンピュータや計器類の駆動音が、部屋に入った時より強く聞こえる。ウィーンと音がして、ホログラム投影マシンが、青く染まった空間の中に像を描いていく。
最初は頭、次に顔、曲線を描く金属製のサークレットに、ホワイトゴールドの髪、柔和で落ち着きのある女性の輪郭、シルクで作られたようなホワイトベージュのドレス。その流線型の豊かな流れが、金属のアンクルブレスレットをはめた細い足を柔らかく覆い隠している。オフショルダーの肩から伸びた細い腕の先の手首にも、同じような形のブレスレットがはめられていた。
―こんばんは、カイ。ロシュカ・ルブラン。私はAIシーラ。アンドロイドシープデバイスの基幹システムにして、全ての夢と眠りをコントロールするもの。そのように作られた存在です。
設定された説明書きを読むような口調で、宙に浮かんだ状態のシーラが言う。ホログラムによって空間に投影されているシーラの動きは、そういう意味でも自由自在だ。
「こんばんは、シーラ。」カイが挨拶を返すと、シーラは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
「こんばんは。君は実に表情豊かだな、シーラ嬢。……むしろ、前より一層美しくなった気がしないでもない。」ロシュカがお世辞なのか観察なのかよくわからないトーンで言った。
―ありがとうございます。エンジニアの努力の賜物ですね。……先日、大幅アップデートが入りました。詳しくは公式のリリースノートに記載の通りですが、ネオステラ社の一大プロジェクトである『ドリームリンクプロジェクト』において、よりシンボリックな働きかけができるようになりました。
シーラの表情はとても嬉しそうに見える。その表情はi-voやアンドロイドシープデバイスなど、大多数のAIシンボルやアンドロイドにプログラミングされているものの上位互換でしかないはずだ。エンジニアたちの技術報告書を読んで知っているにも関わらず、カイはいつもシーラの表情が本物ではないかと疑ってしまう。
「それで、シーラ。」カイがシーラを呼ぶと、シーラはコアの水槽の前からすっとカイの真正面へと近づいてくる。
―はい、存じております。シーラ・コアのバージョンアップデートに伴い、スーリとアルファにもデータパッチをインストールしておきました。今後はもっとカイのお役に立てますね。
シーラはカイの目の前でふわふわと浮きながら、上から下までスキャンするように目を動かした。ライフサポートAIのスーリはシーラの子機だ。厳密には、シーラの機能の一部を縮小コピーしたものに当たる。普段は別のAIとして動作しているスーリだが、シーラとは双方向の通信経路を持っている。
対してアンドロイドシープデバイスのアルファはというと、カイのサポートのために最適化されたデバイスであるとともに、シープたちを総括しているのがシーラだという点で、スーリとほぼ同じことになる。早い話が、シーラはスーリとアルファの両方に直接アクセスできるということだ。
「シーラ、カイのバイタルデータについてだが。」ロシュカがカイとシーラに近づいた。
―はい、ロシュカからいただいたデータもすでに解析が済んでおり、スーリへのインプットも完了しています。
「人間の医療・研究チームより早いんだな。」ロシュカは相変わらず皮肉か観測かよくわからないことを言う。
―はい。ですが私はあくまでもインプットされたデータと知識をもとに、演算しているにすぎません。その結果はあくまでも、過去から続く傾向の可視化に過ぎないと考えます。
シーラは一度くるっとカイの後ろに回り、肩を抱くように手を添えた。そのままロシュカの方をじっと見ている。シーラの声は、空間全体に響き渡るようでありながら囁きのように柔らかく、スピーカーから聞こえていると言ってもほんの少しくすぐったい。どこか懐かしさを感じるような声音だ、とカイは思う。
「それで、君の演算結果は。」ロシュカがシーラに結論を促すと、シーラはカイから離れ、まるで水中を泳ぐように大きくぐるっとコアルームを回った。
―とても悩ましいことです。『私』ではなく、カイ、あるいはあなた方にとって。
青い空間の中をシーラの少し大きめのアバターが優雅に泳ぎ回る。実際は単なるローディングモードだが、その容姿と相まって、まるで人魚のようだ、とカイは思った。
「そういえばカイ、君は水族館にはいったことがあるか?」空中をゆらゆらと揺れる光を目で追いながら、ロシュカが言う。
「いいえ……。なぜですか?」
「あぁ。ドーム状の水槽で、下から仰ぎ見るサメの腹を思い出していた。」ロシュカは表情をほとんど変えずに答える。
「なぜそれを?」
「とても、美味しそうなんだ。」全く情緒のかけらもないな、とカイは呆れつつも小さく笑った。




