7. ロシュカ・ルブランの診察
カイは、1日の行動を順序立ててロシュカに説明した。薄ぼんやりとした照明と、モニターの明かりに淡く照らされた診察室には、コンピュータの稼働音と、ロシュカがタブレットに書き留めるペンの音が絶えず聞こえる。
「えっと、以上なんですが。」カイがロシュカにそう告げると、ロシュカはタブレットに近づけていた顔を少しだけ上げて、カイの方をじっと見た。
「了解した。」ロシュカは崩れていた姿勢を正し、また元の無機質に整った座り方へと戻ってしまう。
「確かに、バイタルウォッチに記録された歩行データと概ね一致している。データの不具合などはなさそうだ。」ロシュカはモニターとタブレットを交互に見ながら話し始めた。
「君の説明の中では、何度も息苦しさや喉の渇きという体感が出てくるな。……自覚しているか?」
「あ……、いえ。大したことではないと思って。でも、確かに多かったですね。」カイの発言に、ロシュカはわかりやすく険しい顔をした。
「君の病状に変わりはないが、不治の病を抱えた特級患者であることを忘れてはならない。君は自分の体感を、いささか軽視しすぎているようだ。」ロシュカは厳しい口調でそう言った。
「すみません。……わかっています。」
「いや、確かに深刻そうにしても仕方がないという部分は理解できる。だが、医者としてはどんな些細なシグナルであっても逃すことはできない。……そういう話だ。」肩を落としたカイに対して、ロシュカは少しだけバツが悪そうにそう言った。
「医者っていうか、工学系の技術者みたいなことを、言いますね。」
「ふん、よく言われるが、機械よりも生体の方が複雑だ。患者は正確な申告をしないが、機械のログは字面通りの意味しかない。」珍しくも、ロシュカはいじけたように反論する。
「サイレントエラーは。」
「ん?」
「サイレントエラーが、ありますが。」カイは少しの出来心で、ロシュカにちょっとした意地悪をしてみたくなった。
「ふむ……、機械だって何も言わずに不具合を起こすことがあるだろう、と言いたいのか?」ロシュカはやや目を細めて挑発的な視線を返した。
「そうですね。」
「そういうこともある。確かに、全ての事象が人ごときの目で観測可能なわけではない……。大人しそうだと思っていたが、こうして反論することもあるらしい。」ロシュカはカイの方から視線を逸らして、再びタブレットに何かを書きつけた。
「さて、カイ。君の病状についての確認なのだが。」ロシュカが再び顔を上げ、カイの方をすっと見る。
「はい、良くも悪くもない、ですよね?」
「そうだ。まず君の患っている、覚醒–睡眠遷移障害(Arousal–Sleep Transition Disorder)についてだが。」ロシュカが説明を始めた。
「脳の神経回路に異常があり、睡眠と覚醒の状態遷移が困難になる病気です。より簡単に言うと、常に覚醒状態が維持され、自力で睡眠をとることが困難になる。」
「その通りだ。」カイが代わりに答えたことに対して、ロシュカは大して気にしていないという風に話を続ける。
「あぁ、君はそもそもポラリス・アカデミアBISの睡眠科学科 (Dept. of Somnology)の学生か。……それならば、自分の病についても普通の患者より詳しいだろう。」
「はい、そうだと思います。」カイは当たり前のようにそう答えた。
「そうか、それならば話が早い。現状だけを述べると、君の病状は緩やかに悪化している。」ロシュカは一切の遠慮をせずにそう言った。
なんとなくそんな気はしていたものの、やはりと思うと同時にカイは少しだけショックを受けた。返事をする代わりに俯いて、軽く呼吸を整える。カイがゆっくり顔を上げると、ロシュカは再び説明を続けた。
「そもそも、君の一族が経営しているネオステラ社が総力を上げて研究・開発を進めていても、10年以上その治療法が見つかっていない。医学会でも名のある研究者を雇い入れるなどしているが、君1人では症例も少なすぎるからな。とはいえ、延命と症状緩和に関してのネオステラ社の貢献は甚大だ。」
それはおそらく、ネオステラ社が売り出しているシープリンクデバイスについての評価だろう、とカイは考えた。カイの使用している睡眠用ポッドNSS-01 "Morpheus"(NeoStella Sleep-Support system - 01)に関しても同様だ。
「シープリンクドライブ……。」カイのつぶやきに対して、ロシュカが興味深いとでも言いたそうな目でふっと笑った。
「あぁ、そうだ。シープリンクドライブ、通称ドライブ。あれは君を含めた全ての睡眠関連の患者に革命をもたらし、さらにネオステラ社は一般向けにも流通させることによって、研究における費用問題も解決してみせた。……その手腕は、見事というより他にない。」ロシュカは父が任命しただけあって、ネオステラの技術にかなり思い入れがあるようだった。
「でも、それで全てが解決したわけでは……。」カイは今朝流れていたニュースをふと思い出していた。
「ドライブ中毒か。」ロシュカもまた、同じことを思い起こしたようだった。
「はい、その通りです。シープリンクドライブによって、眠りから覚めなくなる人が増えています。」カイは大きくため息をついた。
ロシュカは持っていたタブレットを置き、自分のリンク・スフィアを起動してホログラムUIを操作している。内容までは見えないが、ロシュカは何か調べごとをしているのだろう、とカイは思った。
「確かに増えてはいるな……。まぁ、貢献した部分を考慮すれば、痛手となる程ではないのだが。」今はまだ、とロシュカは付け足した。
「しかし、だ。技術的な革新に、社会的エラーはつきものだ。プラスの分とマイナスの分。その差分を考えずして、排除するというのはいかがなものか。」ロシュカはつぶやきのようにも取れる言葉の後にため息をつく。
ロシュカは組んでいた足をさっとほどき、椅子に座ったまま伸びをした。そのままキャスター付きの椅子をぐるっと回転させて、また元のように足を組む。きっと足を組むのが癖なんだ、とカイはロシュカを見てなんとなく考えた。
「さて、診察は以上だ。私が取らなければならないのは君の体感データであり、総合判断はまた別のものが下すだろう。君のメンタル部分は極めて良好だ。……難病患者にしては、だがな。」ロシュカはさっきまでとは打って変わって、くつろいだような姿勢になった。
「で、だ。あまり君を夜更かしさせると私がお咎めを食うことになる。……それに、バーチャル・スリープ(仮想入眠)とはいえ、眠らないよりましなのは確かだ。」ロシュカはすっと立ち上がると、コンピュータを操作してカルテをサーバに送信し、モニターともども電源を落とした。
「ではカイ、最後のスケジュールだ。」そう言うとロシュカは、カイの横を大股で歩き、診察室のドアを開けて、廊下に立った。
カイはロシュカとのやり取りの中で気になることが山ほどあったが、一旦は頭の片隅に追いやり、ふうっと息を吐き出した。
「シーラへの挨拶ですね。」そう言うとカイは、ぐっと足に力を入れて立ち上がると、ロシュカを追って診察室の外に出る。
120階にある部屋は3つ。一つはこのロシュカの診察室、もう一つがその隣のメンテナンスルーム、そして最後が。
「AIシーラの、コアルームだ。」その一番大きな部屋のドアの前に立ち、ロシュカはわざとらしくそう言った。
「ロシュカって、初めてだっけ?」
「いや?何度か入ったことがある。だがもっとも、ここのシーラ・コアの規模感を思えば、何度入ったところで慣れはしないが。」そう言うとロシュカは、虹彩認証キーに自分の目をスキャンさせた。
カイも同じようにすると、壁に埋まっていた大きなドアが、両方向にすーっと開いた。中は暗く、ただ広い空間だけが存在しているように見え、開いたドアから冷気が漏れ出している。
「では、入ろう。」ロシュカは緊張したようにそう言うと、カイと一緒に入り口を通った。




