4. レストスペース
3人は飲み物を買いに、同じフロアにあるレストスペースへと向かった。オリエンテーションのために集まっていた学生たちも今はほとんどいなくなり、靴音すら反響する廊下をゆっくりと通り抜けた。その最中、そういえば水も何も持ってきてなかったな、カイは思ったが、いつも現地で調達しているため、それは特に関係なかったと思い出す。
廊下の先、簡素なくぼみのような場所に飲み物とパンの自販機があり、大きな円形の椅子が置いてある。カイはサラッと見て、手近な自販機から水のボトルを買うことにした。
液晶のタッチパネルに、売り物の映像が投影されているところから水を選んでタップし、リンク・スフィアから支払いをする。ピロリンという支払い完了の軽快な音の後で、軽い機械音がして取り出し口に水のボトルが現れる。
カイはそれを取ってレストスペースの椅子に座り、キャップを外して水を飲む。ソレアとハインもそれぞれ好きに飲み物を買ったようで、ソレアはカイの隣に座り、ハインは立ったままで飲み物を飲んだ。
「はぁ……。」カイはまた服の襟をパタパタと揺らしながら一息ついた。
「んで、やっぱりなんであんたがここにいるのか分かんないんだけど。」ソレアがまたハインに突っかかっている。
ハインは「え〜?」と頭を掻いて笑いながら首を傾げた。自分は特に気にしていなかったが、ソレアにとっては頬を膨らませるほど気になることらしい、とカイは思った。
「ん〜、いやさ、ダチを遊びに誘おっかなぁ〜って思ったわけよ。」
「ダチ?誰のことよ。」困ったような顔のハインに対し、ソレアが眉を寄せながら言った。
「お前たち2人の、ことなんだけど。」ハインは真剣そうな顔をしている。
「……なるほど。」カイは少しだけ目を見開いた。
友達になりたい、と面と向かって言われたのは初めてだった。いや、正確にはエレメンタリースクール以来かもしれないな、とカイは思う。自分が思うように学校に通えなくなって以来、親密な交友関係といえばソレアぐらいのものだった。
ミドルスクールとハイスクールはほとんど通信制だったし、アカデミーでは付き合いのある人とは自然に付き合いができるので、そういう自発的な作り方を見るのは本当に久しぶりな気がする。
「え〜、なんかエレメンタリーみたいだね。」ソレアも少し驚いたのか、若干茶化すような言い方をする。
「友達になって、何するの?」カイは思ったことをそのまま言った。
「え!?何って、なんだ?」ハインはなぜか困惑している。
「えっと、なってもいいけど、普通の友達同士が何をするのか、あんまりよく知らないから。」
「あ……あぁ、なんだよ、そういうことかよ。……うーん、そうだな。例えば、どっかに出かけるとか、一緒に勉強するとか、同じクラブに入るとか!」
「つまり、勧誘?」カイは、いつもサークル活動に誘ってくるジェイのことを思い出した。
「え、うん?なんでそうなるんだ?」ハインはわかりやすく目を大きく見開いたが、ソレアも少し驚いたようだった。
「いや……、同じサークルに入って欲しいって、いつも誘ってくる人がいるから。」
「友達になりたいの亜種だと思ってる!?」
「え?」
「あんたの返しって良くわかんないわね。」ソレアがハインに向かって、はぁとため息をついた。
「俺!?ソレアちゃんもそっち側なの?」ハインが少し大袈裟に驚いたような仕草をした。
ソレアはハインのことが少し苦手なのかと思っていたカイだったが、ソレアはソレアなりに相性がいいのかもしれないと思った。
「じゃあ、どっか、行く?」カイはハインに提案してみた。
「マジで?いいのか!?」ハインは予想していなかったように、大きく目を見開いている。
「うん。……今日はあと、帰るだけだし。」
「あら、珍しい。」カイの提案に、ソレアも驚いたようだった。
なんだか今日はずっと驚かれている気がするな、とカイは思ったが、そういえば自分から人を誘うことがほとんどないことを思い出す。
「確かに、珍しいかもしれない。」
「自分で言う?」ハインは驚きを通り越して、やや呆れたかのようにそう言った。
そんな流れで、3人はひとまずポラリス・アカデミアを出ることにした。エントランスを出てアカデミアのビルを振り返ると、緑の植えられた広場の奥に、ビルと同じくらい大きな白い建造物――ポラリス・アカデミア附属病院が目に入る。
「んで、どこに行く?」ソレアは行くと決まったらすぐにリンク・スフィアを起動して、今から行くのに最適な場所を調べ始めた。
「時間的にはまだアフタヌーンティーの時間よね……。混んでるかしら。」
「アフ……何?」きょとんとして頭を掻いているハインに対して、ソレアが言った。
「おやつの時間よ。」
「なるほど。」
「あなたって、出身どこ?」ついていけないハインの様子を察してか、ソレアが検索中のホログラムから顔を上げてハインに聞いた。
「えっと……ベガだけど。」ハインはソレアの顔を窺うように答えた。
「あぁ、なるほど。もしかして特待生?私とカイはデネブに住んでるの。」
デネブは役所を含めた市政の要所や、学校や図書館といった学業施設もある区域で、3人の通っているポラリス・アカデミアもデネブにある。対してベガは工業都市だ。三角都市の中でも低所得層の多いベガからポラリス・アカデミアに通うには、奨学金の出る特待生になるのが定番ルートだった。
「そうなのか……。」
「別に気にすることないじゃない。そもそもポラリス・アカデミアは、三角都市の主要アカデミーの中でも群を抜いて難易度が高いのよ?誰でも入れる場所じゃないし、あなた十分すごいわよ。」ソレアが再び検索を続けながらハインに言った。
「僕もそう思う。」カイもソレアに同意した。
「よしっ!それじゃあ今日はアルタイルのクレープ屋さんに行きましょ?近くに公園があるからか、学生の多いお店なの。……甘いもの食べられる?」検索を終えたソレアがハインに確認する。
「……あぁ、もちろんだぜ!」少し沈んだような顔をしていたハインだったが、ソレアの提案に一瞬にして瞳を輝かせた。
カイが帰ってきた時にはもうディナーの時間が近づいていた。フロアの虹彩ロックを解除して、ゆるくカーブした真っ白い廊下を歩いていると、わずかに空間が膨張するような感覚に襲われる。どくどくと脈打つような感覚に顔をしかめながら、カイはこめかみに手を置いた。
「はぁ……。」長い廊下を歩いて、ようやく自室のドアを潜った時には、カイはすぐにでも座り込みたい衝動にかられていた。
ドア横のサイドテーブルに少ない荷物を置き、光を反射している白い床に手をついて座り込む。壁に背をつけ、膝を抱え込むようにして荒い呼吸を整える。ふぅと長く息を吐き出しながら膝に顔を埋めると、ドッドッドッドッと、自分の心臓の鼓動が耳元で鳴る。
「お帰りなさい、カイ。気分が悪いのですか?」i-voに入ったスーリがゆっくりと近づいてきて、トレーの上に載せたグラスと水差しを持って、カイの近くに待機した。
「あぁ、大丈夫。……少し、疲れただけだよ。」
少しだけ強がっているように聞こえたが、実際それも間違いではない。今日は少しだけ外を歩き回る時間が長かった。ソレアとハインは自分を気遣ってくれていたけれど、思うように過ごせない体がもどかしい。
「キュイ?」いつの間にか近くにきていたアルファが、足元で自分の顔を見上げている。
「ふぅ……、大丈夫だよ、アルファ。」カイがその、羊型の丸いフォルムを手で包むようにして撫でてやると、アルファのフェイスモニターの顔がニコリと笑った。
「キュー!」アルファは耳をパタパタさせて、ぴょんぴょんと前足を浮かせた。
「カイ、ディナーの時間が近づいています。準備をいたしましょう。」
「うん、ちょっと待って。」カイはi-voの持っているトレーの上で、グラスに水を注ぐ。
並々と水が入った水差しはともかく、十分に軽量化されたグラスでさえも、持っている手が震えるほどだった。カイはグラスの水を飲み干すと、i-voのトレーにグラスを置いて立ち上がる。スーリはそれを確認すると、一度トレーを片付けに行った。
「アルファ、ここで待ってて。」カイがそう言うと、アルファは「キュー」と鳴いて床に伏せをする。
「いい子だ。」カイがサイドテーブルに置いていた荷物を持ってクローゼットルームへと移動すると、ちょうどi-voが戻ってきたところだった。
「カイ、あと残り20分です。遅れるとまた面倒なことになりますよ?」最近のスーリは少し皮肉というものを覚えたらしい、とカイは笑って、咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」i-voの心配を片手で制して、カイはディナーのための衣服を手に取る。
ディナーと言っても、自分の父と食事をするだけのことなのだが、父はその立場上忙しく、まとまった時間を取ることが難しい人だ。前に発作で少し時間をオーバーした時は、開口一番に「時間を無駄にするな」と言われた。非道ではないが、厳しくて少しやりづらいところのある人だった。
「よし、それじゃあ行こうか。」
「あと8分と30秒です、カイ。」
「はいはい、じゃあちょっと急ごうね。」ディナー用のスーツに着替えたカイは、アルファに充電モードの指示をすると、たった今帰ってきたばかりの自室を後にした。




