1. ソレア・ファルツの日常
―ピピッ、ピピッ、ピピッ……
ソレア・ファルツはシープリンクドライブのバーチャル・スリープから目覚めると、即座に母の元へ行こうと判断した。昨日はいろいろなことがありすぎた。少し現状を精査すべきだろうと考えたのだ。
ソレアは自分の部屋にあるポッド――NSS-07 "Morpheus"(NeoStella Sleep-Support system - 07)、通称モルフェウス第7世代から出ると、そのままクローゼットの方へ向かった。クローゼットの扉を開け、いつものようにブラウスとスカートを着用して扉を閉める。机の上にあるリンク・スフィアを装着した後、まだモルフェウスの中で寝ているアンドロイドシープデバイス・クレアを起こした。
―キュイ?
機械だというのに、ソレアにパーソナライズされたクレアはどうにもお寝坊さんになってしまった。ソレアはふぅとため息をつきつつ、ポッドの中で耳をパタパタさせているクレアを抱き上げ、そのまま近くの椅子へと乗せる。
―キュー
クレアはそれでよしとしたのか、そのまま丸まってスリープモードへ入ろうとする。本当に怠惰な羊だ、とソレアは内心首を傾げた。
「じゃあ、私はちょっと行くからね?ここで待っててね。」
―キュー!
元気に鳴いてはいるものの基本的に動く気がないらしく、クレアはそのまま眠ってしまった。ソレアはため息をつきつつ、ひとまず近くに充電用のポートを置き、転げ落ちても大丈夫なようにタオルケットをかけて部屋を出る。
まだ動き回るには早い時間だが、母はカイ昏睡の件で連日ネオステラ社の研究室に閉じこもっているため家にはいない。ソレアは母に朝食を持って行き、自分も一緒に食べるつもりで簡単なバゲットサンドをいくつか作った。
カット済みのパンの切れ込みにハムやチーズ、手際よく焼いた卵などを複数のパターンで挟み込んでいく。さらにレタスやトマトなどに加え、塩漬け加工された魚の切り身なども挟み込んでいく。そうしているうちに大きめの容器にビチビチになるくらいの個数を作ってしまい、ソレアは苦笑しながらため息をついた。
まぁ、余ったら他の研究員に配ればいい。ソレアは容器をカバンに入れ、メイクや歯磨きなどを軽くすませて家を出た。
ソレアが住んでいるのは、デネブにあるネオステラ社企業特区の一角だ。企業特区は、各企業ごとに設けることのできる小規模エリアだ。ネオステラ社のように、本部タワーの近くに企業特区を指定し、働いている者をそこに住まわせるのがいつしか当たり前になっていた。
ソレアの両親はともにネオステラ社の社員であるため、ソレアも含めて家族で企業特区に住むことが許されている。当然、居住するにも条件はあるのだが。ソレアは社宅であるマンションから出て、他の住人に挨拶をしながら母の勤めているネオステラタワーへと向かう。
道中パイプライン式輸送機に乗り、移動時間の短縮もした。レールバスほど大型ではないが、4人くらいで座って移動できる小型車両のような乗り物だ。当然ながら荷物も積める。企業特区の規模にもよるが、ネオステラ社企業特区のようにある程度の広さがあれば設置の許可が出る。
ネオステラ社本部があるネオステラタワーは120階の高さを誇る。1階から20階までは外部に開かれたパブリックプラザ、21階から50階が社員のためのオフィス層、51階から80階はアンドロイドシープデバイスを含む開発・運用層、81階から上は一般社員でも軽率には入れない高度機密保持領域となっている。
ソレアの母はネオステラ社研究・開発チームの研究長だ。彼女の職場は、主にこの高度機密保持層である81階以上にある。通常の社員でも入れる場所に制限があるが、ソレアは母の権限で一部入室を許可されていた。
―ママ、おはよう。今ネオステラタワーのエントランスにいるわ。どこにいる?
ソレアがリンク・スフィアのメッセージアプリでチャットを送ると、ほとんど同時に既読がついた。
―おはよう。今は91階のラボにいるわ。
研究者らしい端的なメッセージだ。彼女にしてみれば、ソレアがこの時間にやってくることなどわかりきったことなのだろう。普段からメッセージでの長話をしない2人にとっては、これもまたいつも通りのやりとりだった。
エントランスの受付嬢を横目に見つつ、エントランス奥にある入館ゲートを通り過ぎる。ゲートはリンク・スフィアに登録された電子IDを読み取っており、ソレアも難なく通り抜けることができる。本来は社員用のIDなのだが、ソレアの出入りのために正式発行されたものだった。
社員用のエレベータでまず80階へと行き、そこから電子ロックのかかっている専用エレベータで91階まで向かう。ネオステラ社の扱うデータは膨大で、セキュリティ対策も入念にされているというわけだ。
91階から100階にあるのは深層意識探査ラボ、知覚同期・脳波干渉研究室だ。つまり、ここでは主に、ドリームリンク中の脳波測定やドライブ中の知覚同期についての実験や検証が行われている。カイの生体データを扱っているのもこのフロアだった。
91階フロアに上がり、研究長のラボへと向かう。エレベータホールとフロアそのものを区切るように、クリアガラスのしきり壁が立ちはだかる。フロアを歩き回るには、そこで一度虹彩認証を通らなければならないのだが、ソレアは設置された端末に自分の虹彩をスキャンさせてフロアへと移動した。
基本的に、円形構造であるネオステラタワー内部では、エレベータホールを中心にして弧を描くように部屋が配置されている。ソレアの潜った認証ゲートから、ちょうど180度回転した位置に、母のいるラボがある。ソレアはぐるりと廊下を回ってそのドアの前まで行くと、インターホンを一度鳴らした。
「おはよう、ママ。入るわね。」
―どうぞ。
インターホンのスピーカーから、まだ眠たそうな母の声が聞こえてきた。カイは昏睡状態から戻ったとはいえ、それで仕事が片付くわけではないらしい。ソレアがインターホンと同じ位置にある端末で虹彩を再スキャンすると、ロックの外れたラボのスライド式のドアが音もなく開いた。
「ママ!」ソレアが声をかけると、ラボの奥でオフィスチェアに座っていた白衣の女性が振り返る。
「ソレア。」彼女はソレアに両手を広げかけて一度止まると、すぐに白衣を脱いでシャツ姿になった。
「いらっしゃい。」再度女性が広げた両腕に、ソレアは勢いよく収まった。
「おはよう、ママ!」
「おはよう、ソレア。」もう何度目かわからない挨拶を再度繰り返し、ソレアと母はハグをした。
しばらく2人は談笑しながら食事をとった。ソレアの母サラ・ファルツは、ラボ内のポッドでお湯を沸かし、2人分のコーヒーを淹れ、ミルクと一緒に片方をソレアに渡す。ソレアはそれを受け取ると、「ありがとう。」と言って、ミルクを入れてコーヒーを飲んだ。
「それで、仕事はどう?まだ落ち着かないの?」ひと段落したあたりでソレアが聞くと、サラは少しだけ渋い顔をした。
「そうね……。こういうの、実は初めてなの。最初は強烈なドライブ酔いによる昏睡状態の可能性が疑われていたんだけども。」サラはブラックコーヒーを一口飲んだ。
「実はデータを調べていくうちに、システムの内部エラーだと判明したわ。」
「内部エラー?」
「そうね。つまり、ドリーム・リンク中に外部干渉があったでしょ?そこで一度システムは中断されたはずだった。でも、なぜかカイ・ブライトだけが正常終了せずに、簡易ドライブに移行していた……というわけ。まぁこれは、ポラリス大学病院の担当医も似たような見解だったようね。……重役会議で、ロシュカ・ルブランが言っていたわ。」サラはこめかみを抑えながらそう言った。




