10. ネオステラ社の御曹司
カイラとステファンがカフェ・アンドロメダからログアウトした後も、ハインはしばらく俯いたまま考え込んでいた。元同級生カイラ・シルヴァは、ハインにとっては昔から嫌なやつだった。何かと絡んでくるくせに、常に人の神経を逆撫でするようなことを言う。
しかしそんな彼女も情には厚いのか、常に数人の仲間と連れ立っており、姉御肌のような妙な頼もしさを見せることすらあった。ハインは「はぁ。」とため息をつく。カイラによって、自分の少し浮ついた気持ちが、一気に羞恥に変わってしまった。
ハインは自分を落ち着けるため、少しだけ目を閉じることにした。何もかもがあまりにも急で、なかなか思考がまとまらない。ハインはリンク・スフィアを操作してウィンドウを立ち上げ、ニュースサイトを一つ開いた。
『ネオステラ社公式発表――記念式典での妨害行為について会見を開く――』
トップの見出しは、今日のうちに出されたネオステラ社からの公式発表についてだった。思えば式典自体はまだ昨日のことだというのに、ネオステラ社の動きは早い。さすがに日取りは1週間後に設定されていたが、それでも迅速な対応であると言わざるを得ないな、とハインは思った。
次に昨日の日付まで遡り、記念式典についてのニュースを探す。今ハインが見ているニュースサイトは、特定の会社のものだけではなく、何社かの記事をテーマごとにリストアップしたものだ。
『三角都市記念式典』でキーワード指定すると、その日のうちに公開された速報記事が一気に選択表示された。その中からいくつか有力なものをそれぞれ別ウィンドウで展開し、同時に読めるように並列表示にする。
「さすがに、ほとんどおんなじような内容ばっかだな……。」ハインの目の前にある記事は、どれもことのあらましだけを書き記したようなものだった。
その中でも特に大きく書かれているのは、式典の妨害行為そのものよりも、AIシーラの佇まいだとか、ハッキングを防いだセキュリティ能力だとか、ネオステラ社CEOルーディス・ブライトの誠意ある対応だとかそんなところだ。印象操作といえば聞こえは悪いが、余計な不安を煽らないという意味ではいい仕事をしているのだろう。
そもそも、確かに式典妨害自体はあったわけだが、カイが裏に運ばれた後も式典は続き、AIシーラによるリカバリーもあって、ドリーム・リンクは再度実行されたのだ。
『 皆さんを
ドリーム・リンクにご招待します。
準備はよろしいですか?
Yes / No 』
その場にいる人全員に再度招待メッセージが表示され、全員が「Yes」を選択するとドリーム・リンクが始まった。式典仕様の特別な演出か、ローディング・インジケータも少し凝った装飾が施され、華やかながらも洗練されたデザインに見えた。
『 大規模アップデートにより、
さらに進化した「夢」をお楽しみください。』
プログレスバーが100%に到達すると、システマチックなSEとともにメッセージが表示される。まだ全員の目にはアトリウム・ホールの室内だけが映っているが、その瞬間、知覚が一瞬で上書きされた。
『シープたちの微睡む夢の草はら』というシステム表示とともに、目の前には風に揺れる広大な草原が広がっている。先ほどまでアトリウム・ホールの室内を見ていたはずなのに、存在するはずの壁や天井がほとんど見えなくなっていた。誰もが周囲を見渡し、自分の足元の草の感触を確かめている。
上空、天井があるはずの場所には透き通るほどの青空が広がり、馬鹿みたいに大きなシャンデリアがあった場所には、太陽の代わりに大きな白い月の表面が見えていた。
「すごい……。」誰かの嘆息が聞こえる。
今までとは明らかに違う質感の暴力に、呼吸するタイミングすら奪われてしまう。ステージのあった場所では、シンボリックにそびえ立つシナノキの前に、ネオステラ社のCEOルーディス・ブライトが立っている。明るくなった視界の中で、彼のシアンブルーの瞳が僅かに歪んでいるのが見えた。
「ちょっと、ハイン?」すぐ近くからソレアの声が聞こえた。
「大丈夫?」
「あ、あぁ……。」我に返ったばかりのハインは、やや動揺したように返事をする。
隣に立っていたのはソレアで、座ったまま項垂れているハインのことを心配そうに見下ろしていた。
「なかなか戻ってこないから、心配しちゃった。……あの人たちは、もう帰ったの?」ソレアがためらうようにそう言った。
「あぁ、もう帰った……。悪かったな。」
「何が?」
「ちょっと、嫌な気分にさせたろ?」ハインが申し訳なさそうに言うと、ソレアは大きく肩をすくめた。
「そりゃあね?でも、あんたのせいじゃないでしょ?」そんなことより早く戻りなさいよ、とソレアは自分たちのいたテーブルをチラリと見た。
「あ、そうだよな。」テーブルでは、カイがこちらを窺っているようだった。
「もう戻るよ。」ハインが頷くと、ソレアは安心したように微笑んだ。
席に戻るまで、不安そうな顔でカイがハインをじっと見ていた。それでもハインが席に戻ると、カイもまたほっとしたようにニコリと笑った。
「悪いな……。」気まずそうにハインが言うと、カイは「いや。」と言って首を振る。
しかしハインの胸には、先ほどカイラから告げられたことがどうしてもしこりのように引っかかっている。
―ネオステラ社の御曹司だってこと。
カイラの言葉が脳内でリフレインする中、ハインは僅かに視線を泳がせる。
「どうかした?」先ほどのソレアと同じように、カイもハインの様子を気にしているようだった。
「あぁ……、いや。実はさ、さっきの2人はハイスクールの同級生なんだ。」思考を逸らすため、ハインはわざとカイラとステファンの話を始めた。
「まぁ、今でもベガで顔を合わせるし、腐れ縁みたいなものなんだけどさ。たまにあぁやって絡んでくるんだ。……特に今回は、ステファンの兄貴がドライブ中毒になったみたいで。」ハインの言葉に、カイの瞳が僅かに曇る。
「……そう。」ほんの些細な違和感だったが、今はその違和感にさえ、カイラの言葉が重なってしまう。
―噛んでるかもしれないやつに近いくせして、何にも考えてないバカを見るのは腹が立つ。
カイは、何かを知っているだろうか。だが仮に何かを知っていたとして、カイがネオステラ社中枢の動きに関係しているとは限らない。
―別に、あんたらの誰かが一枚噛んでるって思ってんじゃないんだ。
そう、一枚噛んでるわけじゃなくても、ネオステラ社CEOに近い場所にいることは確かなのだ。
―ねえ、あいつにはちょっと警戒した方がいいかもね?
警戒。何を?カイが一体何をすると言うのだろう。しかし、何度思考を巡らせてみても、今のハインに確かな答えは得られそうもない。
「なぁカイ……。一つ、聞いてもいいか?」
「ん?何を?」ハインの言葉に、カイは首を傾げつつも先を促した。
「すまん。俺聞いちゃったんだ。お前がネオステラ社の御曹司だって。」
「……。」カイは、視線こそぶらさなかったものの、すぐには返答もしなかった。
その沈黙にハインは動揺しつつも、つまりそういうことなのだろうと密かに察する。
「いや、だからどうってわけじゃない……。でも、俺の姉がドライブ中毒で入院しててさ……。知りたいことが、たくさんあるんだ。」
「おすすめはしないよ。」カイの言葉は短いものの、しっかりと重たく、空間に浮き出るような響きがあった。
「おすすめは……、しない。」すっと、音が消えたような感覚の中、カイの言葉だけが空間に沈んでいくかのようだった。
ハインは唾を飲み込み、どう返すべきか言葉を探す。しかし、しっかりとこちらを見据えるカイのシアンブルーの瞳が、なぜか神秘的な輝きを持ってこちらに迫る。その鋭く他者を釘付けにする静かな圧には、三角都市記念式典の壇上の、ネオステラ社CEOルーディス・ブライトの面影が確かにあった。




