8. 望まれない来訪者
いつまでも立っているハインを椅子に座らせ、カイはドリンクのメニューを中心に寄せた。メニューはすでにイベント限定メニューが半分を占めており、まだ1ヶ月以上もあると言うのに、商業分野の動きの速さには目を見張るものがあるな、とカイは素直に嘆息した。
「これ、また何か頼むでしょ?」カイが聞くよりも先に、ソレアがメニューを食い入るように見つめている。
「すごーい!もうイベントメニューが売り出されてるの?これはチェックしなきゃだよね。」流行にも敏感なソレアは、自分やハインよりもイベントごとへの関心が高いようだった。
「ハロウィンだよな?メディアでは見たことあるけど、いまいちこういうのはどうしたらいいか、よくわかんねぇな。」ハインが困ったように眉を寄せている。
「そうなの?こういうのってワクワクしない?」
「どうかな……。楽しそうにしてる人を見るのは好きだけど、自分が楽しいかどうかはよくわからないや。」ハインに同意を示すかのようにカイは答える。
実際のところカイは、最近こそたくさん外を出歩いているが、ASTD(覚醒―睡眠遷移障害)のおかげでイベントごとに参加したような記憶がない。ナーサやジルヴァが気を利かせてくれることはたくさんあったが、それもまた楽しむのとは少しだけ違うような気がしていた。
「カイもあんまこういうの経験ないのか?」ハインが気にするようにこちらを向いた。
「そうだね。昔から病院にいる期間の方が長かったし……。」正確にはネオステラタワーの大部分を占める研究施設にいたのだが、それはハインに言うべきことではないだろう。
「ん、やっぱ体が弱いのか?ずっと体力無さそうにしてるもんな。」しかし、ハインが心配するであろうことは計算外だったカイは、少しだけ言葉を詰まらせた。
「あー、うん……。そうだね。エレメンタリーの後くらいかな。治療のために、長いこと病院通いだったんだ。」カイは、どうにか当たり障りのない範囲で説明をしようと試みた。
「今はどうなんだ?」
「今は、見ての通りだよ。完治はしてないけど、なんとかなってる。」カイの言葉に、ハインは少し安心したような顔をした。
「そっか。なら少し安心だな!」
「うん。外を長時間歩き回るのは大変だけど、バーチャル・ワールド内では支障なく歩き回れるしね。」カイの言葉にハインは少し驚いたような顔をした。
「なるほど。そういう需要もあんのか……。」ハインの顔は少しだけ複雑そうに見えたが、一応納得はしたようだった。
「そう。でもまずは何かドリンクを頼まないとね。」カイは少し微笑みながら、メニューの端をトントンと叩いた。
結局、3人ともイベント限定ドリンクを頼み、メニューが到着するのを待った。しばらくすると、パンプキンを模した形のバスケットの中に、3つのドリンクが入ったものがテーブルへと届いた。
「お、なんだこれ、浮いてる……。」ふよふよと浮いているそれを、ハインは物珍しそうに眺めている。
「えー!可愛い!!」ソレアはバスケットを軽く突きながらニコニコと微笑んでいる。
「いいね、これ。自動配送自体は割と普通だけど、バスケットのデザインを変えるっていうのは面白いよね。」
「なるほど……。向こうでは走るタイプの自動配送がメインだけど、こっちだとドローン型もアリなのか……。」冷静に面白がっているカイを横目に見ながら、ハインは現実との違いに驚いている。
「ドローン型って、まだ一般的じゃないんだっけ?」ソレアがドリンクを手に取りながら、2人に尋ねる。
「まぁ一部導入実験はされてるけども、まだ一般的にはならないだろうね。」
「そもそもバランサーがなぁ……。荷物が常に一定量で重量の偏りがないならいけそうなんだが、今みたいに重量が偏った上でもバランスが取れる機構はまだまだ改良の余地が多いんだよな。」ハインはカイに同意するように補足した。
「ふーん?私も技術面には明るい方だけど、やっぱあんたたちの方が詳しいわよね。」ソレアはスプーキー・ベリー・ロイヤルミルクティーというアイスドリンクに口をつけながらそう言った。
ベースはアッサムミルクティーだが、ブラックベリーやブラックカラント(カシス)の紫シロップがかけられている。大きく盛られたホイップクリームに小さなドライベリーと星型のチョコレートが飾られた、見た目も華やかなドリンクだ。
「そうかもね。でもソレアの専攻はどちらかというとマネジメントメインでしょ?技術面に関しては、エンジニアの意向が汲み取れるぐらいでちょうどいいんじゃないのかな。」カイが自分のドリンクをバスケットから取り出しながらソレアに言った。
カイのドリンクは、マシュマロのトッピングがされたミッドナイト・チャイ・ココア。ビターココアをベースにして、ほんのりスパイスを効かせたホットココアに、小さなお化けを模したようなホイップマシュマロが二つも載っている。チョコレートもかかっていて甘そうな見た目ではあるものの、カイからするとチャイ風なので見事に相殺されているのだそうだ。
対してハインのドリンクはというと、パンプキン・スパイス・ラテのホイップ増量。いや、ハインが増量で頼んだわけではなく、単にイベントの前振りとして期間限定増量中だったというわけだ。
苦味の強いエスプレッソをベースとし、かぼちゃ風味のシロップとミルクを合わせ、見事に増量されたホイップクリームがもこもこと山を成している。シナモンパウダーがかけられているため、どこか香ばしいような香りのするドリンクだった。
「毎度思うけど、バーチャルの割に質感がすげぇな。」ハインは山盛りのホイップにやや気圧されながらそう言った。
「ねぇ〜、時々びっくりしちゃうわよね。でもまぁ、リアルと違って材料の制限がほとんどないに等しいし、そういう意味での大盤振る舞いではあるんじゃない?」ソレアが同意するようにそう言った。
「原価がないに等しいってことか?」
「ううん。こっち側にも原価はあるし、調理難易度も関係あるわ。ただし、入手難易度っていうパラメータがないってことね。当然現実のレートに合わせて金額調整はされてるだろうけど、そんなのあってないようなものでしょ。」ソレアはこういう分野の話になると、カイやハインより饒舌に見えた。
「調理?データのぽん出しじゃないんだな。」
「そりゃそうよ。飲食店の経営者なんて、自分で色々作ってみたいって人も多いでしょ?バーチャル・ワールドの調理シミュレーターは、有力なゲーム会社に設計依頼してるだけあって再現度だって高いのよ?」
「でもさ、バーチャル・ワールドなんて、楽したいから使ってるやつも多いだろ?なんであえて苦労するんだ?」ハインの疑問に対し、ソレアは少し考え込むような仕草をしたあと、ゆっくりとドリンクを飲み込んだ。
「そりゃまぁ、苦労ってのも娯楽だからでしょ。人間、好きな苦労なら買ってでもしたいものなのよ。労働とはまた別物ってわけね。」ソレアは妙に達観したようにそう言った。
「まぁ世の中、労働が趣味って人も一定数存在するし、サブワークとして楽しんでる人もそりゃいるでしょうね。」
「なるほど……、人間ってのは複雑なんだな……。」
「いいえ、思ってるよりも単純なのよ。」ハインの言葉を、ソレアは軽く否定したが、少し待っても続く言葉はなさそうだった。
しばらくゆっくりとドリンクを楽しんでいると、ハインの目の前を横切っていく人影が見えた。彼らはカイの席の後ろを通り、そのまま遠ざかっていくかのように見えた。しかし、運悪くも見覚えのあるその人影は、ハインに気づくとぴたりと足を止め、そのままゆっくりとこちらを向いた。
「あら、ねぇ、ハインじゃない?外見変えてないなら合ってるわよね?」その女性は再びカイの後ろへ戻ると、ニタニタと笑いながらハインを見据えた。
その女性は、前にベガのストリートでハインに絡んできた、元同級生のカイラだった。
「ほんとだぁ!まさかこんなとこで会うなんてなぁ!……しかも、新しいお友達も一緒じゃねぇか。」カイラと一緒にいた男性もまた、ハインたちのテーブルへと近づいてくる。
「……あの、カイラにステファン、どうかしたのか?こんなところで。俺に用があったわけじゃないんだろ?」ハインが苦し紛れにそう言うと、2人は顔を見合わせてニヤニヤと笑う。
「今できた。……あんたに少し話があってさ。暇ならちょっと、付き合ってよ。」カイラはちらりとカイを一瞥すると、やけに据わったような目でハインに言った。




