2. ポラリス・アカデミア
「それで、久しぶりに会った感想は?」ソレア・ファルツはバゲットサンドを齧りながらカイに尋ねた。
「え?まぁ、……うん。スーツ似合ってるね。」カイはソレアのグレーのスーツ姿を見ながら言った
ソレアはポラリス・アカデミアの入学式を終えたばかりで、グレーのスーツに、ボリュームのあるレースのついた白いブラウスを中に着ていた。
ブラウンカラーのボブカットに、柔らかいピンク色の髪留めとリボンタイ。女性というよりは少女のような組み合わせではあるが、目の大きい華やかな容姿のソレアには、実際よく似合っていた。
「……それだけ?」ソレアはわざとらしく顔を顰めて首を傾げた。
「それだけ。……だって昨日も会ったでしょ?」
「バーチャルポラリスでね?しかもただの下見じゃない。」
「今朝もやりとりしたよ。」
「ただのチャットでしょ?」ソレアは少女のような顔で、大きなサンドイッチを頬張る。
カイは自分の皿にあるエッグホットサンドを手に取った。ポラリス・アカデミアのカフェテリアは、初日だというのに学生たちで賑わっている。中には談笑する教授たちや、外部から来ているらしい人たちの姿もある。
「ねぇ、カイはいつも卵だよね。」ソレアの声で我に返った。
「あぁ、まぁ、うん、そうかも。卵、食べやすくて好きなんだ。」カイは卵サンドを一口齧った。
「ふぅん。まぁ確かに、卵料理ってレパートリーも多いし、何かと使える食材ではある。」
「なにそれ。」カイはソレアの感想にふふふと笑った。
カイのホットサンドには、ビネガーの効いたほぼペースト状の卵と、カットされたゆで卵が挟まれている定番のメニューだ。
「ソレアのは?」
「ん?これはエビアボカド〜。おっきくて大好き!」ソレアが食べているのは、ここウッドランド・ブリーズ・カフェテリアの看板メニューだった。
カイが一緒に買ったホットコーヒーを飲みながら食べていると、自分の持ったカップをソレアがじっと見つめているのに気づいた。ソレアのカップには同じくホットの、ルイボスティーが入っているはずだった。
「ん?どうかした?」カイが尋ねると、ソレアが少しばつの悪そうな顔をする。
「んー、カイってカフェインOKだったかなって、少し思っただけ……。」
「あぁ……。うん、日に1杯なら、大丈夫だって。心臓への負担とかは、気にしなくていいらしいよ。」カイは数週間前の定期検診のことを思い出していた。
定期検診といっても、毎日のボディスキャンより少し精密になる程度のものだ。普段はスーリがポッドを通してデータをとっているのだが、この定期検診では専属のドクターが見てくれる。
「そう。他に変わったことは?」ソレアは妙に真剣な顔をしている。
「特に……。至っていつも通りだよ。……良くも悪くもない。」カイが肩をすくめて見せると、ソレアはうんうんと頷いたように見えた。
「そっか。なら大丈夫か。」そう言うとソレアは、再びバゲットサンドを齧り始めた。
「どうしたの?急に。」カイが尋ねると、ソレアは口の端をナプキンで拭った後に答えた。
「うん、だって、久しぶりでしょ?生身のカイとは。」確かにな、とカイは思った。
バーチャル空間ではほぼ毎日顔を合わせていた2人だったが、ソレアの受験が近づいてからはほぼ半年近くリアルで顔を合わせていない。ソレアはそのことを言っているのだろう、とカイは思った。
「それもそうだね。」
「そう。あ、それもそうついでに、今日のキャリブレーションはどうだった?」
「どうだったかな……。うーん。ちょっとだけ足が衰えたみたい。だから、少しきつめのリハビリを増やすって。」
「……なるほど。しんどくない?」
「別に。」
「そう。ならいいか。」よく分からないがソレアは納得したように見えて、残りのバゲットサンドを片付け始めた。
「そういえばソレアは、どこの学部に入学したの?」カイの質問に対して、ソレアは「ハハハ」と少し笑った。
「あれ、うちのお母さんから聞いてない?BIS――生体情報科学部(Faculty of Bio-Information Science)の生体統括マネジメント学科(Dept. of Bio-Management)だよ。」
「あぁ、同じ学部か。」
「当然でしょ?」
「そうなの?」
「そう。カイは睡眠科学科(Dept. of Somnology)でしょ?もう授業決めた?」ソレアはリンク・スフィアを立ち上げて、何かを確認している。
「まだだよ。……まぁまだほとんど必修だけどね。」
「でも自由選択もとっておかないときついでしょ?共通とるなら同じのにしようよ。」ソレアの言葉にカイは笑った。
「ハハ……。友達の邪魔になっちゃうよ。」
「そんなの気にしないのに。」そう言ってソレアはリンク・スフィアのホログラムウィンドウを閉じた。
「そろそろ時間ね。オリエンテーション会場は?」
「C204。」
「あのちょっと大きいとこか。」
「もう把握してるの?」
「もちろん。」そう言うとソレアは、食べ終わった2人分のトレイを持って、ゴミ箱へ向かい、カイが少ない荷物を整理している間に戻ってきた。
「お待たせ。じゃあ行きましょ?」
「うん。」カイが頷いて席を立つと、2人はウッドランド・ブリーズ・カフェテリアを後にした。
カフェテリアはポラリス・アカデミアのセントラル棟4階にある。学科のオリエンテーションが行われるのは、そのさらに下の2階にある教室だった。カイは、ソレアと一緒にエスカレータで階下へと降りていく。
考えることはみんな同じで、少しだけ列ができていた。見知った顔も近くにいたが、向こうも連れがいるからか、カイとは軽く手を上げて挨拶しただけだった。
「ところで、ソレアはこのあとどうするの?」教室へと向かいながらカイが尋ねると、リンク・スフィアを操作していたソレアがカイの方を見て答えた。
「うーん、私はもう終わっちゃったし、近くでカイが終わるの待ってるよ。私は特に予定もないし。」そしてソレアはリンク・スフィアのUIを閉じ、エスカレータを降りた後で付け足した。
「あ、カイに予定があるなら、別だけど。」しかしその顔は、カイに予定がないことを全く疑っていないかのような顔つきで、カイは思わず苦笑した。
「はは……、まぁ、ないけどね。」
「だよね。友達とかいないの?」
「いるよ。遊んだりとか、しないだけ。」多分、という言葉をゆっくり飲み込んで、カイは最後に友達と遊んだのがいつだったかを考えた。
「ふぅん。じゃあ私とおんなじだ〜。」
「ソレアはまだ入学したばかりだろ。」
「そうでした〜。」ニコニコと楽しそうにしているソレアの隣を歩きながら、カイは教室に辿り着く。
そういえば、もうずっと前だったな。カイがなんとなく思い出の感傷に耽っていると、教室の前をうろうろしている長身の男子学生にぶつかってしまった。
「あっ、いて。」カイがそう呟くと、やや髪の長い長身の男子学生は、慌てたように振り返り、腰を屈めてカイに謝る。
「わ、わりぃ!周り、よく見てなくてな!……俺体でかいし、痛くなかったか?」髪の少し長いその男子学生は、はっきりとした目をさらに大きく見開いてカイに近づいた。
「あ、えっと……、うん。大丈夫、です。」気圧されたカイが後退って目を逸らしながら答えると、男子学生はバツが悪そうに頭を掻いた。
「あー、わり。いっつも加減がわかんなくて、ついな。」
「ううん、大丈夫だよ、気にしてない。」
「あ……、でもあんたってもしかしてもしかしなくても同学年か?そうだよな?学科どこ?」今度は急にうれしそうな様子で矢継ぎ早に質問を繰り出す男子学生に、カイはどうしたものかと苦笑した。
視界の隅に表示されているリンク・スフィアの時刻を見ると、そろそろオリエンテーションの始まる時間が近づいていた。
「あの~、そろそろ2学年のオリエンテーションですよね?行かなくていいんですか?」ついに見かねたのか、ソレアが横から割り込んでくる。
「あ!?そういやそうだった。ありがとな!」男子学生は大きな声でソレアに礼を言った。
「いいえ~。……さ、私たちも行こっか。」
「あ、ちょっと待ってくれ!」ソレアがカイの腕を引いて行こうとすると、男子学生がそれを引き留めるように声をかける。
「あ、なんでしょう?」カイが驚きながら立ち止まると、男子学生は嬉しそうな顔でにかっと笑った。
「そうそう、俺、ハイン。ハイン・リードだ!またどっかであったらよろしくな!これ連絡先!」
―ピロン
軽い通知音と共に、カイのリンク・スフィアにハインのチャットIDが送られてきた。
「あ、どうも。」カイがハイン宛にスタンプを返すと、ハインはやっと満足したように頷いている。
「カイに、ソレアちゃんな?了解了解。じゃ、またな!!」カイとソレアが名乗るより先に、チャットIDに付属している名前を確認したらしく、ハインはぶんぶんと手を振って立ち去って行った。
「うーん、なんだったのかな、あれ。」ソレアの疑問の声に、カイはふふふと軽く笑った。
「なんだったんだろうね。でもちょっとだけ面白かったかな。」
「えー?あれが?ふーん?そっか。」ソレアは何か納得がいかないような顔をしている。
「ま、いいわ。ほら、そろそろ行かなきゃ。終わったらメッセージ送って?迎えに来るから!」
「分かった。」
「それじゃあまた後でね!」そう言うとソレアは、またエスカレータの方へ向かって歩いて行った。




