1. カイ・ブライトの目覚め
―コンコンコンコン
「おはようございます!カイお坊ちゃん、お目覚めですか?」ノックの音とともに、ポッドルームのドアの向こうから、軽快な女性の声が聞こえてくる。
ハウスキーパーのナーサ・シュテインが来たようだ。アルファがとことこと歩いて行って、ドアの前ですっと鼻を上げ、ピピピという高い音を鳴らした。アルファもスーリも、他のi-voが近くにいるといつもこうして交信している。彼らにとっては挨拶のようなものかもしれない、とカイは思った。
「お坊ちゃん?大丈夫ですか?」カイがなかなか返事を返さないためか、ナーサが心配そうな声でそう言った。
「おはよう、ナーサ。大丈夫!」カイが返事をすると、ナーサのふふふと笑う声とともに、ポッドルームのドアが少しだけ開いた。
「今日は坊ちゃんの好きなオムレツとベーコンですよ!向こうに準備して待っておりますからね!」ドアの隙間から顔を覗かせてナーサが言った。
ドアの前から離れたアルファが、ナーサを見上げながらぴょこぴょこと跳ねている。モニターの目がにこりと笑って、その柔らかい耳がふわりと舞った。
「分かりました。ありがとう。」カイが微笑みながらそう言うと、ナーサは安心したようにまたふふふと笑ってドアを閉めた。
「どうしよ、着替えないと……。」カイはグッと腕に力を入れて立ち上がると、縁を跨いでポッドから出る。
「スーリ、僕のリンク・スフィアと、バイタル・ウォッチを持ってきて。……あと、水も。」
「承知いたしました。」カイはポッドの縁に体を預けて一呼吸置くと、スーリのi-voが動き回るのを目で追った。
i-vo――Independent Versatile-Operator(自律型多機能オペレーター)。いかにもといった感じの丸いフォルムとは裏腹に、家庭内の様々なことを手伝ってくれるロボットだ。カイのi-voは一般的なものとは違い、スーリが入って動かせるようになっている。スーリは高性能AIと言って差し支えないが、実体がないのもそれはそれで不便なのだと言っていた。
「どうぞ、カイ。まずはお水を。」
「ありがとう。」カイはスーリのi-voが差し出したグラスから水をもらって一口飲んだ。
水は常温より少し冷えている。続けて何口か水を飲むと、ようやく体が落ち着いたような感じがした。
「もうよろしいのですか?それではリンク・スフィアとバイタル・ウォッチをどうぞ。」カイはスーリに水のグラスを渡し、代わりにリンク・スフィアとバイタル・ウォッチを受け取って、右耳と手首に装着した。
「お着替えはクローゼットルームに用意してありますが、大丈夫そうですか?」
「うん、大丈夫。」カイが返答すると、スーリのi-voは少し下がって待機モードになる。
リンク・スフィアのホログラムUIを立ち上げると、いつもの癖で右上の時間とバッテリー残量を確認する。時間はまだ7時前で、充電もフルバッテリーになっていた。カレンダーアプリを一瞬開いたが、スーリの告げた内容とほぼ変わらないのですぐ閉じた。そのままチャットアプリの通知を確認する。
―おはよう、カイ。昨日はよく眠れた?
そのうちの一つ、幼馴染のソレア・ファルツからのチャットを見た。毎朝挨拶として送られてくるその一文に、カイは「うん、いつも通り、眠れなかったよ。」と定型文で返した。
―そっか。
ソレアからもいつも通りの返しがあった。そういえばと思って「今日は入学式でしょ?おめでとう。」と送信する。
―うん。カイもオリエンテーションあるでしょ?二年生だし。お昼一緒に食べない?
―いいよ。キャリブレーションが終わったらすぐに行く。
―やった。じゃあ待ってるね!
ソレアと一通りやりとりした後、カイはチャットアプリを閉じて、ホログラムUIをスリープモードに切り替えた。他にもいくつか通知があったが、どれも予定の確認ばかりだった。
「スーリ、チャットに来てる予定関連の連絡だけど、そっちで調整しといて欲しい……。僕は着替えたい。」
「分かりました。カイ。」立ち上がったカイが、ポッドの縁から離れると、i-voからピピピと音が鳴り、ヴィーンと音を立ててポッドの蓋がゆっくりと閉まった。
―キュキュキュ
アルファが鳴きながらとことこと歩いてきて、カイの足元に伏せをした。小さなアルファが足元をうろつくと危ないと思い、カイはアルファを抱き上げてクローゼットルームへと向かう。ポッドルームにあるもう一つのドアを開けると、すぐにクローゼットルームに行けるようになっていた。i-voがドアの近くで待機している。
一度アルファをサイドテーブルにおろし、スーリが用意してくれた服を手に取った。もともとカイの手持ちの服は多くはないが、セレモニー用のフォーマルな服も置いてあるため、ここもまた適切な状態に保たれている。
まだ秋の始めといっても時間帯によっては暑いらしく、スーリの用意した服は半袖のインナーと長袖のシャツだった。カイはそれをボタンを閉めずに着用すると、アルファを抱き上げて別のドアからクローゼットルームの外に出た。
歩きながら左手首のバイタル・ウォッチを確認すると、ほのかな青白い光とともに、正常のサインが表示される。カイの急激な体調の変化に対応するための特注品で、ここ最近は特に確認する回数が増えた気がした。それでも、なんとなく急に倒れるよりはましだと思って、カイはふぅとため息をついた。
「坊ちゃん、準備は終わりましたか?」ナーサが軽く手を拭いながらカイの方を見た。
「うん。大丈夫。」カイはにこりと笑いながらそう言うと、ナーサの方へと向かう。
リビングルームには、大きな窓から朝の光が差し込んでおり、カイは思わず目を細めた。アルファを床におろすと、そのままとことことナーサの方へと歩いていき、彼女の前でちょこんと座ると、まるで挨拶するかのようにキューと鳴いた。
「はい、おはよう、アルファちゃん。あなたは充電の時間よね。またいつもの場所に座っておいで。」ナーサがそう言うと、アルファはまたキューと鳴いて、ソファの横にある専用充電器へと向かっていった。
「お待たせ、ナーサ。」カイがナーサの方へと向かうと、アルファの確認をしていた彼女がカイの方へと向き直る。
「はい、坊ちゃん。今日は、顔色がよさそうですね。……また少し背が伸びました?」
「……どうかな。そうだといいけど。」
「今日はオムレツとベーコンですよ。さ、座ってくださいな。」ナーサがにこりと微笑みながらカイを促すので、カイは朝食が用意されているテーブルの前のソファに座った。
テーブルの上の朝食は、まだほんのり湯気が立っていた。白い皿の上にはオムレツとベーコンにサラダが盛り付けられており、スープのカップと小さめの丸いパンが二つ、別の皿に乗っている。少し少ないように見えるが、カイが一度で食べきれる量をナーサが計って持ってきてくれることに、カイはいつも感謝していた。
「ありがとう、ナーサ。いただきます。」
「どういたしまして。」いつものようにカイが礼を言うと、ナーサは嬉しそうにそう言った。
「では私はお洗濯をしてしまいますから、何かあったら呼んでくださいね。」ナーサはお手伝いのi-voを連れて、クローゼットルームの方へと向かった。
その背中をぼんやりと追いながら、カイは丸いパンに口をつける。ふっくらしたパンを一口かじると、過剰ではないほどの甘みがほんのりと口に広がった。いつも通りの食事だが、カイの好きな組み合わせだった。
パンを一度置いて、ナイフとフォークでオムレツを切り分けた後、器用にまたパンに乗せて齧る。ほんのり甘いパンと、ほんのり塩気のあるオムレツが、カイは本当に好きだった。
「おいしい。」誰に聞かせるでもなく呟くと、カイはリンク・スフィアを操作してネットニュースを確認する。
カイのいるリビングルームには備え付けのモニターがあるが、テレビを見る気にはいつもならない。結局手元でリンク・スフィアのウィンドウを立ち上げ、スクロールして、今何が起きているのかを確認している。
―シープリンクドライブの中毒者が推定1万人を超え……。
最近の話題は大体これだ。1日に一度は必ず聞くと言っても過言ではない。ドライブ中毒。バーチャル・スリープで夢を見たまま目覚めなくなるという。その患者の数字が多いか少ないかは分からないが、少なくともカイにとって無関係な話ではなかった。




