5. リアル・グラフィック
しばらくして戻ってきた彼女は、まず焼き菓子の皿をカイの前に置いた。出されたそれを受け取ってみると、ほんのり色のついたパウンドケーキが載っている。1プレートの中に、つぶつぶした栗の入ったパウンドケーキ、黄色く色のついたクリーム、そして小さなホイップ状の砂糖菓子が綺麗に並べられていた。
「すごい。」カイが小さく呟くと、女性がカウンター越しにふふッと笑った。
「パウンドケーキだけだと味気ないから、マロンホイップとメレンゲクッキーもつけてみました!美味しいものはいくつあったって構わないでしょ?」女性はとても楽しそうにそう言った。
「はい、コーヒー。今回は、やや深煎りのオータム・モカブレンドです。」
「ありがとう。」女性が置いた湯気の立つカップを受け取ると、ほんのりとモカのフルーティーな香りが鼻をくすぐった。
しばらくは特に会話もなく、カイは大人しくパウンドケーキを食べていた。栗の入ったそれは、バターの風味も相まってしっとりと甘く、柔らかいながらも時折挟まる栗の食感がアクセントになって心地がいい。
『オータム・モカブレンド』は、フルーティーなモカの酸味と、深く煎った豆の香ばしさが、ビターな風味を引き出している。間に挟むようにメレンゲクッキーを口に入れると、あっさりとした味ながら、ほろほろと崩れるその食感が、口直しをするのにちょうど良かった。
「うん、すごく美味しい。」カイが紙ナプキンで手と口を拭いながらそう言うと、カウンター裏で作業をしていた女性がこちらを向いた。
「ありがとうございます!あんまりお客さん来ないから、あなたみたいな人がいると張り切っちゃうの。」女性は相変わらず明るい顔で笑っている。
先ほどから、何となく誰かに似ているような気がしているのだが、それが誰なのかまでは思い出せない。そもそもカイは、あまり人の顔を認識するのが得意ではなかった。
「そうなんですか?とっても美味しいのに。」カイが素直に告げると、女性は小さく「えへへ。」と笑った。
コーヒーを飲みつつ、思ったよりも自分がくつろいでしまっていることに気がついた。しかし事故のようなものとは言え、目の前で楽しそうにしている人を見ていると、この状況の歪さを忘れそうになるのもまた事実だった。
「あの、ここっていつからやってるんですか?」カイは不意に女性に質問してみた。
「え?あー、どのくらいだったかなぁ。多分半年くらい、だと思うんですよね。」女性は顎に手を当てて考え込むような仕草をした。
「あんまり覚えてない?」
「うん、ここってちょっと、時間感覚がぼんやりしてるでしょ?最初はちゃんと日付とかみてたんだけど、ゆっくりしてたら別にいいかなって気分になっちゃって。」女性はカイの空いた食器を片付けながらそう言った。
「おかわりいります?コーヒー。」女性の問いかけに、カイは一瞬考え込んだ。
「どうしよう、カフェイン……。」
「あ、ここバーチャル・ワールドだし、気にしなくても大丈夫じゃない?」カイの様子を見て、女性が軽く首を傾げた。
「確かに。それじゃあいただきます。」
「はい!お客さん少ないと、入れたコーヒーが余っちゃうから、そうしてくれると助かります。」優しげな女性の言葉に、カイはこくりと頷いた。
「ふふっ。というか、私も一緒に飲もうかな……。張り切って作り過ぎちゃったので。」女性はカイのコーヒーカップを受け取り、代わりのコーヒーを差し出すと、そのまま自分もコーヒーを飲み始めた。
「ずっと、ここにいるんですか?」
「え?」女性の反応を見て、カイは少し唐突だったかと感じた。
しかし、ここがバーチャル・ワールドであることを彼女が認識しているならば、半年もぼんやりとここにいたわけではないと、カイは思いたかった。
「そうね……、確かにずっと、ここにいるわ。」
「え?」女性の返答に、カイは動揺を隠しきれなかった。
「ログアウト、しないんですか?」カイが尋ねると、女性は少し苦しそうに顔をしかめる。
「……うん。」
「すみません、急に聞いてしまって。」カイはすぐさま謝った。
「いいですよ、大丈夫。えっと、まぁ、自分の状態を理解していないわけじゃないの。そういうこと、たまぁに聞いてくる人がいるからね。」女性はカップを手で包みながら、中身をじっと見つめている。
「他のお客さんですか?」
「そう。」
「僕が久々なのでは?」その質問に、女性は少しためらいがちに瞳を泳がせた。
「……嘘じゃない。でもたまに、他にも人が来るのよ。」女性は静かにそう言った。
「それは、ドライブ中毒者?」カイが慎重に問いただすと、女性はぐっと唇を噛んで押し黙る。
その様子を見て、カイは自分の仮説が正しかったことを確信した。
「すみません。別に、咎めるつもりはなかったんです。……ただ、そうなのかなって、思っただけで。」カイがコーヒーを一口飲むと、女性は軽く首を横に振る。
「大丈夫です。……でも、連れ戻そうとはしないで欲しいの。」
「なぜ?」カイが視線を向けると、女性は悲しそうに目を潤ませながら話を続けた。
「ちょっと、疲れてしまってね……。まだ向こうには、戻りたくない。迷惑をかけていることはわかっているの。でも私はまだ、この夢からは覚めたくないな。」女性は力なく微笑んだ。
―ピロン
カイのリンク・スフィアに通知が入った。
『アンドロイド・シープ:アルファを検出しました。
接続を切り替えますか?
Yes / No 』
「あー、なんか、もうあんまり長居できない……かも。」なぜかはわからないが、自分の近くにアンドロイドシープデバイスが持ってこられたらしい。
『Yes』を押せば、おそらくリンク・スフィアのみでのドライブからシープを使ったドライブに切り替わるだろう、とカイは考えた。ただその場合、この予測し得なかったドリーム・リンクが終了してしまう可能性もまた同時にある。
「そっか。……あなたは、ドライブ中毒じゃないんだね。」
「どうだろう、今はまだ……違うかな。」女性の言葉に、カイは素直にそう言った。
「ん?なにそれ。」女性はくつくつと肩を震わせて少し笑った。
「じゃあもう行った方がいいね。……誰かを待たせてるかも、しれないし。」寂しそうに微笑んだ後、彼女はコーヒーを飲み干した。
「あの、お代は?」カイが尋ねると、女性はきょとんとした顔をした。
「あー、うん。いつもならバーチャル・コインでいただいてるんだけど、まぁ今回はいいや。」
「え?」
「ほらちょっと、楽しかったし。」目を丸くするカイを見て、彼女は肩をすくめる。
「わかった。」
目の前のシステム案内を表示させたままで、カイは女性とのやりとりを続けた。案内は消さなければ消えないからだ。
「あ、もしかしたらだけど履歴が残るかもしれないから、もしよかったらまたここに来て?」女性は椅子から立ちあがろうとするカイにそう言った。
「わかりました。確認してみます。」確かに、一度リンクしたユーザーの履歴はシステムに記録される。
「ありがとう。」女性はそう言って微笑むと、カイに向かって手を振った。
「じゃあまたね。ありがとうございました!」最後に彼女は、カフェの店員の振る舞いでカイに礼を言う。
カイは『Yes』をタップする前に、カウンターに飲み干したカップを置くと、彼女に言った。
「ありがとう、それじゃ、また。」そうしてシステムの案内通りにUIをタップすると、再び案内が現れる。
『 回線が安定しています。
このままシープリンクドライブを続けますか?
Yes / No 』
カイは迷わず『No』を押す。
『 承知しました。
ドリーム・リンクを終了します。
バーチャル・ワールドからログアウトしますか?
Yes / No 』
カイが『Yes』をタップすると、ログアウト処理のためのプログレス・インジケータが表示され、少しずつバーが進んでいく。½を過ぎたあたりで、バーは急速に進捗を更新し、100%になると同時に世界が再び白く染まった。




