3. カイの病状
ハインが病室に入ると、白衣の男性は半身だけこちらを向いた。肩上まであるカールした黒髪に白い顔、落ち窪んだ目の下には濃いクマができている。その手には、バーチャル・ワールドで見たカイのアンドロイドシープが抱かれている。
可愛らしいその白い羊は、黒い耳をパタパタと動かしながら、大人しく男性の腕の中に収まっている。どこかひどくギャップを感じさせるその佇まいに、ハインは少し困惑していた。
「おや、君たちは一体、どちらさまかな。」ハインたちが言葉を発する前に、男性が先に言葉を発した。
「あの、カイの幼馴染の、ソレア・ファルツです。こっちは同じ学部のハイン・リード。……ロシュカ・ルブランさんですよね?母のサラ・ファルツから聞いています。」ハインより一歩前に出たソレアが、目の前の男性に向けてそう言った。
「あぁ……、なるほど。ファルツ女史の娘さんか。理解した。それならば2人とも、こちらへ来なさい。」ロシュカはほとんど抑揚のない声音で言いながら、ソレアとハインに軽く頷く。
ハインは戸惑いながら、一度ソレアの方へと目をやったが、彼女はハインに目配せをした後、「行こ。」と小さく言ってベッドへと近づく。ベッドの上には、人工呼吸器を取り付けられた病院服のカイが横たわっており、ベッド脇に設置された機器からは、心拍に合わせて刻まれる高い音が規則正しく聞こえている。
「あの、その……、初めまして。ハイン・リードです。」カイの様子も気になっていたが、ハインはまずロシュカに向けて挨拶をした。
「あぁ、どうも。……ロシュカ・ルブランだ。」ロシュカはハインを見つめつつ、端的に言った。
「あの、失礼じゃなければ、ですが。ロシュカさんは、その……。」
「なぜ私がここにいるのか、と?」ためらいがちに尋ねるハインに対して、ロシュカが被せるように質問を返した。
「はい。白衣を着ているので、ドクターかと思いましたが。」素直に返答したハインに対して、ロシュカがふんと軽く笑った。
「まぁある意味では、医者というので間違いではない。だが、カイの担当医は別にいる。私は彼に話を聞きに来たのだ。」『彼』というのは、担当医のことだろうか。
いまいち掴みどころのないロシュカに対し、ハインはやはり落ち着かなかった。
「話は、聞けたんですか?」代わりにソレアが話を続ける。
「えぇまぁ、そうですね。……聞きたいですか?」ロシュカは含みを持たせるように2人を見つめた。
「はい。その、差し支えがなければ……、ですけど。」ソレアはシープとロシュカを交互に見ながらそう言った。
「ふむ、まぁいいだろう。……あぁ、彼のことは、気にしないでくれ。荷物として持たされただけだ。」ロシュカはスンスンと匂いを嗅ぐように頭を動かしているシープを一瞥し、カイのベッドの端に下ろした。
ベッド上に下ろされたシープは、ストンストンと足場を確かめるように足を動かしている。しばらく見守っていると、ちょうどいい場所を見つけたのか、伏せをするように足をたたんで座り込んだ。
「えっと……、それで、聞いてもいいですか?」ハインがロシュカに話を促すと、ロシュカは「あぁ。」と頷いて話を始める。
ロシュカはハインたちよりだいぶ前に病院へと到着し、受付を済ませた後で、カイの担当医と話をしていた。
「ネオステラ社から派遣されて来た、カイ・ブライトのパーソナル・アテンダントだ。」診察室の椅子に座ったロシュカが言うと、目の前に座っている医者が軽く笑った。
「久しぶりだな、ロシュカ。堅苦しいのは、相変わらずか?」ロシュカよりも背が低い割に、体格が良さそうに見えるその医者は、ロシュカに対して職務以上の感情を見せた。
「ふん、そう堅苦しくもないだろう。そもそも私は誰に対してもこんな感じだ。」
「ネオステラの社長にもか?」少しいじけたようなロシュカに対し、医者は揶揄うようにそう言った。
「社長ではない。CEOだ。」
「そうかい。あんま詳しくないんで手加減してくれ、その辺りのことはな。」医者はカルテをモニターへ移すと、本題であるカイの病状について切り出した。
「まぁ、患者の持病については、正直あんたたちの方がむしろ詳しいんじゃないかと考えている。」
「まぁな、伊達に常日頃からデータをとっているわけじゃない。」ロシュカの言い方に、医者はわずかに皮肉っぽい笑いを返した。
「あぁ、そんなこったろうと思ったよ。」
「データ提供ならしてるだろう?」
「お互いにな。」ロシュカと医者は、お互いの瞳をガッツリと見つめながら沈黙する。
「それで?何がわかったのか、聞こうじゃないか。」ロシュカはそう言うと、長い足を組んで医者に話を促した。
「チッ。まったくおめぇはよ、昔っから食えねぇやつだな。」医者は軽く悪態をつきながらも、モニターをロシュカにも向けながら話し始める。
「まぁ、おまえさんならカルテ見ただけである程度察しはつくかもしれんが、一応話すぜ。」
「そうしてくれ。私もCEO相手に中途半端な説明はできん。」ロシュカはモニターを見ると、軽く目を細めた。
「……やはりそうか。」
「な?そうだろ?」医者はモニターから少し離れ、足をやや開くと背もたれに体重をかけた。
診察室の中は大学病院らしい静寂が漂っており、嗅ぎ慣れた薬品の香りで満たされていた。ロシュカは眉間に皺を寄せ、医者に追加の説明を求めるように目配せをした。医者はふんと鼻で笑った後でモニターに複数のデータを展開した。
「まずこれは、カイ・ブライトの脳波だ。一通り試しはしたが、外部刺激への反応はほとんどない。だが、脳活動そのものは妙に活発に見えるんだ。」医者が脳波のデータ画像を拡大表示する。
「通常の睡眠とは異なって見えるな。」ロシュカは自分たちが普段見ている、カイのバーチャル・スリープ時のデータを思い出していた。
「そうだろ?それで……、今度こっちは、シープリンクドライブ中に記録されたデータだ。これはカイ・ブライトのものとは別だがな。」医者が並べて表示した画像は、やはりロシュカによく見覚えのあるものだった。
「やはり、よく似ているな。」
「あぁ、かなりな。少なくとも、似たようなパターンなのは確実だ。ここまで言えば、わかるだろ?」医者はニヤリとロシュカに笑った。
「ふむ、彼はもともと、覚醒–睡眠遷移障害(Arousal–Sleep Transition Disorder)を抱えている。その上で、知覚接続に関しても、通常の利用者とは違った反応が見られることがある。」
「ふーん、それで?」医者の言い方に少し苛立ちを感じながらも、ロシュカは説明を続けた。
「つまり、ドライブが正常に終了していない可能性があるだろう。……彼が倒れたのは三角都市記念式典での攻撃の後だ。あの時ドリーム・リンクは中断されたが、カイだけが接続解除されずにバーチャル・ワールドに飛んでいる……とすれば、どうだろう。やや荒唐無稽な話ではあるがな。」ロシュカが顔をしかめると、医者は疲れたように大きくため息をついた。
「こりゃまた厄介なお話だ……。病気でないなら医者には治せん。これは技術の話ではないのか?」
「そこまではまだ、なんとも言えん。」そうしてロシュカは医者と別れ、診察室を後にした。
―キュイ!
ロシュカが話し終わると、アンドロイドシープのアルファが小さく鳴いた。正確には、掻い摘んで説明しただけで、ネオステラ社の件や詳しいことは話していない。ただ彼らには、三角都市記念式典以降、ドライブが正常終了できていないとだけ伝えてあった。
「わ、こいつ鳴くんだ……。初めて知った。」ロシュカの目の前の青年が、シープの鳴き声に驚いている。
「君は、シープを持っていないのか?」ロシュカはわずかな好奇心から、ハインに尋ねる。
「あぁ、いえ、もらったんですけど……。普段はほとんど起動してなくて。」ソレア嬢よりさらに大柄な彼は、恥ずかしそうに頭を掻いている。
「なるほど……、君は特待生か。なら無理もない。」ロシュカの言葉に、ハインはわかりやすく目を見開いた。
「え?なんでわかるんです?」
「……私も昔、特待生の友人がいた。それで少しだけ、その辺りの実情というやつに詳しいだけだ。」ロシュカの言葉に、ハインは「あぁ。」と納得したようにそう言った。




