2. ポラリス大学病院
三角都市記念式典の翌日、ハイン・リードはまだ午前中にもかかわらず、ポラリス大学病院を訪れていた。目の前には白くて四角い10階建ての建物があり、入り口から患者やナースが出入りしている。
ポラリス大学病院は、ポラリス・アカデミアのBIS――生体情報科学部 (Faculty of Bio-Information Science)とも関係が近く、多くの学部卒業生が勤務している大病院だ。睡眠に難を抱える患者が多くおり、ポラリス・アカデミアにも研究データを共有している。
―おはよう、ハイン。あんた今どこにいる?
リンク・スフィアのメッセージチャットに、ソレアからのメッセージが届いた。ハインは軽く目を泳がせながらも、ソレアからのメッセージに返信する。
―今、ポラリス大学病院にいる。
―カイが気になるの?
ソレアの返信に、ハインはしばらく何も返せなかった。三角都市記念式典で倒れた後、カイは式典のスタッフに裏へと運ばれた。
「みなさん、問題ありません。外部からの攻撃は、AIシーラによって防がれました。」攻撃を防いだ後、壇上でネオステラ社CEOルーディス・ブライトは演説を続けた。
「待ちなさい!今のは一体なんだったのかね!?」当然のごとく、来賓の1人から声が上がった。
何人かが動揺したように、口々にルーディスに質問した。攻撃元はどこだとか、声明の内容に心当たりはあるかとか、どう落とし前をつけるんだとか、おおよそそんなことが叫ばれていたようにハインには聞こえた。しかしルーディスは、おおよそそんなことは意にも介さないという風に言葉を続ける。
「みなさんのご懸念はもっともです。ドリーム・リンク時に介入され、接続を乱され、多大なる不安とご迷惑をおかけしましたことは、この場で謹んでお詫び申し上げます。」ルーディスが深々と頭を下げると、会場入りを許された記者たちが一斉にフラッシュを焚き、連続してシャッター音が響いた。
「しかしながら、今回の声明の出所についてはおおよそ特定済みであり、また今後いかなる攻撃を受けようとも、みなさまの夢をお守りするために全力を尽くす所存でございます。」ルーディスは先ほどまでとはまた違う、堂々として力強い声で演説をした。
彼の姿勢に気圧されたのか、あるいはスクリーンの中で微笑む女神に感服したのか、口々に騒ぎ立てていた来賓たちの声も少しずつ小さくなっていく。
「みなさん!彼のスピーチを聞きましたか!彼の誠意は素晴らしい。さらにはこのAIシーラ、彼女の性能もご覧の通りだ。」1人の来賓が立ち上がり、マイクもなしに声を張り上げる。
「どうでしょう、みなさん。ここは彼の今後に期待するということにするのは。何せ、彼も彼の会社もまだ若い。ここは私、ヴォルクス重工社長に免じて、事を収めようじゃありませんか!」恰幅のよく、光沢のあるスーツを纏ったその男が、会場の面々に向かって腕を広げながらそう言うと、どこからともなく小さな拍手がちらほらと聞こえる。
「ねぇ、市長殿、皆もこう言っておりますゆえ。」ヴォルクス重工の社長と名乗った男が市長の方を向くと、険しい顔をしていた市長もまた、にこやかな顔になって立ち上がる。
「えぇ、えぇ!もちろんですとも!私は何も構いやしません!脅威はすでに、去ったのですから!さぁ、続けてください、ネオステラ社CEO、ルーディス・ブライト。」市長は大仰なふりとともにルーディスに話を戻す。
「みなさまのご厚意、痛み入ります。」少し戸惑いを見せたような気がしたものの、ルーディスはまた深く頭を下げると、また先ほどまでの調子で演説をする。
「記者のみなさま。この件につきましては、追って我が社から会見を開き、説明の機会を取るものとします。今ここにいらっしゃるみなさまには、優先的に席をご用意いたしますので、後ほど本社の窓口へとご連絡ください。」ルーディスは淡々と告げると、記者たちは急いでメモを取り始めた。
リンク・スフィアを操作するもの、小さな声で本社へと通話するもの、小さなメモ帳へ書き留めるものまで様々だ。ハインは息を潜めるように、一部始終を見守っていた。
―一緒に面会する?
沈黙で間が開きすぎたのか、ソレアから追加のチャットが届いて、ハインは現実に引き戻される。
―あぁ、頼む。
ハインはそれだけ返信すると、病院前の広場にあるベンチへと移動し、ゆっくりと腰掛ける。今日は三角都市記念式典の翌日だ。
「ハイン……?ハイン!」しばらく待っていると、ソレアの呼ぶ声が遠くから聞こえた。
「ちょっと、返信ぐらい返しなさいよ!」近づいてきたソレアは、顔を上げたハインに向かって大きめの声を出した。
何も言い返せずに黙っていると、やや強めの風がハインの髪を揉みくちゃにしていく。自分でも、なぜこんなに気が動転しているのかよくわからない。
「はぁ……、ねぇ、大丈夫だから、早くいきましょう。今日は少し、肌寒いわ。」ソレアは何かを察したのか、ハインの肩に手を置き優しくさする。
「あ、あぁ、そうだよな。」ハインはソレアの手の甲に軽く触れると、ぐっと膝に力を入れて立ち上がる。
ソレアはまた2、3度、ハインの背中を軽く叩くと、彼の隣に立って歩き始めた。
「それで、今日は日曜日でしょ?まさか、ずっとここにいたわけじゃないわよね?」ソレアはややためらいがちにハインに尋ねる。
「あぁ……、えっと、大学のさ、図書館に用があったんだ。」ハインの声はわずかに硬く、言い訳じみて聞こえることを自覚した。
「なるほどね?まぁ、いいわよ、そういうことで。」ソレアは特に追及せずに、歩みを進める。
2人でエントランスに入ると、病院に充満する消毒液のような匂いが鼻をつく。忙しなく動き回るナースたちを横目に見ながら、受付の前へと立つ。
「あの、すみません。」ハインよりも先に、ソレアが受付に声をかけた。
「はい。今日はどうされましたか?」
「えっと、友達が入院していて、面会をお願いしたいんですが。」受付のナースに対して、ソレアが告げる。
「はい……、面会ですね。どちら様の面会ですか?」
「カイ・ブライトです。」ソレアの回答に、ナースの顔が一瞬強張る。
「確認しますね……。えぇと……。」その沈黙は、ハインが姉の面会に来る時のそれとは少しだけ違うもののように感じた。
「その、一部、面会制限がございまして……。失礼ですが、お名前と身分証の提示をお願いしてもよろしいでしょうか?」ナースの言葉に応じて、ソレアとハインはそれぞれ学生証を提示した。
「ソレア・ファルツさんと……、ハイン・リードさんですね。」ナースは受付のコンピュータに、何かを打ち込んでいる。
「はい、確認いたしました。A101、A棟10階の101病室へお向かいください。」ナースから面会許可の札を受け取ると、それを首にかけて病室へと向かおうとする。
「あ、それと。」背を向けようとしたハインとソレアは、ナースに呼び止められて立ち止まる。
「あなた方よりも先に、面会に来ている方がいらっしゃいます。もしかしたら病室で行き合うかもしれませんが、よろしいですか?」
「はい、問題ありません。」ハインの代わりに、ソレアが答えた。
「ありがとうございます。では、受付は以上となりますので。」ナースは2人に頷くように頭を下げると、再び作業のためにコンピュータへと向かった。
「それじゃあ、行きましょうか。」ソレアの言葉に軽く頷き、学生証をしまいながらハインは後に着いていく。
受付からエレベータホールへ移動し、10階に上がった後、A棟へと続く連絡橋を渡ったあとでハインが言った。
「なんか、やけに奥まった場所にあるんだな。てか、こっちってもしかして……。」
「そうね、一般病棟じゃないわね。」ソレアは特に気にしていないように見える。
「えっと。」
「病状じゃなくて、家の問題よ……。そんなに気にしなくって大丈夫。」ソレアはハインの方を見ながらさらっと言った。
「あぁ、やっぱり?……てか、先にいる人って誰かわかるか?」ハインはやや気まずそうに頭を掻きながらそう言った。
「さぁね……。特にそういった連絡は、受けてないわ。」ソレアの言葉に、ハインは少しだけ引っかかりを感じたが、今は気にしないことにした。
「さ、着いたわよ。」ソレアに先導されてたどり着いた病室には、ネームプレートの代わりにVIP1という札だけが付けられている。
―コンコン
「失礼します。」ソレアとともに扉を開けると、そこには黒髪に白衣を着た長身の男性が立っていた。




