7. ベガの青年たち
三角都市記念式典当日、ハインは前日のうちにフォーマルドレスショップのアストリア・フォーマルから受け取ったスーツを持って、ソレアたちとの待ち合わせ場所へと向かうことになっていた。スーツ自体の調整はもっと早くに終わっていたが、ハインの家がフォーマルスーツの管理には適さないことを伝えると、店側が前日の受け取りを提案してくれたのだ。
―おはよう、ハイン。今日は待ち合わせ場所に遅れないでよね。わかった?
朝一番にソレアから来たチャットメッセージを見て、ハインは「ははっ。」と苦々しい笑いをこぼした。
―わかってる。ちゃんと遅れないように向かうよ。
式典の場所は、この三角都市でもメインとなるセレモニーホールである「Astrea Grand Hall」。都市の行政が企画する規模のセレモニーを行う場所だ。当然、ハインは大多数の一般市民と同じく、この場所の内部はニュースぐらいでしか見たことがない。新しい市長の就任式や、市長が大企業や功労者に何かしらの賞を授ける時ぐらいしか、開かれないような場所でもある。
「はぁ、なんでそんな場所に行かなくちゃならないんだ?」ハインは再度苦笑いをしながらも、ベッドの上から飛び降りた。
「ハイン?おはよう。あんた、今日はなんか予定でもあるの?」朝食のために帰って来たハインの母が、ハインの顔色を見てすぐに尋ねた。
「いや……、なんで?」ハインが否定しつつも聞き返すと、母は小首を傾げて「だってあんた、なんか腹決めたような顔してるから……。」と静かに言った。
家を出て、スーツの入った袋を持ちながら、レールバスに乗るために、ベガ商業区のバスストップへと早足で向かう。大学に行く時、いつもなら使うような近道も、今回は使わないように早めに行動した。ハインが今手に持っているスーツは、既製品のレンタルとはいえベガの家賃ほどの出費になる。変なところで汚したり、よくない人間に絡まれて損なうようなことは、万が一にでもしたくなかった。
「おはよう、ハイン!あんた何その荷物〜、おやつ?どっか行くの?」道中、ベガの裏路地にたむろしている、ハイスクール時代の同級生に出くわした。
「あ〜、うん、用事。急いでるから、また後でな!」下卑たような笑い声をあげる青年たちの群れをかわすように、ハインは当たり障りのない返事をして先を急ぐ。
「そっち行ってどうすんの?デネブ?今日ってなんかあったっけ?」ハインの気持ちとは裏腹に、煤で汚れた服を着た青年たちがハインの隣をついて歩き出す。
「あぁ、ちょっと人との待ち合わせがあってな。」変に刺激することもできないハインは、ベガの湿ったメインストリートを歩きながら、どうにか青年たちをかわす方法を思案していた。
「なぁ〜、その袋の中身、ちょっと見せろよ〜。昔からの馴染みじゃん、いいだろ?別に。」青年たちの1人、男がハインの肩に腕を回す。
「そうそう。ハイスクール卒業してから身綺麗になっちゃってさ?うちらとも全然遊んでくれなくなっちゃってさぁ。昨日も暗くなってから帰ってきてんの、知ってんだよ?アンナが見たって言ってんだ。ねぇ、最近何してんの?」女が馴れ馴れしくハインの腕に触れようとする。
「あぁ、大学に通ってて忙しいんだ。ごめんな?付き合い悪くて。」ほんの少しの苛立ちを押し込めながら、ハインは気が良さそうに笑って見せる。
「ふ〜ん?」女の目が、何か暗いものを宿すかのようにハインを睨む。
「ねぇ、やっぱ今からうちらに付き合ってよ。いいでしょ?ねぇ。」女は絡みつくような声音でそう言いながら、ハインの腕を強く締め付ける。
「いや、だから俺。」
「カイラが言ってんだからよぉ、ちょっとぐらい聞いてやってもいいんじゃねぇの?なぁ?」男がハインに体を寄せ、周りにいる青年たちに同意を求めるようにそう言った。
「だから、ほんとにやめてくれ――。」ハインが2人を振り解こうと体に力を込めたその時、建物の間から現れた人影が、不意にハインを呼び止めた。
「ちょっとハイン!何してるの?母さんがさっさとおつかい行ってこいって、ファミリーチャットで怒ってたけど、まだ行ってなかったわけ?さっさとしないと、また呆れたような目で見られるかも。」私服姿で近づいてきたセレンは、ハインの両脇を取り囲んでいた青年たちを威嚇するように腕で払いのけ、ハインの手をとって歩き出す。
「じゃあね、暇人さん。」セレンは振り返ってそう言うと、「ベー。」と舌を突き出した。
「んだよあいつ。」
「ほんっと気に食わなぁい。」背後から聞こえる青年たちの声を無視するようにセレンについていくと、しばらく行ったところで彼女はハインの腕を離した。
「ほんっと鈍臭いよね。あんなのさっさと振り切っちゃえば良かったのに。」セレンはいつもの制服ではなく、私服のパーカーとスカート姿で毒づいた。
その顔はハインを見ずに、正面にばかり向けられていたが、それがまるで反吐が出るとでも言いたげにしかめられていることは、ハインにも容易に想像がついた。
「あぁ、そうだよな……。わり。」バツの悪さを感じて、ハインはいつものように笑ってとりなすこともできそうになく、目を伏せながら頭を掻いた。
しばらく沈黙の中で歩き続けた2人だったが、目の前に商業区のバスストップが見えてくると、セレンの方から口を開く。
「なんか、言ってないことあるでしょ……。まぁいいけど。ほんと、気をつけてよね?」セレンは大きくため息をついた。
ハインはセレンの言葉の意味を、少しだけ取りかねていたが、助けてもらったことの礼を、まだ言っていなかったことを思い出して、ハッとした。
「あ、あぁ。えっと……、ありがとな。」その言葉に、セレンはハインの方を見て、目を見開いた。
「はぁ?そっちじゃないんですけど……、まぁいいや。どういたしまして。」セレンは再び呆れたようにため息をつくと、バスストップの手前で立ち止まる。
「時間、大丈夫なわけ?」セレンに言われて、ハインがリンク・スフィアで時刻を見ると、約束の時間のちょうど1時間前だった。
「あ、やべっ。」するとちょうど遠くの方に、都市を巡回しているレールバスがやって来るのに気づいたハインは、慌てたようにバスとセレンを交互に見た。
「はぁ、ほら、さっさと行きなさいよ。エリアをまたぐ都市循環レールバスは、一本逃すと次はなかなか来ないわよ?」
「わかってる!けど、ありがとな!」セレンは相変わらずハインのことを、呆れたような細目で見ていたが、最後にふっと笑って言った。
「じゃあね、ハイン。行ってらっしゃい。」
「あぁ!」ハインは一瞬だけセレンを振り返ったが、もうすでにそこまで来ているレールバスを逃さないよう、急いでバスストップへと駆け寄った。
なんとか乗り込んだレールバスは、ハインを最後にドアを閉め、次の目的地へと出発する。ハインは息を整えながら、バスの窓からセレンの姿を探したが、すでに彼女はその場を立ち去った後だった。
「はぁ、全く……、散々だったな。」少しだけ汗の滲んだ額を拭いながら、荒れた呼吸を整えるように深呼吸を繰り返す。
―ねぇあんた、ちゃんと向かって来れてるわよね?忘れ物とか、してない?
ソレアからのチャットがタイミング良く飛び込んで来る。
「あ。」ハインは慌てて手に持った袋を確認するが、そこにはわずかな煤汚れがあるものの、中身に関しては少し崩れた程度で、特に変わったところは見られなかった。
「良かったぁ……。」一瞬でバクバクと早まった鼓動を手で押さえつけながら、ハインは気を取り直してソレアにチャットを打った。
―あぁ、何にも問題ないぜ!今向かってるから、また後でな。
―そう、良かった。じゃ、気をつけてね。
ソレアのやや素っ気ない返信に安堵のため息をつきつつも、ハインはこれから先に待ち受けていることを思い出し、再び胃がキリキリと痛むのを感じてしまった。




